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傾かない天秤(18)

2015年11月14日 | 傾かない天秤
傾かない天秤(18)

 みゆきはダイエットについて心配している。頭のわずかな部分だが、常にシグナルを発している。警告音はしばしば遅れてやってくる。だが、その体型をあえて好む男性もいる。そして、意に反してなのか不明だが、彼女は最近、きれいになったという評判を得ている。

「うまくいっているんだ?」と、さゆりが訊く。自分自身も順調だった。友人通しが同じタイミングで幸運をつかむことなどなかなかないことかもしれない。世の中はシーソーのようにできているのだから。

 みゆきは概略を話している。だんだんと支流にすすむ。はた目には文句をいっているようにも聞こえるが、本心とは違うのだろう。第三者に対して自分の恋人を誉めるという行為はかなりむずかしいものだ。分析もされたくないし、必要以上の同意も恥ずかしい。男性の心理はどういうものだろう。異なる文化。別個の民族。

 話しながら甘いものを食べている。カロリーも知っている。凡その体積も把握している。だが、頭を麻痺させることも重要だ。スポーツの試合で興奮するより、テーブルにケーキがあった方が彼女の体内のエネルギーはより柔軟に、縦横に動いた。異なる解釈の男女。

 いつかそれぞれのカップルと四人で会うことが相談される。恋人が友人関係に及び、家族の一員に達する。両親は選べないが、配偶者は選べる。義理の息子や娘は理想に背くかもしれないが、孫の姿は見たい。よそよそしい関係も段々と打ち解けてくる。その前に恋人の両親の前で譲渡、贈与の儀式がある。

「ものじゃないよ!」

 お叱りが入る。わたしは小津映画をこの場で見過ぎたのだ。過剰に。家族の原型をあそこに求めている。旧式な考えに縛られている親がいる。ジェネレーション・ギャップがいつの時代にもあるが、小さなトラブルを乗り越え、ひとつずつ摩擦を解消してゴールに近付く。そのゴールを切った地点が新婚夫婦のスタートでもある。

 みゆきにもさゆりにもその幻想があるだろう。だが、直ぐにという訳にもいかないのかもしれない。急いては事を仕損じる。それぞれの仕事があって、生きがいや純粋な楽しみも感じている。ひとはハンモックのうえで、心地よい風を浴びながら寝転がって暮らしてばかりもいられない。腹を満たし、家賃や月々の光熱費をはらう。

「それに比して、ここは恵まれた環境だな。店賃もいらないし」

 税もなく、立ち退き料もない場所。浮世の辛さもない。人類の何人かの疑問を有しがちな頭にはユートピアの執拗な恋慕があった。片思いにも似た。現実の恋にいそしむ男女には不必要なものである。その脳は充分に手近なところで快感を得ている。

 みゆきは手帳に計画を書き込む。カレンダーという便利な発明品がある。なにげなく時計をみゆきは見る。刻々と時間は過ぎて、夜になって朝が訪れる。わたしの任務の日々も尽きようとしていた。

 わたしは本日で観察の結果を記す義務から解放される。とくに思い出にのこったものはどういう瞬間だったのか。ふたりが偶然に都会のある店で再会したこと。わたしたちには睡眠時の夢もないが、人間だったらあの日を何回か夢のなかで再現するのかもしれない。これもすべて想像だ。

 トータルではどうだろう? 何度かの大きな戦争。虐殺。殺戮。そこの住人すべてを無知な野蛮人だと誤解するまでに至った。だが、美しい義務感以上のものを有しているひとびとも確実にいた。

 自室にもどったわたしは人間でいうところの喪失感と等しいものに包まれている。別れにともなう感情。何に対してなのか明確なポイントが分からない。漠然とした焦燥のような感情の震えが波となってくる。だが、大して長持ちはしない。わたし個人のこれからの未来もあるのだ。

 太陽がまた昇る。わたしは担当の横でぼんやりとみゆきは眺めている。毎日、劇的なことばかりが起こったらくたくたに疲れ果ててしまうだろう。いつもの朝と、いつもの出勤の風景。痴漢は毎朝、同じ車両でつかまることもない。冤罪にしろ。昼の献立程度はすこし変わる。一般のひとはどれぐらいの種類の料理をシャッフルしているのだろう。九十ぐらいあれば三ヶ月。だが、豆腐や納豆や味噌汁は毎日、食卓にあがることも許される。あるチームの送りバントという戦術ほどに。

 横の担当者はシャキシャキと仕事をすすめている。有能であることは疑問の入口と出口のトンネルに渋滞など含ませないのだろう。機微というテイストもある。落語は主人公が迷い、漫才はぎくしゃくする会話で成立していた。わたしはなぜだか腹をかかえて笑いたかった。抱腹絶倒という感じで。この狭い一室で世の中のすべてを理解した気でもいた自分を呪い、あざけり、あるいは腹を立て、最終的には、手品師が鳩の姿をすっぽりと黒い幕で隠すように、すべてを覆い尽くして無心に笑いたかった。

「うわさだと次、地球に降りる順番らしいですよ」有能な担当者は電車内で居眠りしているみゆきを起こす方法を模索しながら、小声で言った。彼女はとなりの男性の肩にもたれすぎている。男女七歳にして。

「誰が?」
「誰がって、ここにいるのはわたしとあなた」
「トワエモア」

 わたしは喜びと驚きと怖さという咄嗟の感情の複合体となる。わたしも遂にあそこに行けるのか? 妊娠の予兆の前に誰かの胎内に入り込むチャンスが到来する。その間に記憶を抹消され、普通の男の子や女の子として誕生する。選べることはいたって少なく、その後に経験した一通りの人生を箱につめこんで、ここでの生活に再活用される為に帰還する。わたしは生意気にも多くの事柄を無節操に批判してきた。だが、あれ以上の貴さを自分は発揮できるのか? わたしは母や父の顔を予想する。病院で産声をあげる。あと一年弱であの地球の一員になっているのだ。カレーの宣伝の文句を借りれば、ただ、感激であった。


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