goo blog サービス終了のお知らせ 

ニューヨーク・タイムズ有料化で思うこと

2010年01月22日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
「新聞産業は10年前大きな間違いをしでかした。ネットは無料であるという虚偽の前提を受け入れてしまったのだ」。

無料になったのは、ディストリビューション(流通経費)であって、コンテンツが無料になったのではなく、自ら「無料にしてしまった。」のであるな。

もう、こうなってしまった上には、「無料のものを有料にする」ではなく、「いままで出していなかったコンテンツを新たに有料でネットに出して行く。」というモデルなら、ある程度勝算があるかもしれない。

残る課題は、ネットオリジンのコンテンツ生成方法と、新聞オリジンのコンテンツ生成方法との経費の差を埋め合わせるだけの価値が創造できて、それを読者に認めてもらえるかだと思う。
同時に、マス-ミドル-CGMの三層構造を消化して事業モデルを作れれば、成功だろう。

日本経済新聞社は、日経テレコンという優れたる有料課金webサービスがあるのだから、そのサブセットとして電子新聞を事業展開するという選択肢もあったはずなのだけど(当然検討していたはずだが)。

以降はNDAである。

blog"DON"のエントリーを参考にさせていただきました。

あなたたちが日本の広告を変えていく。

2009年12月27日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
2007年
2008年
と関西インターネット広告懇談会の模様を上げてまいりました。

今年は不肖、私が中締めの挨拶をさせていただきました。

80人近くの若い同業の方たちを前にお話をさせていただく機会を恵まれて、少なからず興奮していた私は、思うことがうまく言えなかったと思いますので、ここに記述する次第であります。

ここで、格言を言います。

「広告は、効果である。」

広告業界の先輩たちは「広告は満足度である。」とか、「広告は絆である。」とか「エモーション」とか言うけれど、あくまで広告は効果なのです。

広告は、いうまでもなく、企業がお金を使う経済行為であって、企業の経済行為は「投資」とか「原材料の仕入れ」であるのです。
当然、「ゲインを期待しない投資」や「売れもしない仕入れ」は企業活動として、ありえないものであります。

広告活動もそれによって企業に利潤をもたらさないものは「失敗」であって、私たち広告業に従事するものたちは「広告効果=企業利潤」という、当たり前の事を忘れてはいけないのであります。

振り返れば、ネット広告業界にいらっしゃるあなたたちは「広告は効果」という言葉が当たり前のことであり、だからこそ、メディアと広告業界が大きくその姿を変えていくこれからの環境で、彼方たちは間違いなく日本の広告を変えていくことであろうと、確信を持って感じているのであります。

中締めの挨拶をさせていただくことになりました。

一般に「一本締め」でこの場を〆るのが常識でありますけれど。「締めている場合ではありません。」

今日は「えい、えい、おー」の雄たけびを上げたいと思います。

今年のキーワードは「Heal the World」です。

この地球のために

愛する人たちのために

そして、なにより、この自分のために

来年もがんばるぞ

エイ
エイ
オーーーッ!



広告会社は、広告探しの旅に出る。【青年は荒野をめざす:五木寛之】

2009年11月12日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
広告はどこへ行った?

朝日新聞出版の月刊誌「Journalism」9月号の特集の題名がずばり「広告はどこへ行った」でした。

まさに、広告会社にとって今、「広告はどこへ行ってしまったのだろう?」と考えなければならない状況だと思っています。どこかに行ってしまった"広告"という鳥を探して、私たちは新しい旅に出なければならないのだと感じています。童話の「青い鳥」と決定的に違うのは、「その鳥はここにはいない」という厳然たる事実なのです。

この特集を読んでか読まずか、blog「業界人間ベム」にこういったエントリーがあります。

「広告業はいったん平均賃金を下げてでもしっかり働いてくれる社員をどれだけもっているかの勝負になる。」

広告会社の賃金について私がつたない考察をしたのは、ほんの1年10ヶ月ほど前です。

そんなことを考えていた中で、ザ・フォーク・クルセイダーズのこの歌を思い出したのは単に加藤和彦氏が悔しい死に方をされただけではないと思います。

歌詞の全文はこちらにあります。

「みんなで行くんだ苦しみを分けあって
 さらば春の日よ ちっぽけな夢よ明日よ
 いま夕焼けの谷を越え
 青年は青年は荒野をめざす」


さあ、青年の心をもって、急がず・忘れず、そして希望を捨てずに、荒野を目指そうではありませんか。

メディアと広告の関係

2009年07月25日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
写真は土砂降りの雨

ヒウィッヒヒー(twitterとも言う)に上げた自分のつぶやきをまとめて一つの言説にするというツールにするといったことも可能ではないかと思う。

今回の文章は、前に送ったメールの文章の一部と、ヒウィッヒヒーの呟きをヒウィッヒヒー上に並べなおして作るという、プロセスを取ってみた。


言論機関である新聞社は読者のことなんか考えてはいけない。なぜならば、言論機関は本来、世論を形成することはあっても、世論の代表者ではないのだから(読者はついてくるものである。)

ネット広告はターゲット(Visitor)の事を第一に考えますよね。広告を見た人がどう動くか(買ってくれるか買ってくれないか)が最大の関心事であります。したがって、大新聞の(オレサマ)文化には到底受け入れられない概念であります。

だから、メディアはいかに広告から逃げるかを考えるべきだと、言っているのであります。

その解決方法のひとつが、「広告メディアのオープン化」と「広告のネットワーク化」にあると私は見ています。

広告メディアがオープン化(どこからでも広告を受ける)とネットワーク化(メディアを問わずターゲットに広告を届ける)が実現すれば、効率の良い広告流通が実現できると考えるのであります。