![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/c7/316dbd3769af0257967f7ee354a5363e.jpg)
子供の頃の記憶を辿ると歌(歌謡曲)に興味を持ちだしたのは
小学校低学年だった昭和50年(1975年)辺りからのようです。
それ以前にヒットした歌も覚えているモノはたくさんあるんですが、
その前後の歌をまったく覚えていなかったりするんで、
ヒットした当時ではなく、あとから聞いて覚えたのかもしれません。
で、はっきりとヒットしていた当時を覚えているのが、
岩崎宏美さんの『ロマンス』(1975年7月25日発売)や
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/6e/e9afdfc0a93a8ebb983b01006e94763d.jpg)
太田裕美さんの『木綿のハンカチーフ』(1975年12月21日発売)です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/c7/316dbd3769af0257967f7ee354a5363e.jpg)
特に『木綿のハンカチーフ』は大好きな歌で、
それ以降も耳にするたびに聞き入ってしまいます。
都会へ出ていった男性と、
地元に残った女性との遠距離恋愛を描いた歌で、
男性と女性が交互に切り替わる対話形式で物語が進んでいきます。
Wikipediaによると
詞が長すぎるのでもう少し短くするコトを望んでいた
作曲者の筒美京平さん。
しかし作詞者の松本隆さんや担当のディレクターに連絡が取れず、
仕方なくそのまま曲を付けたところ、
思いがけずいい曲が出来てニンマリしたとか。
そのとき作詞者の松本隆さんは
筒美さんから連絡がくることを予想して締め切り当日まで
連絡が取れないところに雲隠れしていたそうです。
というのも松本さんはそれまで
歌謡曲に対して少し軽く見ていたコトもあり
この詞に曲はつけられないだろうとタカをくくっていたそうです。
それが筒美さんに見事に曲をつけられてしまい、
それ以降、作詞業に没頭されるコトになったとか。
40年が経った今でもまったく色褪せるコトのない名曲は
こうして生まれたそうです。
あらためて歌詞を見返してみて思ったのですが、
彼女の願いもむなしく、都会の絵の具に染まっていく男性。
健気に待つ女性が最後に涙を拭くために
木綿のハンカチーフをねだるというせつない歌ですが、
よくよく考えてみるとこの男性、
恋人の元に帰らなかったコトを死ぬまで引きずって
生きていくような気がします。
そう考えると木綿のハンカチーフは、
最も効果的な反撃だったのかもしれません。
この曲、私も好きです。
初めて聴いたのが、高校の家庭一般の授業で女の先生がカセットテープで聴かせてくれました。
太田裕美さんのイメージは
『8時だよ全員集合』の舞台が回転して、
スタッフがベニヤ板で志村のスイカを掃除した後、
舞台右袖から歩いてくるイメージですね。
底の厚いサンダルか、茶色いロングブーツのイメージが強烈に焼き付いています。
>太田裕美さんのイメージは
>『8時だよ全員集合』の舞台が回転して、
>スタッフがベニヤ板で志村のスイカを掃除した後、
>舞台右袖から歩いてくるイメージですね。
>底の厚いサンダルか、茶色いロングブーツのイメージが強烈に焼き付いています。
凄いピンポイントかつ鮮明なイメージですね。
今朝、平尾さんの訃報を知ってワイドショーをいくつか視ていると、
『カナダからの手紙』歌唱シーンで78年当時の物と思しき映像が数回流れていました。
太田裕美さんの茶色いロングブーツとほぼ同じのを、
畑中葉子さんが履いておられましたね。
ワイドショーの項目が来年の冬季五輪の話題に変わって、
『平昌』って文字を見た時は、少々複雑でした。
平尾昌晃さん亡くなられましたね。ニュースで見ました。
>太田裕美さんの茶色いロングブーツとほぼ同じのを、
>畑中葉子さんが履いておられましたね。
当時の流行りだったんでしょうね。
>ワイドショーの項目が来年の冬季五輪の話題に変わって、
>『平昌』って文字を見た時は、少々複雑でした。
確かに『平昌』の文字を見れば平尾昌晃さんを連想しますよね。