ノーベル平和賞を考える。:ストーティング

2007年10月13日 | 人生は旅である。

2007年ノーベル平和賞が地球温暖化問題にかかわって、前米副大統領のアル・ゴア氏(59)と、国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC、事務局・ジュネーブ)」に授与するが決まりました。

アル・ゴア氏は、1997年12月11日に京都市の国立京都国際会館で開かれた地球温暖化防止京都会議でのいわゆる「京都議定書」議決時の米国副大統領であり、当のアメリカがいまだ京都議定書を批准していないところから、氏に対してのノーベル平和賞授与について、疑問視するところが出ることが想定されています。

しかしながら、もともとノーベル平和賞は、「ノーベル賞の中で選考人物にもっとも批判の多い賞であり、物議が絶えない。」(wikipediaから)といわれており、ある種予定調和的な話なのかもしれません。

さてここで、ノーベル賞について調べてみて、その選考団体についてちょっとしたおどろきの発見をしました。

物理学賞、化学賞、経済学賞の3部門についてはスウェーデン科学アカデミーが、生理学・医学賞はカロリンスカ研究所(在スウェーデン)、そして文学賞はスウェーデン・アカデミーが選考作業を行います。

これに対して、平和賞はノーベルの生まれた国スウェーデンではなく、ノルウェー国会(ストーティングと呼ばれる)が、行います。なぜでしょう?

これには、歴史的な理由があります。アルフレッド・ノーベルは、1833年10月21日 スウェーデンのストックホルム生まれ1896年12月10日に没しています。彼は、ダイナマイトの発明で知られる化学者であり実業家であり、一生を独身で子供もなく過ごした大金持ちでもありました。でもって、その遺産をノーベル賞として人類のためになった人のために使うようにと遺言したのでした。

実は、ノーベルの生きていた当時、スウェーデンとノルウェーは、スウェーデン=ノルウェー連合(1814年から1905年)として仲良く暮らしていたとさ。また、「ストーティングは、国際的な紛争が全面的な戦火に拡大しないよう軍縮や調停を行う、といった新しい「平和」という概念を現実の国際政治で追求していました。」(ノルウェー国公式サイトから

ま、そんな縁もあってか、平和賞は、「ノルウェー国会で決めてくれや」ということになったようです。

では、なんで北欧の一国の国会である「ストーティング」なるものが世界の平和に対して賞を与えるという、ま、いわば「何様?」的な役割を持つに至ったのでしょうか?

すこし、wikipediaで19世紀の歴史を紐解きました。その頃のヨーロッパには、あまり聞きなれないさまざまな国がありました。サルデーニャ、オスマン帝国、プロイセン(プロシア)、サルデーニャ。セルビア、モンテネグロも今は一つの国ですが私が学校で習った世界地理にはユーゴラスビアの一地域でした。まさに群雄割拠という状況でした。一方で、ナポレオン没落以降のヨーロッパの国際体制がナショナリズムの台頭に崩れ始め、各地で紛争が勃発していたようです。

そして、1854年から1856年のクリミア戦争では、フランス、オスマン帝国およびイギリス、ロシアなどが二つに分かれて戦い、まさに世界大戦といっても良い状況だったのではないでしょうか。

こんな時代にノルウェー国会(ストーティング)は、国際紛争を無くす、すなわち「平和」を求めていたのですね。

こんな背景をもって、ノーベル平和賞は平和活動の拠点であるストーティング(ノルウェー国会)がそれを選考することになったと考えられるのです。

そして、今年の平和賞に込められたメッセージは、環境問題が政治問題を越えて人類の平和に対して一番の課題になっているということなのだと理解します。環境への課題が最大の政治課題である、とも言えますが。


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