山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ブログ再開、島崎藤村『夜明け前』を読む

2014-02-06 08:58:02 | 読書
 娑婆は寒い!!
 小用が無事済み、ブログ再開となりました。
 休み中はいろいろ再開への激励をいただきありがとうございました。
 お待たせいたしました。

 ブログ休み中、小用の合間に島崎藤村『夜明け前』を読みきることを目標にしていましたが、残念ながらゴール目前で失速。
 とはいえ、藤村の描いた木曽の豊かな自然を背景とした馬籠宿・本陣の青山半蔵の活躍と煩悶がじわじわと伝わってくる。

                            
 時代は動乱の幕末だが、その時代はこの急峻な山の中にさえ大きな影響を与えずには置かない。
 藤村の父がモデルという半蔵の本陣・庄屋には、大名行列、和宮降嫁行列、官軍行列、天狗党残党狩り、農民一揆、木曽官有林事件、娘の自殺未遂、などが展開されていく。

         
 藤村のリアリズムが、庶民の暮らし・小道具や歴史的事件の隅々にまで貫徹している。
 時代と対峙しようとする半蔵の挫折と苦悩は、近代の煩悶そのものだ。
 読んでいて現代とあい通じることが少なくない。

 「ご一新」(明治維新)とは庶民にとっていったいなんだったか。
 半蔵がつぶやく。
 「うちのお祖父さんにしても、お父さんにしても、殆んどこの街道や宿場のために一生を費やしたやうなものさね。
 その長い骨折がここのところへ来て、みんな水の泡のやうに消してしまうなんて、そんなものじゃないと俺は思うよ。」

 それは、大東亜戦争とは庶民にとっていったいなんだったのか、維新や戦中のつけはそのまま戦後のイマも蓄積しているのではないかと、半蔵の煩悶の爪のあかをちょっぴり引き受けてみる。
 
 

                           
 
 
コメント (5)
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