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夏の朝ひとりキーボードに指を乗せて(8)

2012年06月11日 | 夏の朝ひとりキーボードに指を乗せて
夏の朝ひとりキーボードに指を乗せて(8)

 平日になり、また妻は会社に出掛ける。そこで日常の多くの時間を費やし成果をあげる。ぼくはキーボードに向かう。そこにはほこりがたまり、たまにコーヒーがこぼれ、被害を受ける。

 昼飯を自宅で娘とすませ、宿題もして、気分転換にいつものファミリーレストランにデザートを食べに行った。
「由美ちゃん、お昼ご飯には来てくれなかったんだ?」と、児玉さんの娘の方。
「ママが作ってくれた。それを食べた。美人で、料理も上手だから。これは、洗脳されてるんだけど」
「ンフフ」児玉さんが笑う。「洗脳なんて、言葉知ってるんだ。口が達者ね」児玉さんはこちらを見る。「ほんとはどうなんですか?」
「そ、その通り。美人で料理も上手だよ。きちんと育てられたしね。ぼくみたいなものに見つけられなければ、まあ、もっとね」
「楽で裕福?」
「そうだろうね」そうだったのか? 「洗脳って付け加えてね、と由美はママに言われてるんだよ、ね」
「そうなんだ。あ、ごめんね、由美ちゃん。ちょっと待っててね。急いでプリン持ってくるから」彼女はうなずく。

 マーガレットの絵は形あるものになっていく。肌は生まれ色つやを帯び、瞳はまだなかったが、睫毛がつくられつつあった。その日も終わると、マーガレットは凝った首周りを廻しながらひとりごとのようにささやく。
「絵ができたら、どうしよう?」
「エドワードさんに差し上げたら」マーガレットの母のナンシーは自分の思いを伝える。
「どうして?」
「だって・・・」
「まだ何も決まっていないのに」マーガレットは口をとがらせるようにして言う。それから腹を立てて家を飛び出した。でも、行くところもなかった。ただ、海岸線に通じる馴染みの道をひたすらに歩いた。

 家に残ったナンシーは、楽で裕福な生活が娘に与えられることを望んでいる。人生は苛酷な体験ばかりを経験する場所ではないのだ、という信念があった。それは書物を通して知りえるもので、直に触れるものではなかった。

「はい、由美ちゃん」
「ありがとう」と由美は言う。感謝の気持ちを差し控えないこと、と妻は絶えず教える。そのときはにっこりとすること。それで、娘を連れ歩くぼくの評判も良くなった。自分は仏頂面をしていたとしても。
「先生、母がなにか書いたものを持っていったとか?」
「うん。我が壮大なる半生を」
「それで?」
「それで? まだ、読んでいる途中だけど」
「なにか失礼なことを言った?」
「少しはね」
「母がちょっとだけ憤慨していた」
「まあ、書いたものを批判されればね。ぼくなんかそれをずっと繰り返しているわけだから、お母さんに言ってあげてよ、気にするなって」

 ナンシーは自分の娘の肖像を眺めている。それをついには賛嘆している。身なりのあまりよくなかったレナードだが一旦筆を握れば、そこには本物だけが持つ証拠を提出させることができた。だが、それだからといって彼を全面的に信頼していたわけではない。家に注文を取りに来る御用聞きとなんら扱いは変わらなかった。レナードはそれで不愉快になるようなこともなかった。自分の実力だけを信じて生きてきて、それに他人がどう評価を加えようが批判を入り込ませようが、そのこと自体に関心がなかった。ただ、自分の仕事を完遂させるだけの時間が欲しかっただけだ。

 ぼくは家に帰り、机に向かう。自分の仕事と思っていたが、つい興味をそそられ児玉さんの半生を読み始める。結婚後、彼女はなかなか子どもができなかった。(またもや、その行為のことが長々とつづられるが、ぼくは読み飛ばす権利も持っているのだ)夫の親にもそのことを遠回しに言われ、やっと娘をさずかった瞬間が書かれていた。喜びを隠しながらその日に夫に伝えると意に反して彼はそのことに無関心でいた。期待が大きすぎた児玉さんはショックを受け、食事も喉を通らない。しかし、産まれた子どもを見ると、彼の態度もいくらか変わる。男性は父親としての才能を先天的には与えられていないのだ、後天的に学ぶのだ、その為にわたしは彼の手助けをしようと書かれていた。

 その子どもは、大人になり由美にプリンを運んだ。「悪くないね」とぼくは独り言を言う。そのために自分の仕事がはかどらなくなったとしても。
「パパ、なんか言った?」
「いや、仕事のことだよ」

 マーガレットは防波堤の隅みに座る。灯台は強がって家を抜け出た彼女を隠れさせてくれるように大きくそびえていた。そこでは自分の未来のことを考えずに、過去の楽しかったできごとを振り返っている。ここには、何年も来ていた。まだ父親がいるころ、よくここら辺りをいっしょに散歩した。彼女の父はがっしりとした体格の持ち主でそれだけでも子どものマーガレットにとって頼りになった。その点で、ケンは華奢だった。細い手足を見せながら、トラックで長距離走をしている。彼はどこまでも走れるような無尽蔵のエネルギーが見かけとは違いあるようだった。彼はおしゃべりも得意で、マーガレットをしばしば笑わせた。そこは父とは違っていても、彼女は親しみを覚えるようになる。無口な頼りがいのあるひとも尊敬できるし、笑わせてくれるケンのようなひともいっしょにいると安心できるようになった。


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