鉄道ファンとわ

2008年01月17日 | 人生は旅である。
鉄道ファン(一般に鉄ちゃん)は大きく分けて

・鉄路が好きな乗車系(JR線全線乗破!)
・時刻表が好きなダイヤ系(早く、安く!)
・走る姿が好きな車両系(多くはカメコを兼務する)

と大きく3系統に分かれると思います。

乗車系には、「私鉄派、JR派、私鉄JR混合派」とか、「終点駅制覇派」とか、「ポイント派(すべてのポイントを通過する)」なんかに分かれます。

ダイヤ系は「JTB 時刻表派」と「JR 時刻表派」の二大勢力に分かれていましたが、最近ネット族の「ダイヤ系ネット族Yahoo!路線情報派」とか「ダイヤ系ネット族JRおでかけネット派」とかそれぞれのポータル派にANA,JAL系の空中戦派(一説には武闘派)など諸派入り混じっての混乱気味。

車両系は「新型派」と「旧型派」を縦軸に、モーターとか座席とかのメカニズム方面に走る「内向亜派」と列車の走る景色をともに味わう「外向亜派」に分かれています。

カメコ兼務の鉄ちゃんはもっぱら、車両系外向亜派に多く属します。

私はその派です。そして、そのなかで、「地下路線の出口」をテーマに活動しております。


誰が日本の広告を変えていくのか?【消費者】

2008年01月17日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
NIKKEI NETの年明けのコラムに國領 二郎(慶應義塾大学総合政策学部教授)氏が「自律する人間」と「依存する人間」というエントリーを入れられて、私の近しい関係者で話題になり、それを含んだ議論をMLでしておりました。

[一部引用]
 「自律する人間観」と「依存する人間観」の違いは、恐らく通信放送融合などの議論にも影響する話なのだろうと思う。テレビは「依存する人間」に心地よい指示を与えてくれるものだし、依存の可能性を踏まえ、危険なことが起きないように(機能が十全であるか否かは別として)ジャーナリズムの原則など、一定の基準をもって運用されてきているメディアだといえる。これに対してネットメディアの方は、基本的に自律する個人が、自己責任のもとに協調するモデルを前提としている。

[引用以上]

こういった文章を読むと、日本においては「人って二つの側面を同時にもっているからねえ」といった一言で、予定調和的に過ごしてきたと思います。

確かにその側面は否定しませんし、そういった日本の"均一性"がこれからも続いて欲しいと思うのは私がどっぷりと一億総中流の日本で育ってきたからであることも間違いないと思っています。

しかし、そういった均質化な日本はすでになくなってきているように思えるのです。

MLでの議論を元にしておりますので、詳しくは書けない状況もありますので端折りますが、

「依存型、因習型、低生きがい」という人達
「自立型、自律型、高生きがい」という人達

日本に住む人たちが(国籍・民族をとわず)2層化する状況が今の日本にはっきりと見え始めてきているように感じています。

そして、前者はますます低収入、後者は高収入といういわゆる"格差"が明確に(広がるとは言いません)なっていくのがこれから5~6年日本の社会状況じゃないかと思っています。それは、「もう、世界の投資資金は日本には回ってこない。日本国内は完全にゼロサム経済に移行した。」と感じているからです。今期(平成19年度)日本の国際的企業は最高の収益を上げています。しかし、その儲かった金はそのまま投資効率の良いと思われる、bricsやNEXT11に再投資されていくでしょう。それは、経済的に富むことで幸せになっていく(消費生活を送る)人たちが、世界中にたくさんいるからにほかなりません。

さて、そういった日本国内状況において、広告の変化を、現存する「動画メディア」をベースに考えると、

地上波TVは "低関与度" 型の商品広告メディア、YOUTUBEは "高関与度"型商品広告メディアと分けて考えることができると思います。(ニコ動がそういった市場構造を実装したすぐれたメディアだと思います。)

ちょっと論理の飛躍を感じられる方もいらっしゃると思いますが、たしかに説明不足なところはありますので、皆様それぞれに思うところをコメントなりいただけると幸いです。

で、ネットメディアに上記のような区分けが出来るかという考察については、私は結論を持たないのですが、近しい人たちとの議論の中である方が書いた一文が参考になると思います。

「誤解を恐れずに言うと、生きがいを持っていない人(非情報的)は情報に受動的で“広告出稿料”モデルであり、(そうでない)情報的な人がレベニューシェアモデルを引っ張るということになるかと思います。」