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メディアが消えていく

2010年09月30日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
東京新聞に「免許返納・破綻… ラジオ苦境」という記事が上がっている

名古屋の「愛知国際放送(RADIO-i)」が九月末で放送を停止し総務省に免許を返納する見通しだという。
関西ではKiss-FMが既に破綻、10月1日付けで別法人(といっても受け皿会社のようだ)に事業譲渡をして、存続をめざす。「九州国際エフエム」(福岡市)も地元企業と事業譲渡の交渉中だ、と記事は続ける。

ちなみに、愛知国際放送と九州国際エフエムはInterFM(東京:日経新聞系列)とFM COCOLO(大阪:地元資本)とともにMegalopolis Radio Network(メガロポリス・レディオ・ネットワーク)というラジオネットワークを構成していた。

FMラジオ局って、コンパクトに運営が出来るラジオ局であるはず。地元に根ざした情報とその土地の風景になるような音楽で構成すれば、メディアとしての価値はそれなりに、認められると思うのだけれど。

なんとなく東京のテレビキー局のようなイメージを持って運営していたとすれば、それは、大間違いなんだろうな。価値あるコンテンツさえ作ることが出来れば、流通経路はどこにでもあるのに。

こうやって、コンテンツはあるのに流すメディアの変化に対応できなくて潰れていく会社がしばらく増えていくのだろうと感じています。

「ソーシャルメディアとシンジケーション」

このあたりに新しいメディア環境が出現するように思います。

そういえば、明日東京中央区の中堅広告代理店が潰れるという話がtwitterで激流状態ですが、それほど遠くない未来を見据えて対応することが、メディアや広告にかかわる人たちががんばれるフィールドのように思います。




ミドルメディアの行く末:この時代の編集を考える。

2010年08月08日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
代表的ミドルメディアのサイズについて。
gigazineって、結構大きいのですねぇ。

2010年6月1日 ~2010年6月30日 VR-interactive


さて、ミドルメディアとは、「マスメディアと、インターネットの掲示板やブログ・口コミといった個人メディアの中間にあるメディアのこと](wikipedia)とあり、藤代裕之(別名:ガ島通信氏)が定義したものであります。

当の「ガ島通信」blogには、ミドルメディアは2種類あるとされています。
  • プラットフォーム提供型(ユーザーが参加して記事やサイトのランキング、重要度などを評価していく。ソーシャルブックマークやソーシャルニュースなど)
  • 編集型(編集者が情報をさがし、価値があると判断した情報をユーザーに紹介する。J-CASTニュースやまとめサイトなど)
    また、つづけて藤代氏は
    「今後も広く使われるようであれば、ターゲットや利用者数などで、もう少し定義をしたほうがよいのかもしれません」とも書かれておりますので、変わっていくかもしれませんが、一応上記の定義の中で筆を進めます。

    次に、今回は、主に「編集型」に分けられるミドルメディアを通じて、今の時代の"編集"ということを考えてみます。

    インターネット時代になって、メディアの数が爆発したのですが、一次情報はblogを代表とするCGM、国内外マスメディア、そして、今や記者クラブにこだわらない広報活動の広がりで、直接取材の機会も増えています。そして、編集とは、あふれかえる一次情報を読者へ向けてただ単に整理整頓する事では無くなりつつあります。

    それは既にgoogleの仕事になりつつあるように思えます。2010年の現在、googleオーガニック検索において、私の検索履歴を反映させたものになっています。iGoogleを使ったニュースやblogブラウズのユーザー行動傾向を貯めているようには、現在は見えませんがいつ、カスタマイズされたもになっても不思議ではありません。

    この時代の編集とは、情報海を俯瞰して価値あるコンテクストを見つけ出し、一次情報を紡いで、一本の言説に仕立て上げることだといえるのではないでしょうか。

    そして、この「コンテクストを見つけ出す」という知的作業がこれからの編集型メディアの最重要なポイントであり、ネット上に散らばった情報を一次情報の多くにしているミドルメディアにとっては、まさに「生命線」ともいえるのではないでしょうか。

    そして、その知的作業の司令塔が編集長です。さらに、編集長のコンテストをライターたちがどこまで共有出来るかが、組織体をとっているミドルメディアの勝負どころだと思うのです。

  • iPad:究極のコンテンツビューア

    2010年08月01日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
    この週末、iPadを借りることが出来ましたので、いろいろと触ってみました。

    PCの進化系?では無いですね。

    パーソナルコンピュータは、基本的に作業の高速化・効率化をもって、生産性を高めるためのものですので、もちろんデータの処理能力が高くなることが進化の方向性であり、マンマシンインターフェイスの部分が、進化してこそ「PCの進化」といえるでしょう。たとえば、ボイス入力が実用レベルになるとか、指輪型の三次元ワイヤレスマウスが実装されるとか、、、。

    そういった意味でiPadは「PCの進化」の方向にあるものではない。

    たしかに、キーボードがソフトウェア化されることで、入力部分は進歩している感があります。

    具体的には、Returnキーがモードによって"検索"とか"登録"のように、そのキートップ表示を変えるところは"大変な"進歩だと見えますが、キー入力のために表示領域が激減するのは、決して"進化"とはいえないと思います。

    では、iPadはスマートフォンの進化系でしょうか?

    それも、そうとはいえない。第一「そのままでは、通話が出来ない。」

    えっ?「iPhone も通話は出来ない」ですって?それは、Soft Bank 3G環境の話であって、iPhone の機能自体の話しじゃぁ無いですね。ちなみに、iPadって、3GよりWiFiがその通信環境のデフォルトになっているようです。

    確かに、iPhone の先進的な機能を拡張していくと、iPad のようなものになることは理解できますが、いかんせん

    でかい!ブブゼラー♪

    重さは2年もすればずっと軽くなるのでしょうが、この大きさでは、スマートフォンと同じように使うことは出来ないと思います。だって、電車でメール見てても丸見えだもの・・。

    さて、改めて、iPad は何が進化したものかと考察すると。

    「紙に記されたモノ」と「電波を使って情報を配信するモノ」が進化したものといえると思います。

    具体的書くと
    「紙に記されたモノ」とは、
  • 新聞
  • 雑誌
  • チラシ
  • パンフレット
     もっとありそうだけど

    「電波を使って情報を配信するモノ」
  • テレビ
  • ラジオ

    そう、いわゆる「マスメディア」と呼ばれているものが、「進化した形」がこのiPad(のようなもの=いわゆるスレート)にはあるのです。

    ここで、改めて注意いただきたいのが「進化」という言葉です。

    iPad が紙やテレビなどの代替品だすれば、そこでは「変化」という言葉を使うべきでしょう。
    私が「進化」という言葉を使うのは、iPad(のようなもの=スレート)は、今のマスメディアに無い機能が付け加われて、その機能が"進化"と書くに足りる違いをこの世の中に与えるであろうことなのです。

    それは「双方向性」の実現であります。

    新聞が、雑誌が、テレビが、ラジオが、CDが、送り手から受け手への一方向のコミュニケーションであったとしたら、iPad(のようなもの=スレート)は受け手から送り手へむけた情報流を確立した、「進化したマスメディア」を実現するデバイスなのであります。

    iPad(のようなもの=スレート)が、単にマスメディアを"代替"するだけのものだとすれば、新聞社も、雑誌社も、テレビ局もそのデバイスに乗るも乗らぬも、いずれにしても、縮小均衡を図るしかないでしょう。

    しかし、このデバイスが「進化したマスメディア」を実現できるものだと受け止めれば、新聞社も、雑誌社も、テレビ局も大きな新たなるビジネスチャンスとしてチャレンジするに価値ある状況であると、今を考えてもいいのではないかと、私は思うのですが。

    どうでしょう?




  • セミナーメモ「広告の終焉論。」広告はなくなりますか?

    2010年06月06日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
    ネット広告の軽量化された明確な反応と、細かなセグメントに向けてパーソナルな販促情報提供ができるという事実。
    (たま)だから、マス広告はダメなんだ・・ということはないでしょう?

    セグメントされた趣味嗜好を形成するものは何か?


    web2.0のただ乗り理論
    (たま)んんん、それは、lisitingただ乗り論と言われていましたが、すでにgoogleはそこを脱却しています。

    ブランドと言うシンボル(言語・記号)形成をネットが代替出来るのか 
    (たま)お==っといきなりの暴言。

    販売促進の麻薬。価格、便益中心の情報はブランドをつぶす。
    (たま)ブランドは商品に価値の無いところに存在しえない。でしょ

    広告のマクロ視点からの機能=マクロ経済機能、イデオロギー機能>>生き方の提案。広告が大衆の一般欲(大衆欲)を作っている。
    (たま)すでに、大衆が存在しない(大多数でないという意味で)日本で、そんなこといってもなあ。インドとかアフリカにはまだあるかもねしれないけど。

    広告が行動に影響を与える商品
    飲料:ビールとお茶、最近ではペットボトルのお茶を消費する気にさせたのが広告である。
    (たま)私個人的にはペットボトルのお茶は随分前から待っていたものであり、それは、潜在的な消費者の欲求を達成させたものであり、けっして欲求を創ったものではないと思います。あえて言えば、潜在欲求を顕在化するのは商品開発であって、その商品を大量生産に乗せるための技術の一つが広告だと、いえるように思います。

    消費は良いものだという共有。新カテゴリーへのマクロ的な集合的欲望形成
    成長(明日はよりよくなる)という確信。ブランドと言う消費シンボルの形成流通。
    (たま)成長のベクトルは私たちの子供の時とはすっかり変わっていると感じるのは、まともな大人の義務だと思います。集団欲望については、すでに日本に大衆は無いにつづく。

    マス広告があるから、ネット広告が刈り取りをすることができる。
    (たま)それは全くその通りで、マス広告だけでは刈り取れないということ。

    (たま)若者の草食動物化って、若者の自動車離れを危惧するのは、若者から真反対の意味合いで毛嫌いされる。

    資本主義システムとは、自己表現と自由を主要原理とした人々の社会。過剰な意味と過剰な成長、自己決定欲望の工程と未来への確信
    たま)で、資本主義システムは全世界レベルで動いていることを認識しなければならない。

    もうすぐバスは発車する。広告主の求めているもの

    2010年01月27日 | 誰が日本の広告を変えていくのか
    今年の1月連休明けから始まっているPanasonicのNightColorキャンペーンを興味深く見ています。
    アラサーをターゲットにtwitterという、旬のツール(けして新しくはない技術だけど)を使いながらの、"パートナー。Panasonic"のブランディングキャンペーンと捉えていいと思います。

    このキャンペーンを通じて、世界を代表する電機関連メーカーであり、同時に世界を代表する広告主のパナソニックが何を求めているのかが徐々に見えてきました。

    それは、「自社製品を使っていただいている消費者に近づいていくこと。」なのだと思うのです。それは同時に、「大量生産、大量消費」、「マスプロダクション、マスセールス、マスコミュニケーション」からの決別だと言ってもいいのかもしれません。

    そこに、「どこまで消費者に近づけるか」、というはっきりとしたキャンペーンのゴールが見えてきます。

    そして、2010年2月4日(木)24:30 に渋谷をバスが発車します。

    それは、「お客様と同じバスに乗る」という、パナソニックの姿勢。

    まさに「人生(Life)のパートナーとしての想い(Idea)」というメッセージが極めて高い次元に昇華されていると感じています。

    Panasonicの企業メッセージは "Idea" "Life" に "Partner"が加わって完成形を見たのだと感じています。

    このキャンペーンを形作ったプランナーさんにぜひともお会いしたいものです。

    急げ!もうすぐバスは発車する。

    パナソニックNightColor

    重ねて言うまでもなく、私はPanasonicの回し者ではありません。