hiroべの気まま部屋

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川崎大師・境内碑蹟めぐり:大山門エリア3

2020-03-12 08:09:12 | 寺社・神社巡り

(川崎大師・清瀧権現堂)




 『今朝の天気』


(7:30頃)

 今朝の温度(6:00) 室温 リビング:19.2、 洗面所:21.5、 湿度(リビング):21%
 (昨日の外気温 東京、最高気温:21.4、最低気温:12.9
  本日の予想気温 最高気温:16、最低気温: 8)



 川崎大師の碑蹟めぐりの続きで、大山門エリアとしては最終回です。
 大山門をくぐって右側に「お水屋」がありましたが、逆に左に曲がった土塀沿いに2つの碑蹟があります。⑤の御遠忌供養塔と⑥の入江相政氏歌碑です。

 ⑤御遠忌供養塔

 
 昭和59年〈1984〉3月に弘法大師1150年御遠忌記念として立てられたものです。「御遠忌(ごおんき)」とは、『祥月忌日を一周忌,三周忌と重ねていって 50回忌以上の年忌になるとこれを遠忌とよび、 100回忌以上になると 50年ごとに遠忌を行う。一宗の開祖や中興の祖,あるいは寺の開基などのためにとり行われるもの。』ということです。
 

 ⑥入江相政氏歌碑

 
 入江相政氏と言われても誰れ?となりますが、入江侍従長と言われると、ああ!あの人、となります。昭和天皇の侍従長だった入江さんはお大師さんへの信仰が厚かった人で、弘法大師1150年御遠忌の時に、「わがこころすはるるごとしいつの日も風信帖の一字一字に」という歌を献歌されたということです。(歌碑建立は昭和61年)
 「風信帖」とは、空海上人から最澄・伝教大師にあてられたもので、「風信雲書、天より翔臨す」に始まるこの手紙は、現存する空海上人(弘法大師)の自筆の中での白眉と称されている、ということです。

 なお、冒頭の写真「清瀧権現堂」は、昨日紹介した方が良かったのですが、聖徳太子堂の向かって左隣にあります。
 清瀧権現(せいりゅうごんげん または せいりょうごんげん)は、京都市伏見区所在の真言宗醍醐派総本山、醍醐寺の守護女神で、川崎大師には醍醐寺から勧請されたということです。
 「清瀧」と聞くと、空海が中国で密教を学んだのは「氵」の無い「青龍寺」ですが、どうやら関連があるようです。(興味のある方はこちらに


 本日はここまで、次回は明日以降に「大本坊エリア」碑蹟のご紹介予定です。



 (本日コメント欄お休みをいただいております。)