恵比寿の恵比寿神社

2006年01月14日 | 人生は旅である。
はてなダイヤリーによると

東京都渋谷区恵比寿にある恵比寿神社は、もともと「天津神社」という神社であり、戦後の区劃整理で現在の場所に移った時、町名に合わせて事代主命(恵比須様)も合祀し、名前を「恵比寿神社」に改称した、といいます。

恵比寿という地名は、エビスビールから由来するもので、えべっさんは新参者だということです。

ところで、関西の西宮と今宮の戎さんの名前の由来ですが。私は下のような話を聞いたことがあります。

今の西宮あたりの浜に打ち上げあられていた件の戎様、漁民たちに漁法の技術を教えて大いにあがめられていたのですが、なにせ根っからのぐ~たら者。一日中ろくに仕事もせず、「酒持ってこ~い。」とか、「うまいもん喰わせんか~い。」とか、わがまま三昧です。

漁民たちも最初のうちは、いただいた恩を考えると、お礼の気持ちからもお世話をしていたのですが、人間勝手なもので、あまりに長く続くと疲れてきます。ある日、ついに戎様を村から追い出そう、と決議をしました。

皆で人一人寝そべる大きさの板を作ると、それに戎様の乗せて、海岸沿いを東へ東へ運んでいきます。そして、村からもう十分に離れたと思える場所に新しいお社を立てて、「どうぞこちらでお暮らしください。」と戎さんを押し込んで、とっとと村に逃げ帰ってしまった、ということです。

戎様を残していったお宮を、元のお宮に対して新しい宮 「今宮」
元にいたお宮のことをそこから西にあるということで「西ノ宮」と名づけた。ということです。

こちらを参考にしました。

さて、もうすぐ1月17日。大震災から11年目の日がやってきます。今年も西宮を含む阪神間に鎮魂の季節がやってきました。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
調べてみました (warasi)
2006-01-14 23:13:57
タマさんが、御代を振ってくれたので、調べてみました。

日本で祭れてる恵比寿様って、おおむね、三つの説があるんですね。

東のほうで祭れている多くは、小彦名神を恵比寿さまとして、大黒さまである大国主神とセットで祭れていることがおおいんですってね。

西のほうは、ことしろぬしって神さまが、恵比寿さまになってというし、そして、タマさんゆかりの戎さまは、蛭子神さまで、日本の創生神の子でありながら、奇形に生まれたために海に流された神様なんですてね・・・・

ちと、逆説の日本史で語られてる、日本神話は、渡来人が日本を攻めたときにいた王である大国主を殺して、日本をつくったのだということを暗に伝えてるのではと言う点から考えると、また、面白いですね。

ことしろぬしも、そのとき、たしか、大国主側だったですよね・・・

それに、恵比寿を夷ともかきますよね。

夷の字は、たしか、日本の原住民達を住む地である蝦夷にもつかわれてますしね・・・

うーん、面白いです。

返信する
めでたい名前 (滝みのお)
2006-01-18 15:29:05
大阪の恵比寿町にしろ大国町にしろ、とてもめでたい名前なのに、どうしてああも貧乏くさいのだろう。貧乏が身についてる私は、さびしいココロを抱きしめるようにこれらの町を歩くのが好きだが。

こういうのは名前負けだろうか。気の小さい「大」君とか、個性的な顔の「美子」嬢とかも頑張りが必要かも。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。