流求と覚醒の街角(31)首
ぼくは奈美と食事をしている。仕事帰りの外食。
「ちょっと待ってて」と彼女が言って、一瞬消えた。そこはデパートのうえにあるレストランだった。彼女はなぜか外に出てしまった。注文を済ませた料理が出てくるにはまだ早い。少し経って彼女は四角い箱を持って戻ってくる。
「買おうか、ほかのものにするか迷ったんだけど・・・」と、付け加える。
「ぼくに?」
「そう」四角いテーブルに四角い箱が並列に置かれる。それを彼女は片手で押し出す。ぼくはそれをつかみ、中のものを想像する。当てるのは簡単なようだ。その形状は長方形で、デパートで売っているようなものであれば、首に巻くものだろう。ぼくは目で彼女に確認して、包装を無雑作に破る。中からでてきたものはネクタイだ。ぼくは箱を開け、なかの色や模様を確認する。そして、いま自分が首に巻いているものとの差異と相似点を比べる。自分が似合うと思っているものと、ひとが似合うだろうと予想しているものでは、ちょっとだが違う。まったく同じであってもつまらない。それがプレゼントの美点を奪うかもしれない。彼女がぼくに似合うと思っているものは多分こういうデザインなのだろう。
ぼくは、それから自分の家にあるものを思い出す。大した本数もないが、自分が必要に応じて買い揃えるものは、やはりどこかで似通っている。何人かから貰ったものは、まったくしないか、時たまするぐらいで出番が少なくなる。どうやって手に入れたかも分からないものもある。だから、それがどこまで正確なものかも区分けできない。
「何かの記念日だったっけ?」この状態が一段落すると、当然の疑問のようにぼくはそう訊く。見落としていたものがあったのだろうか。
「とくに、そういう訳じゃないよ。ただ、前を通って似合いそうだなと思っただけだから」
彼女がその紳士服売り場の前を通りかかったときには、ぼくが頭のなかにいたのだ。不思議なものだ。
「似合うかな?」
「変えてきなよ。簡単でしょう?」
「簡単だけどね」料理はまだ出てこない。それは他の席も同じようだった。焦れた子どもの注意力も散漫になっていて、うろうろしている子もいた。「じゃあ、変えてくるよ」
ぼくは、その新品のネクタイを持ち、レストラン街の奥のトイレに行った。ぼくがネクタイを外し、新たなものを結びなおすと、となりで手を洗っていた男性は怪訝な顔をした。「なぜ、今ごろ?」と、その顔にはあった。
それを済ませ、またぼくはレストランに入る。店員は会釈をする。もう店の前で並んでいる客はいなかった。
「どうかな?」と、ぼくは訊ねる。男性の変化など極く限られた範囲であるものだ。髪型もほぼ変化を加えない。仕事用の服装も似通っている。制服としてのスーツがあり、足元は革靴を履いている。奈美の服装を見る。髪のまとめ方。カーディガンの色。すると、料理も運ばれてきた。いろいろなことを待っている間に思い掛けなくできたようだった。彼女はフォークをつかんでアスパラガスを刺して食べている。みどり。
ぼくも食べながら家にあるネクタイの柄を思い浮かべていた。それは、具体的に目の前にして見ないとなかなか思い出せなかった。しかし、ある一本のことは、頭から消えることもなかった。前の女性がくれたものだ。しばしば使うものでもない。登場する機会も少ない。大事にしようと思っているからそうするのか、どこかで昔のものだと規定しているのか、自分としても判然としなかった。ぼくは、それで、また自分の上半身を見る。どこかで浮ついている。はじめてしたのだから仕様がないのかもしれないが、まだまだ馴染んでいなかった。
「気に入らない?」奈美は珍しく心配げな表情をする。「似合ってるけど」
「ネクタイって個性があればあるほど、良くない気もしてきた。それに、その姿を自分はいちばん見ることもできない」
ぼくが奈美といっしょに歩いている姿を見ることもできないのが自分だった。しかし、それをどうこう詮索することも他人はしない。例えば、それを気にかけるのは奈美の両親だけのようでもあった。でも、付加価値もあるのだ。ぼくの年収。ぼくの家柄。ぼくが奈美へ示すであろう愛情の度合い。
「写真にでも撮る?」
ぼくは奈美の部屋で数々の彼女の写真を見た。親しかった高校生のときの友人。ふたりはとても似通っていた。そのお互いに似せようと頑張った部分が友情の証でもあるようだった。ぼくは、その子ともし会ったならば、二人目の恋人はその子であったという可能性を考えてみた。もちろん、無意味であることは知っているのだが、それぐらい彼女たちは一心同体であるようだった。
男性は、差異を、または優越感を見つけようとどこかで頑張っているのかもしれない。友人に比べてこの部分は勝っているのだから、恋の勝者になり得る権利を有するのだろうと、甘い目論見を企てる。だが、同じような年代の女性がどこに重心を置いているのかはまったく知らない。
彼女たちも大人になり、その恋人にネクタイをプレゼントするようになる。自分の愛するひとは社会に帰属する一員でもあるのだ。その社会での成功が自分の幸福に直結するのかもしれない。ぼくは、ただ首に巻かれている布だけで大層な思い込みをしているのだろう。
「奈美は、なにが欲しいの?」と、ぼくは食後のコーヒーを飲みながら訊く。その答えによって、ぼくはどう変化するのだろう。また、どれほど頑なであり、意固地にもなれるのだろう。
ぼくは奈美と食事をしている。仕事帰りの外食。
「ちょっと待ってて」と彼女が言って、一瞬消えた。そこはデパートのうえにあるレストランだった。彼女はなぜか外に出てしまった。注文を済ませた料理が出てくるにはまだ早い。少し経って彼女は四角い箱を持って戻ってくる。
「買おうか、ほかのものにするか迷ったんだけど・・・」と、付け加える。
「ぼくに?」
「そう」四角いテーブルに四角い箱が並列に置かれる。それを彼女は片手で押し出す。ぼくはそれをつかみ、中のものを想像する。当てるのは簡単なようだ。その形状は長方形で、デパートで売っているようなものであれば、首に巻くものだろう。ぼくは目で彼女に確認して、包装を無雑作に破る。中からでてきたものはネクタイだ。ぼくは箱を開け、なかの色や模様を確認する。そして、いま自分が首に巻いているものとの差異と相似点を比べる。自分が似合うと思っているものと、ひとが似合うだろうと予想しているものでは、ちょっとだが違う。まったく同じであってもつまらない。それがプレゼントの美点を奪うかもしれない。彼女がぼくに似合うと思っているものは多分こういうデザインなのだろう。
ぼくは、それから自分の家にあるものを思い出す。大した本数もないが、自分が必要に応じて買い揃えるものは、やはりどこかで似通っている。何人かから貰ったものは、まったくしないか、時たまするぐらいで出番が少なくなる。どうやって手に入れたかも分からないものもある。だから、それがどこまで正確なものかも区分けできない。
「何かの記念日だったっけ?」この状態が一段落すると、当然の疑問のようにぼくはそう訊く。見落としていたものがあったのだろうか。
「とくに、そういう訳じゃないよ。ただ、前を通って似合いそうだなと思っただけだから」
彼女がその紳士服売り場の前を通りかかったときには、ぼくが頭のなかにいたのだ。不思議なものだ。
「似合うかな?」
「変えてきなよ。簡単でしょう?」
「簡単だけどね」料理はまだ出てこない。それは他の席も同じようだった。焦れた子どもの注意力も散漫になっていて、うろうろしている子もいた。「じゃあ、変えてくるよ」
ぼくは、その新品のネクタイを持ち、レストラン街の奥のトイレに行った。ぼくがネクタイを外し、新たなものを結びなおすと、となりで手を洗っていた男性は怪訝な顔をした。「なぜ、今ごろ?」と、その顔にはあった。
それを済ませ、またぼくはレストランに入る。店員は会釈をする。もう店の前で並んでいる客はいなかった。
「どうかな?」と、ぼくは訊ねる。男性の変化など極く限られた範囲であるものだ。髪型もほぼ変化を加えない。仕事用の服装も似通っている。制服としてのスーツがあり、足元は革靴を履いている。奈美の服装を見る。髪のまとめ方。カーディガンの色。すると、料理も運ばれてきた。いろいろなことを待っている間に思い掛けなくできたようだった。彼女はフォークをつかんでアスパラガスを刺して食べている。みどり。
ぼくも食べながら家にあるネクタイの柄を思い浮かべていた。それは、具体的に目の前にして見ないとなかなか思い出せなかった。しかし、ある一本のことは、頭から消えることもなかった。前の女性がくれたものだ。しばしば使うものでもない。登場する機会も少ない。大事にしようと思っているからそうするのか、どこかで昔のものだと規定しているのか、自分としても判然としなかった。ぼくは、それで、また自分の上半身を見る。どこかで浮ついている。はじめてしたのだから仕様がないのかもしれないが、まだまだ馴染んでいなかった。
「気に入らない?」奈美は珍しく心配げな表情をする。「似合ってるけど」
「ネクタイって個性があればあるほど、良くない気もしてきた。それに、その姿を自分はいちばん見ることもできない」
ぼくが奈美といっしょに歩いている姿を見ることもできないのが自分だった。しかし、それをどうこう詮索することも他人はしない。例えば、それを気にかけるのは奈美の両親だけのようでもあった。でも、付加価値もあるのだ。ぼくの年収。ぼくの家柄。ぼくが奈美へ示すであろう愛情の度合い。
「写真にでも撮る?」
ぼくは奈美の部屋で数々の彼女の写真を見た。親しかった高校生のときの友人。ふたりはとても似通っていた。そのお互いに似せようと頑張った部分が友情の証でもあるようだった。ぼくは、その子ともし会ったならば、二人目の恋人はその子であったという可能性を考えてみた。もちろん、無意味であることは知っているのだが、それぐらい彼女たちは一心同体であるようだった。
男性は、差異を、または優越感を見つけようとどこかで頑張っているのかもしれない。友人に比べてこの部分は勝っているのだから、恋の勝者になり得る権利を有するのだろうと、甘い目論見を企てる。だが、同じような年代の女性がどこに重心を置いているのかはまったく知らない。
彼女たちも大人になり、その恋人にネクタイをプレゼントするようになる。自分の愛するひとは社会に帰属する一員でもあるのだ。その社会での成功が自分の幸福に直結するのかもしれない。ぼくは、ただ首に巻かれている布だけで大層な思い込みをしているのだろう。
「奈美は、なにが欲しいの?」と、ぼくは食後のコーヒーを飲みながら訊く。その答えによって、ぼくはどう変化するのだろう。また、どれほど頑なであり、意固地にもなれるのだろう。
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