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償いの書(41)

2011年04月10日 | 償いの書
償いの書(41)

 裕紀は仕事を辞めて、家にいるようになった。ぼくらは、どちらも30歳という年齢を越え、ある面での若さを失い、ある面での経験を手に入れた。ぼくは、それだけ稼げるようにもなったが、その分だけ忙しくなり、自分の自由な時間や思考を手放しつつあった。

 彼女といっしょに出勤することや帰宅することはなくなった。同じ時間を共有するということも当然のように減った。ぼくらは、そういう社会に組み込まれており、想像するだけしかないが、どこかの田舎や森林のなかの家で、手に職をもって互いの存在を濃密にすることなど、不可能だった。

 彼女は仕事を辞めたが、以前に関係をもったひとびとから頼まれ、自宅内で無理しない程度に、文章を翻訳したり、契約書の違う世界の言語に訳す際の不備を見直したりした。そのために、ある場合には出かけて行って打ち合わせをした。まったく何もしないで生活することなど人間にはできないのだろうから、彼女にとっても、それは張り合いのある生活らしかった。彼女が喜んでいれば、それはぼくにとっても同程度以上の喜びになっていった。

 彼女は、その頃から疲れやすい体質に変わっていった。あまり、それを口に出さないものだから、ぼくは時間が経てばその症状が軽減していくものだと予想した。それでも、たまにそのことを言えば、ぼくも、心配したが結局は、なにか簡単なことを手伝ったりするだけで、あとは、「病院できちんと見てもらうといいよ」と促し、それを見届けることもしなかった。まだ、自分たちの年齢で、大病することなど、あまり考えられなかった。それは、ぼくがあまりにも若い頃に身体を鍛え上げたため、病気を一切しない身体になってしまったこととも関係があるようだった。そして、ただ、何年も働いてきたために、仕事を辞めふと隙間と余裕が入ってきたために一時的に身体が不調を訴えてくるのだと思おうとした。だが、ぼくは医者でも看護師でもなかった。ただの夫だった。

 彼女は自分の仕事で手に入れた収入で、妹のこどもに洋服を買った。ぼくは、それによくつき合わされ、見慣れない小さな服を自分でも手にした。それから、ぼくへのプレゼントもたびたびくれた。それなりに仕事で会うひとびとも増え、彼らの役職もそれなりに高くなっていった。そのために、ぼくがつまらない服装をして見下されるのを恐れるように、彼女はぼくの外見を気遣った。だが、ぼくは彼女は自分のために使うことを望んでいたし、たまにはそうしてもいるようだったが、基本的には他者を思いやることで費やされているようだった。

「自分のものも買えば」ぼくは、自分のネクタイやシャツや妹の子どものための服やおもちゃを手にしながら、その言葉を何度も吐いた。

「もう充分ある」と言って、彼女はそのことばを7、8割ほど無視した。

 休日は、それらをコイン・ロッカーにしまい、その後で映画を見たり食事をしたりした。ご飯を食べながら字幕の言い回しをぼくに解説したりもした。彼女は字幕を必要としない言語力を有していたので、小さなメモ帳に先ほどの言葉の訳し方をレストランのテーブルの上で書いた。

 ぼくは、それを見ながら、ぼくらが離れていた月日と原因のことを考えないわけにはいかなかった。ただ、彼女の無心な表情を見ていると、それを過去の象徴的な海の中にでも捨てる時期に来ていることを知った。ぼくは、それでも薄らいでいく記憶をもちながらも、そのことを忘れることを難しく感じていた。

 また荷物を取り出し、ときには妹の家にそのまま寄った。ぼくにとっての甥っ子は裕紀にとてもなつき、彼女がいればそのそばにずっと寄り添っていた。彼女の明るい笑顔を見ていると、彼女の日頃の身体の不調のことなど、ぼくは忘れてしまっていた。
 妹は手際よく料理を作り、ぼくらを歓待した。ぼくはその様子を不思議なことといまだに感じている。また慣れというものが、すべての才能を追い越すこともあるのだとも考えている。夫である山下の食欲は、ぼくが知っていた学生時代よりもかすかだが減っていった。ぼくは、そのことにも驚き、スポーツ選手の早すぎる老いや限界を感じた。彼にとっても別の人生を片隅に作り出す必要があるのかもしれない、と考えた。だが、それを口に出すことは躊躇してしまい、結局は訊けずにいた。自分でも心配しているならば、そして、ぼくが必要とされているならば、当人から直接訊いてくるタイミングがあるのだと思った。それを言う前に自分から言うのは気が引けた。そして、真剣な話もない、楽しい夕飯のひとときとなった。

 甥っ子へのプレゼント分だけ軽くなった荷物を抱え、ぼくらはそこを後にする。日曜の緩やかな時間の流れの上にぼくは漂い、裕紀がそこに留まらせていてくれた。明日からは、また忙しい日々になるのだろう。

 家に着き、裕紀はシャワーを浴びている。ぼくは、その缶にビールを開け、若かった、どちらも若かったぼくと山下のことを思い出している。ふたりで過ごした楽しい時間はとても貴重なものだった。その彼が夢を叶えたにせよ、その報いは永久的なものではなく、新たな生活を切り開かなければならないことを悲しみと応援をしたくなる気持ちの矛盾を不確かなまま、それでも確かめていた。
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