薬師如来と阿弥陀如来の関係性についての一考察

2008年05月06日 | 人生はメンタルだよな
実家のある和歌山の村のお寺は、本尊が阿弥陀如来です。そして、山門の前に薬師堂があります。
そこに安置されている薬師如来は現在の本堂建立の折、旧本堂の屋根裏から見つかったとされます(いかにもでしょ)。薬師如来は人を病から救ってくれる現世利益の仏(ほとけ)として、広く篤い信仰を得ています。
毎年 5月5日はその薬師如来の法要が執り行われます。

で、阿弥陀如来と薬師如来の関係について少し調べてみました。

[阿弥陀信仰と薬師信仰について]

阿弥陀信仰:
最後の遣唐使でもある天台宗の円仁(794年-864年)が唐から帰朝し、修行元の五台山で行われていた法照流の念仏を比叡山に伝え、常行三昧堂を建てたのが日本の阿弥陀浄土信仰の起源といえる。(wikipediaから)

薬師信仰
わが国でも飛鳥時代においてすでに聖徳太子は、父用明天皇の御病気平癒を願って薬師像を造顕されており、白鳳・奈良時代を通じても薬師寺の創建、香薬師・峰薬師の造立など、その信仰はいっそう盛んであった。
(奈良薬師会サイトから)

[薬師如来の意外なお力]

薬師如来といえば、奈良の薬師寺のwebサイトにこのような記述がありました。

西に阿弥陀様の極楽世界、東にお薬師様の浄瑠璃世界[じょうるりせかい]があります。けれども薬師如来は東方浄瑠璃世界だけが願うべき世界ではなく、西方極楽世界[さいほうごくらくせかい]へ往生したいと願う人には、薬師の名号を聞くことによって極楽世界へ導いてあげますよとおっしゃっています。その人その人にふさわしい浄土を願わし引導して下さいます。

お薬師様はなかなかにふところの深いお方のようです。

[考察]

お薬師さんのほうが、阿弥陀さんより古くから有名だったようです。しかし、”信じる”ことしかできない貧困層にとっては、いくら薬師如来を信じたって病気は治らない(現世利益は金が要る)ので、結局のところ、来世の幸せを保証してくれる阿弥陀信仰に流れたのだと・・考えられます。

来世でだまされたとわかっても、もう手遅れだし、来世を信ずることで、現世の苦悩を乗り越えていくことができれば、これこそが現世利益である、とも言えるのであります。

ま、わかりにくいけど、よくできているなあと、そんなことを考えた今年のゴールデンウィークでした。