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UFOは、いますか?

2007年12月20日 | 人生はメンタルだよな
この件名「UFOは、いますか?」という文章に疑問を持たない方は、ご自分の使っている日本語について、考え直した方が良いと思います。
UFOは"ある"か"ない"か、という言葉を使うのが正しい日本語ですね。

ま、それはそれ。

【一つの見方】

「UFO」は異星人が乗って、この地球にやってくる乗り物ないしは、そういった現象(異星人が地球にやってくること)を表現した単語と定義できます。

「UFOが絶対いる。」(いるという表現については、上記参照)

と言うのは、上の定義を使えば「異星人が日本にやってくることが絶対に想定される」と理解されます。

それは、確かに国防上の課題であって、どこかの国が日本に向けて核弾頭ミサイル(普通のミサイルではないのね)をぶっ放す可能性を前提にするほどの、軍事的対応をしなければならないと思いますし、事実、先日大陸間弾道ミサイルの打ち落とし実験もされています(可能性が低いにもかかわらず。)

で、私の理解での国会答弁では、
『異星人がUFOに乗って地球にやってくることは国防上の課題になんかしてませんよ、ばかばかしいぃ!』
と言っただけで、異星人の存在の可能性とか、異星人が乗っている乗り物の存在可能性、とかに対して答えているわけではないと、思います。

「UFOは絶対いますよ」という脈絡の無い発言を大臣として、大臣の発言の場で言ってしまうのは、まったく、おばかとしか言いようがないのです。

【一方の見方】
UFOをその語源通りに「得体の知れない、飛行しているようなものが見える現象」と定義すれば、

それについて、国立大学(今はそうじゃないか)レベルの学術研究対象になっていないという国会答弁なのであれば、ちょっと問題かなぁと思います。

人間が認識できる現象を"ばかばかしい"の一言で学術研究の対象にしないというのであれば、科学的な目線を放棄していると私は考えています。

個人的には、霊的な現象(幽霊とか、そんなもの)というものも、存在としてあるだろうなあと思うのですが(事実体験した人が多くいる)、それは、科学(物理学と心理学あたり)の対象であり、科学的に研究すべき対象であると、思うのです。

そういったことも"ばかばかしい"といった感覚で無視してしまう状況はよろしくないなあと感じる今回の件でありました。

法務大臣が死刑執行のはんこを押す意味

2007年09月30日 | 人生はメンタルだよな


高校生の時に社会科の教師が言っていた事を思い起こすと。

議会制民主主義制度において、法務大臣は国民の代表の一人であるわけで、選挙制度のうえに乗って、国(国民)の法務関係の機能を代表・代理しているのだと解釈するべし、、と。

で、法務大臣が死刑執行のはんこを押すということは、「国民の代表として殺人を犯す」という理解になるのである。(私たち一人一人が電気椅子のボタンを押しているのである。)

裁判制度は、その罪人の罪の重さと罰の程度を決めるという作業であって、罰が決まってからその罰を与えるのは裁判所ではないはずである。(刑務所って裁判所の管理下にあるんでしたっけ?)

で、期限付きの刑罰の執行は、ある種自動的に行われるのであるが、死刑だけは、あまりにその行為が重いために、国民の代理代表者としての法務大臣がいちいちはんこを押すという仕組みになっている、といった話であった。

死刑という制度そのものが絶対普遍的に正しい刑罰であると決められない、という考え方が法務大臣の死刑はんこに現れている、という理解ができるのである。

刑罰は「つぐない」か「教育」かという根本論にもつながっていく。

経営者と中間管理職と末端社員

2007年09月28日 | 人生はメンタルだよな


会社運営の構造を、昔の農村運営になぞらえることが出来ます。

経営者が庄屋、中間管理職を庄屋の使用人そして、末端社員を小作人と。
(小作人の比喩は一部には問題視する向きもあろうかと思いますが、文脈を判りやすくするためと、ご容赦下さい。)

さて、田植え時、または穫り入れ時、小作人は田んぼに入って前かがみに作業をしています。使用人はあぜ道にたって、小作人たちの作業を見下ろして、なにかと指図をしています。
庄屋は小高い場所にある自宅の庭先から広がる田んぼを眺めています。

庄屋は自らの土地と、隣の土地、そして広がる平野と遠く連なる山々を俯瞰するように見渡すことが出来ます。これは、経営者が自社と市場と世界を見渡しているのと同じだと思います。

一方使用人はあぜ道に立って田んぼを見下ろしてこまごまと小作人たちに指示を出しているので、庄屋のような視点を持ちえません。これは、中間管理職が今月、今期、ここ数年の自分にかかわる業務についてしか考えられないのに似ています。

そして、小作人です。かれらは、ただ黙々と手元だけを見つめて仕事をしています。

しかし、小作人は手元だけを見て一生を終えていくしかないのでしょうか。

私は違うと思います。

彼らは、時たま手を止めて、かがんだ腰を伸ばします。そして、あぜ道に立ったこうるさい使用人の肩越しに遠く連なる山々を望むことが出来るのです。

もちろん、使用人も顔を上げて周りを見渡すことが出来るでしょう。しかし、あぜ道から一段下がった田んぼの只中にいる小作人には、隣の田んぼ、広がる平野はよくは見えず、はるか遠くに連なる山々だけを見つめることができるのです。

末端社員(特に若い人たち)は、会社の今日・明日、来年といった短期的な視野より、もっと先の、もっと高みを目指して欲しいし、それが出来る絶好の立ち位置にいることをわかって欲しいのです。

オレもがんばるから、オマイらもがんばれ!

盆休みで一句

2007年08月16日 | 人生はメンタルだよな
お盆休みに見たこと感じたことを俳句にしてみました。

冥土への 道 約するか 朝の虹
人はいつ死ぬやらわからぬということ

クマゼミが 楓に止まりて 夏さかり
まさに、生を輝かせている。

傘さして 僧侶来たるや 夏の空<br>


先祖が帰ってくるのでなく、生きている私たちが帰っていくのである


風の道 探し座ぶ置く 昼寝の間
夏休みの楽しみは昼寝にある


空蝉の 見つからぬまま 盆参り

盆参りは、生きている人に会いに行くことなのだなあ、と心深く感じる盆休みでございました。

選挙には行こう

2007年07月22日 | 人生はメンタルだよな
※公職選挙法に関するご注意


国際法上、非常識なのかもしれないけど、私は今のこの国の他の国に誇れるアイデンティティって、明文化されたものでは、憲法9条しかない(国って憲法でしか明文化されないもだろう)と思っているし、憲法9条をベースにしない日本国の運営について聞いたこともないので、憲法9条維持支持者であります。

いろんな争点がある今回の選挙だと思います。いつもそうだけど
年金・雇用・改憲・・・。いろいろ難しいこともあります。私の一票でこの国がどうなるかは、わかりません。

でも、選挙には行こう。

自分が日本国民であると、宣言をするために。