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傾かない天秤(17)

2015年11月08日 | 傾かない天秤
傾かない天秤(17)

 銃口があれば対象物に向けるのがひとの性だ。そして、ど真ん中の十点を狙う。

 遍歴。相手を通したさゆりの歴史。

 ルー・リードとエリオット・スミスが好きな年上の男性。彼はこの後者の悲しげな声の持ち主と同じ日に生まれたことが大層、自慢だった。だから、別れてもさゆりはその日を忘れられなくなる。他の要因とも重なってだが、その日付は広島の日でもあったのだ。

 彼の次(明確な順番はタッチの差だ)は、とにかく車と洗車が好きな男性がいる。さゆりは礼儀正しく車に乗る。彼の場合は、単なる移動手段ではないからだ。そこは応接間でもあり、快適なリビングでもあった。ときには寝室にもなる。海に行った翌日、彼は一粒の砂ものこらないように丹念に、入念に掃除した。その割に自室はマンガ本や車の雑誌が散乱していた。大人の女性のディスクもある。さゆりは自分とタイプが異なる女性を選ぶ彼を変な目で見た。反対に自分と似ていても困った展開になっただろうと思う。

「目の男性と皮膚感覚の女性」
「王道の意見ですね」

 統計を見る。独身男性の平均的な所持率。もちろん、マニアやコレクターはどこの世界にもいる。既婚男性の処分数の割合。泣く泣く手放した我が子。数字で計れる問題ではないのかもしれないが。

 別れたときに悲しんでも、永続的な悲哀をもたらすには至らなかった。酷い傷になる場合もあるが、さゆりには幸運なのか不運なのか訪れていない。ひとは契約もなく口約束で交際をする。その過程を省くときすらある。婚約や結婚には指輪と薄い紙切れが必要だった。並んで署名して。

 一夫一婦制が間違った形式であると考えているひともいる。アニメのヒロインの感情も無視して。たくさんの妻がいるうちのひとりという主人公(四番目の妻)ではアニメ制作会社の社長はゴーサインを出さないだろう。なかにはきちんとした戸籍や名簿をもたない民族もいる。文字にして文書化することが文明の最初であると仮定するなら、文明の範疇に入らない人々もいた。それを有したからといって無限に寿命が延びるわけでもないので、一先ずはどうでもいい問題かもしれない。

 さゆりのある方面の歴史はあっさりと終わる。これからが増えていくのだ。未然に分からない日々を毎日、更新して生きていく。可能性の袋はまだたたまれたままで品物が放り込まれるのを待っている状態だ。

 だが、未来をともにするひとがいる。いや、希望の段階だ。部屋も片付き、掃除も行き届いている。収入も定期的に入る。変な趣味もくせもない。ものすごい方言も使用しない。

「美人で優しいひとに会えると思わなかった」と、お世辞のようなことばもすらすらといえる。よどみない華麗な話術。
「朴訥な日本人は絶滅したのかな?」
「いやいや、まだ主流ですよ」わたしの業務の引継ぎも順調だ。

 欠点ですら受け入れてしまうのが恋の魔力でもあるのだろうが、この男性にはそれらしきものは見当たらなかった。他人の目を通せば、嫉妬や羨望につながってしまう恐れがあったが、これまた彼には寄りつかないらしい。完璧な恋人。その役割が夫や父としても転用できるのか、それは未来にしか分からない事柄だ。即座の決定を拒み、保留や棚上げということにする。一介の観察者に過ぎないのだ。

「それも仕事の勧め方だよ」わたしは、もっと早く手を抜く方法を身につけるべきであった。

 大人は服を着る。文明人の最たる証しだ。大人は服を脱ぐ。わたしの目の前のモニターは消える。監視者ふたりは照れたように沈黙する。

「大人は自分で判断して、また、相手との成り行きに任せられるひと」

 ふたりはひとりに勝る。ひとりっこは愛情で多くの兄弟に囲まれるものより得る。そして、多くの人生上での真実により失うものも多い。

 愛情の交換により子孫がどこかの段階で発生する。意図しなくて芽生え、意図してもプレゼントが来ない場合もある。わたしはコレクションとしてもっとも似ている親子の写真と、もっとも似ていない親子の写真をこの時間に見比べる。まるでコピーの機器の会社の宣伝に打ってつけのような写真だった。もう一枚は、難解なクイズのように組み合わせを一致させるのに時間がかかる。すると電気がつく。彼らふたりの混合物はいったいどういう姿をするのだろうか想像する。どう否定的な考慮を加えようともハンサムな男の子や可愛らしい女の子しか考えられなかった。わたしの苦手なアニメ映画のような結末になる。銀の匙を咥える。ふたりはひとりに勝る。三人もより良いものかもしれない。

 わたしの一日の業務は終わる。あと数日しかない。客観的な報告に終始するつもりが、観察者の自叙伝のようなものが紛れ込んでしまった。これも宇宙の片隅には必要だったのだろう。重要と不要の間にあるのがほとんどで、その中心を狙いながらも、逸れていくのがコントロールの悪いピッチャーの常である。しかし、九回まで投げ抜きました。コーチや監督の才能があれば、次の生活も楽しくなるだろう。また一から練習し直すのも、それはそれで楽しいものかもしれない、な。


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