流求と覚醒の街角(40)池
ぼくらの目の前には大きな池があった。反対側は中央にある小高い島が視界をふさぎ、よく見えなかった。ぼくらの後方には案内板があった。そのなかの赤い文字が現在位置を教えてくれる。
「1週、どれぐらい時間がかかると思う?」と、奈美が訊ねた。
「多分、30分ぐらいじゃない」ぼくは下の表示のメートルでおおよその時間を計算する。ぼくの足だと。
「じゃあ、反対側にすすむと、この辺りで15分後に会うことになるわけだね」奈美はある一点を指し、そう言った。
「そうなるね。多少、場所はずれるかもしれないけど」
「この辺か、この辺」奈美は最初に指した箇所から池のふちに沿って指を左右にずらした。「やってみる?」
「何を?」
「何をって、反対にむかって歩く。もし、わたしの方がここより近づいたら、ご褒美ちょうだい」
「走るかもしれないじゃん?」
「走んないよ。誓うよ」奈美はまじめな表情でそう言った。自分で決めたら、確実に守るのだろう。ある面で頑固な性格だ。「じゃあ、行くよ」それから、ぼくらは儀式的に背中を貼り合わせ、それを引き離すように歩き出した。待ち合わせでもなく、ぼくは奈美をその時間だけ失う。
ぼくの側には大きな道路があった。なるべくなら、反対側の静かな方がよかったなと今ごろになって後悔する。しかし、休日の道路はそれほど交通量も多くはなかったので、予感は良いほうにも外れたのだ。思ったより静かだった。ぼくは池に沿ってなだらかに右側に傾く。だから、奈美は運動会と同じように左側に向かってカーブした道を歩いている。
ぼくは孤独な作業をしているはずだが、絶えず奈美のことを考えてもいた。当然といえば、当然だ。いままさに同じ行為をしているのでもあり、遠くもない未来に決めた地点の前後で彼女と会うことになっているのだ。未開の運命ではない。あらかじめ決められた未来。それはまったくの手付かずの行為でもないわりには、新鮮味もそこそこにはあった。奈美のご褒美というものは一体、どういうものを期待しているのだろうか。ひとりで歩いているだけなのでいろいろ考えられる。そうだ、ぼくが走っても良かったのだ。大人気なく距離を稼ぐ。ぼくの左側には案内板がまた出てくる。池の形状はまったく同じだが、現在地の表示は歩いた分だけ移動している。ぼくは半分近く歩いてしまっているようだった。奈美も同じぐらいすすんでいるのだろう。すると、このあたりがいちばん遠い距離にいるということなのだろうか。正反対あたりを奈美は真剣に歩いている。
地元のひとが思い思いの格好でジョギングをしていた。競技用の自転車も横を通り過ぎる。彼らにとっての日常である。ぼくにとっての日常も奈美と離れ、会うことを基盤にしてできているのだろうか。ここでは迷うこともない。別のルートはないのだ。星の軌道をずっと観測しているひともいる。数年後におおきな星の群れを観測できることをあらかじめ知っているひとたち。だが、急激に落下する隕石などは、その予測からももれてしまうのだろうか。素人の自分には分からなかった。ぼくが奈美と会うということも、数年前は分からなかった。もっと前は、その前の女性との別れが来ることも知らなかったぐらいだ。すると、別のおおきな何かはぼくと奈美を会わせたがっていたのだろうか。ただ、それをぼくが望んだ結果だからなのか。あの日、急病でもして、友人を祝うための集まりに参加できなかったら、それと同等のぼくが誰かを愛したいというきもちは別の対象を探し、目の前にあらわれるべきその女性を愛したのだろうか。その女性は池の周囲を反対向きに歩こうなどと提案しただろうか。ぼくの頭は歩いた結果、血が廻りたくさんの想像を紡ぎだした。
最初に案内板で確認した地点に近づいてきた。彼女がわき道にもし逸れたら、この池を何週しようがぼくらが対面することはない。それは普段も同じだった。もし、彼女のぼくに対するきもちがなくなったら、会う約束も今後しなくなる。ぼくが別の軌道にのったり、ほかの惑星と例えられる女性に向かって衝突しようと願ったら、一生、会うこともないのだ。
ぼくは前の女性と別れてからも、どこかでこの気持ちが正直な純粋な愛で、報われることがあるなら再会するチャンスもあるのかもしれないと思っていた。しかし、今日までその機会は訪れなかった。あれは、確かな愛ではなかったのか、それとも、報われる必要などないと誰かが決めたかのどちらかなのだろう。正解は誰も知らない。少なくとも、ぼくは知らない。ぼくが気にも留めなくなったら、地球に存在する誰一人としてこの問題は気にも留めないのだ。事実というのは、悲しいぐらいに残酷で、そうしたさっぱりとしたものなのだろう。
すると、奈美の姿が小さく見えはじめた。およそ予想した地点で出会うことになりそうだ。彼女もぼくを視界に入れたようだ。ふざけて走る真似をする。彼女の背中から追い越すランナーがあらわれる。奈美以上にぼくに関心をもつひとがあらわれるのだろうか。反対に、ぼくは奈美以上に誰かと会うことを楽しみにしてしまうのだろうか。ぼくらの距離は20メートルにも満たない。ぼくは腕時計をちらと見る。17分ぐらいあれから経っていた。あれから、17年という単位もくるのだろうか。奈美の鼓動を感じられるまでの距離になった。
ぼくらの目の前には大きな池があった。反対側は中央にある小高い島が視界をふさぎ、よく見えなかった。ぼくらの後方には案内板があった。そのなかの赤い文字が現在位置を教えてくれる。
「1週、どれぐらい時間がかかると思う?」と、奈美が訊ねた。
「多分、30分ぐらいじゃない」ぼくは下の表示のメートルでおおよその時間を計算する。ぼくの足だと。
「じゃあ、反対側にすすむと、この辺りで15分後に会うことになるわけだね」奈美はある一点を指し、そう言った。
「そうなるね。多少、場所はずれるかもしれないけど」
「この辺か、この辺」奈美は最初に指した箇所から池のふちに沿って指を左右にずらした。「やってみる?」
「何を?」
「何をって、反対にむかって歩く。もし、わたしの方がここより近づいたら、ご褒美ちょうだい」
「走るかもしれないじゃん?」
「走んないよ。誓うよ」奈美はまじめな表情でそう言った。自分で決めたら、確実に守るのだろう。ある面で頑固な性格だ。「じゃあ、行くよ」それから、ぼくらは儀式的に背中を貼り合わせ、それを引き離すように歩き出した。待ち合わせでもなく、ぼくは奈美をその時間だけ失う。
ぼくの側には大きな道路があった。なるべくなら、反対側の静かな方がよかったなと今ごろになって後悔する。しかし、休日の道路はそれほど交通量も多くはなかったので、予感は良いほうにも外れたのだ。思ったより静かだった。ぼくは池に沿ってなだらかに右側に傾く。だから、奈美は運動会と同じように左側に向かってカーブした道を歩いている。
ぼくは孤独な作業をしているはずだが、絶えず奈美のことを考えてもいた。当然といえば、当然だ。いままさに同じ行為をしているのでもあり、遠くもない未来に決めた地点の前後で彼女と会うことになっているのだ。未開の運命ではない。あらかじめ決められた未来。それはまったくの手付かずの行為でもないわりには、新鮮味もそこそこにはあった。奈美のご褒美というものは一体、どういうものを期待しているのだろうか。ひとりで歩いているだけなのでいろいろ考えられる。そうだ、ぼくが走っても良かったのだ。大人気なく距離を稼ぐ。ぼくの左側には案内板がまた出てくる。池の形状はまったく同じだが、現在地の表示は歩いた分だけ移動している。ぼくは半分近く歩いてしまっているようだった。奈美も同じぐらいすすんでいるのだろう。すると、このあたりがいちばん遠い距離にいるということなのだろうか。正反対あたりを奈美は真剣に歩いている。
地元のひとが思い思いの格好でジョギングをしていた。競技用の自転車も横を通り過ぎる。彼らにとっての日常である。ぼくにとっての日常も奈美と離れ、会うことを基盤にしてできているのだろうか。ここでは迷うこともない。別のルートはないのだ。星の軌道をずっと観測しているひともいる。数年後におおきな星の群れを観測できることをあらかじめ知っているひとたち。だが、急激に落下する隕石などは、その予測からももれてしまうのだろうか。素人の自分には分からなかった。ぼくが奈美と会うということも、数年前は分からなかった。もっと前は、その前の女性との別れが来ることも知らなかったぐらいだ。すると、別のおおきな何かはぼくと奈美を会わせたがっていたのだろうか。ただ、それをぼくが望んだ結果だからなのか。あの日、急病でもして、友人を祝うための集まりに参加できなかったら、それと同等のぼくが誰かを愛したいというきもちは別の対象を探し、目の前にあらわれるべきその女性を愛したのだろうか。その女性は池の周囲を反対向きに歩こうなどと提案しただろうか。ぼくの頭は歩いた結果、血が廻りたくさんの想像を紡ぎだした。
最初に案内板で確認した地点に近づいてきた。彼女がわき道にもし逸れたら、この池を何週しようがぼくらが対面することはない。それは普段も同じだった。もし、彼女のぼくに対するきもちがなくなったら、会う約束も今後しなくなる。ぼくが別の軌道にのったり、ほかの惑星と例えられる女性に向かって衝突しようと願ったら、一生、会うこともないのだ。
ぼくは前の女性と別れてからも、どこかでこの気持ちが正直な純粋な愛で、報われることがあるなら再会するチャンスもあるのかもしれないと思っていた。しかし、今日までその機会は訪れなかった。あれは、確かな愛ではなかったのか、それとも、報われる必要などないと誰かが決めたかのどちらかなのだろう。正解は誰も知らない。少なくとも、ぼくは知らない。ぼくが気にも留めなくなったら、地球に存在する誰一人としてこの問題は気にも留めないのだ。事実というのは、悲しいぐらいに残酷で、そうしたさっぱりとしたものなのだろう。
すると、奈美の姿が小さく見えはじめた。およそ予想した地点で出会うことになりそうだ。彼女もぼくを視界に入れたようだ。ふざけて走る真似をする。彼女の背中から追い越すランナーがあらわれる。奈美以上にぼくに関心をもつひとがあらわれるのだろうか。反対に、ぼくは奈美以上に誰かと会うことを楽しみにしてしまうのだろうか。ぼくらの距離は20メートルにも満たない。ぼくは腕時計をちらと見る。17分ぐらいあれから経っていた。あれから、17年という単位もくるのだろうか。奈美の鼓動を感じられるまでの距離になった。