山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

地味過ぎる蛾にスポットを

2024-07-31 23:55:15 | 生き物

 酷暑の夜にわが部屋の貧しい灯火にやってくる蛾が元気がいい。比較的大き目の「ウスバミスジエダシャク」が灯火を賛美する踊りを繰り広げる。夕飯時にゴミを散らすこともあるのでははなはだ迷惑になる。それで捕縛の対象ともなる。似た仲間に、「オオバナミガタエダシャク」というものもあり、同定が難しい。個体差も多いようでここではまずは総合的に「ウスバミスジエダシャク」ということにしてもらう。

 

 こちらも、模様がわかりにくい。とりあえず、「ミスジツマキリエダシャク」だろうとしておく。厳密にこだわる人にはとんでもないだろうが、オラは専門家ではないのでこんな蛾が迷いこんできたぞなーということで勘弁してもらいたい。短時間にもかかわらず、シャクガ科以外の蛾もわが灯火に来ていたが、体操やバスケットなどのパリオリンピック関係で時間がとれず、いずれデビューしてもらうつもりだ。

 

 エダシャクの仲間が多く飛来してくる。こちらの「マダラシロエダシャク」の模様ははっきりしているので同定はやりやすい。ただし、仲間にはこれに黄色が混じっていたりして多彩なのだ。それにしても、シャクトリムシにもお洒落な美系ファッションの仲間もいるが、じつに多様であるのがわかった。

 先日、近くのハンターの話によれば、最近は蛾が少なくなってきたという。昆虫の中で多数派の蛾は絶好の餌ともなっているので、その現象は自然のサイクルに開発の瑕疵ができてきたとも言える。その意味でも、地味で目立たない蛾であっても存在の意味があるというものだ。

 なお、上記の蛾の同定に不正確さや間違いがあると思えますので、素人向けにゆるりとコメントしていただければ幸いです。

  

 

 

 

 

 

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近くのイワタバコ群落に行く

2024-07-29 22:42:17 | 植物

 先週、近隣のハンターから「イワタバコの群落がきれいだよ」との連絡を受けた。だもんで、一昨日の朝一緒に現場に向かう。十数年前に、そこのイワタバコ群落の存在は確認していたがすっかり忘れていた。現場には、5年ぶりくらいの空白がある。というのも、最近のオラは買い物や通院や必要な用事を除き、行動半径が10m以内の狭い空間で閉じこもっているからだ。

 

 その意味で、近隣から声をかけていただくこと自体がありがたい。7年ほど前から、9軒しかない地元の昆虫や植物それに郷土史もどきを編集して「超ミニ地域マガジン」(年1回、50部発行)を発行している。ハンターはそれにときどき情報をくれる有力な協力者をやってくれている。

 行政の郷土史には地元の史料がほとんど登場しない。なにしろ、山と谷ばかりといったらそのとおりだが、それでも人の暮らしはあったはずだ。郷土史の7割くらいは町の中心街の史料と有力者で占められる。

 

 したがって、「地域マガジン」はオラがせめて目にする昆虫や植物それに地元の想い出を残しておこうとするものだ。さて、イワタバコは古くから親しまれてきた。柿本人麻呂は「山ぢさの 白露重み うらぶれて 心も深く 我が恋やまず」と恋歌を残している。(山ぢさはイワタバコと言われている) また、江戸時代では、庭園芸術の重要な存在として栽培がされてきた。

 

 庶民は、若葉を山菜として利用したり、薬効として胃の働きが弱ったときに利用してきた。なお、イワタバコの花言葉は「忍耐」。この花が険しい岩場にしっかり咲く姿を表している。実際、ここの現場でも、連なっている岩場と吹き付けたコンクリート壁にしっかり侵出していた。その群落は断続的に20mくらいは続いていたように思える。むかし見た時より群落が広がっているのは確かだ。ただし、地元でこれを注目している人は残念ながら少ないようだ。それが保存には良かったのかもしれない。

 

 一昨日は残念ながら花はくたびれてきたようで、一斉開花の華麗さは見られなかった。連絡を受けたその日に現場に直行すれば良かったのだが。今回、初めてイワタバコの種を確認した。ほかの植物が生存できない場所にあえて進出する戦略のたくましさが見て取れる。壮観な群落を教えてくれたこころゆたかな地元のハンターに感謝するばかりだ。

 

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意地悪婆さんが母になったとき

2024-07-27 22:14:59 | アート・文化

 巨匠・小津安二郎が戦後第一作を撮ったのが、「長屋紳士録」である。1947年(昭和22年)のことだった。戦災孤児らしき坊やの面倒を押し付けられた未亡人のおたね婆さん(飯田蝶子)が主人公だ。寝小便を繰り返し不愛想な坊やに手こずり、坊やをなんとか引き離そうとおたねさんは悪態をついたり邪険にしたり捨て去ろうとしたりするが失敗する。

 

 寝小便をして責任を感じた坊やがいなくなる。すると、おたね婆さんははその行方をくまなく捜しまわるようになる。おたねさんの坊やに対する愛情が深まっていく、というような変化がこの映画の見どころだ。そのうちに、同じ長屋に住む占い師(笠智衆)が坊やを見つけて連れ戻すことができたものの、坊やを前々から探していた父親(小沢栄太郎)がやってきて坊やと再会する。

 

 言うまでもなく、坊やと別れるおたねさんの心情を監督はしっかり抽出して涙を誘う。また、小津映画では中心的存在だった笠智衆は脇役に徹していていたが、町会の宴会で「のぞきからくり節」という口上を歌う場面も圧巻だ。昔は縁日や祭りなどで紙芝居のような大道芸として流行った口上だが、オラは記憶がない。どうやら、武男と浪子の悲恋の「不如帰(ホトトギス)」のあらすじを、のぞき絵を見せながら歌ったものだそうだ。小さい時から暗唱していた笠智衆の芸が特別に生かされたシーンだ。

 

 それ以上に、一週間近く坊やの面倒を見て考えさせられたとおたねさんは長屋の人と語る。敗戦で人より「自分ひとりさえよければいい」という風潮が蔓延している戦後を告発し、「イジイジしていて、のんびりしていないのはアタシたちだった」と自省する。

 

 戦地のシンガポールから帰還してまもない監督は、最後に上野界隈にたむろする戦災孤児を静かに映し出してフィナーレとしている。坊やは捨てられたタバコの吸い殻や釘を拾っていたようだが、そういえば、焼け跡派のオラの少年期も空襲で焼け落ちた釘などの鉄くずをよく拾ってきて、くずやさんに売り家計の足しとしていた。また、ガスがまだなかったから、近隣に落ちている木を拾い集めて薪にしていたのも思い出す。

 

 わが家は空襲で燃えたので親父がかき集めた資材で作った「バラック」が住み家だった。だから、雨が降ると雨漏りがひどく、隙間だらけの冬は寒くておねしょは高学年まで続いた。おねしょは人生の挫折の深みを早くに刻印してしまった。暮らしと子育てと戦争に追われた両親の波乱万丈の歩みを知ると、明治生まれの親は何のために生きてきたのかを考えさせられる。

 

 戦地を経験した小津監督は、声高に反戦や平和を訴えるのではなく、身近な家庭にこそいのちの重力がかかっていると見抜いたのかもしれない。だから、今回もローアングルから粗末な居間を映し出していた。古典落語に出てくるような口は悪いけど心優しい長屋の住人は、ほんとうは紳士なのだと監督は言いたいのだろうか。

 2012年、イギリスの映画誌「サイト&サウンド」は、世界の映画監督358人の投票の結果、『東京物語』を世界の名作の第1位に選んだ。単調に見えるその白黒映画をオラは居眠りしていたくらい鈍感だった。目立つ黒澤明とは一線を画する違いがある。反省を込めて、するめを噛むように小津監督の映像をゆるりと注視していきたいと思う。

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ブルーベリーの収穫が始まった

2024-07-24 23:11:33 | 野菜・果樹

 うだる灼熱地獄の連日のなか、わが家庭菜園でのブルーベリーの収穫が始まった。そう言えば、戦後生まれのオラの記憶ではいつごろから市場に出回ったのかわからない。日本では、1951年(昭和26年)ハイブシュ系の数品種を、1962年(昭和37年)にラビットアイ系品種を導入し、1980年代には、水田転作や中山間地向けの推奨作物として高冷地を中心に栽培生産されるようになったという。

 だから、まだまだ新参者の果樹であることには違いない。たしかに、オラがブルーベリーを食べ始めたのは90年代に入ってからのように思われる。

  

 そもそもブルーベリーが世界に広がったのは、17世紀、ヨーロッパからアメリカに侵出した移住者が、ネイティブアメリカンからわけてもらい、そのおかげで、冬の厳しい寒さと飢えから生き延びることができたという。そこから、新参者のアメリカ人にとってブルーベリーは「命の恩人」であることをわすれてはならない。

 

 わが菜園のブルーベリーは、畏友の故天野貢さんからたくさんいただいた苗が育ったものだった。おそらく、その苗は13年以上は経ったと思う。最初は50cmほどの苗だったものがゆっくり成長し、今では2m以上も大きくなった。彼の厚い支援のおかげで今年は実がいちだんと大きくなってきたのは間違いない。先達の彼が遺してくれた果樹や野菜は今もってわが菜園に生きている。

 

 ブルーベリーは品種が多くて栽培の上ではいまだに混乱しているわが菜園だ。初期には赤い実となるので、ラビットアイ系の品種が多いのがわかる。ラビットアイ系は、暖地での栽培に向いており、甘味系で育てやすいが、皮の厚みや種のざらつきがやや気になる。ノーザンハイブッシュ系は寒冷地に適した系統で、果実は酸味系で大粒。舌触りは繊細で滑らかなのが特徴だ。主にこの2種が畑に混在している。

 

 ヨーロッパから勝手に土地を略奪した入植者は、労働の疲れを癒すために、ブルーベリー茶(葉や根)を愛飲した。近年ブルーベリー茶には、血液の清浄作用があることが明らかになったという。現代のアメリカ人はネイティブアメリカンに感謝の念と領土を捧げなければならないと思えてならない。

 宮崎県と宮崎大学が研究・試行したブルーベリー葉には「ポリフェノールの王様」と呼ばれるプロアントシアニジンが果実の7倍~10倍と豊富に含まれていることがわかり、血圧や血糖値を下げる効果、脂肪を減らすダイエット効果、美肌効果、ドライアイや眼精疲労の改善効果などの機能性があることが判明したという。これはぜひ、やってみる価値はありそうだ。 

 

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「上越丸えんぴつナス」の心意気!!

2024-07-22 22:37:54 | 野菜・果樹

 今まで、毎年挑戦しているのにナスの生育がうまくいかなかった。それが今年に限ってじつにスムーズに実をつけてくれたのだった。その理由は分からないが、永田農法を一部導入したせいかもしれない。といっても、特製の液肥を撒いたに過ぎないけれど。ひょっとすると、和宮様のご令嬢が直接植えてくださった偉業のせいかもしれない。

 

 さらには今回、鳥獣除けのネットを初めて利用してみた。カラスは実を盗み、シカは柔らかい葉を食害するからでもある。それがアブラムシへの警告にもつながったのかもしれない。結果的には、次々実を結んだナスはソーメンや冷や麦などの柔らかな具としてわが胃袋に投入された。残念ながら、その画像を残す前にツルっと口に入れ込む食欲第一主義が勝っていた。

 

 ところで、「上越丸えんぴつナス」という旨い伝統野菜が新潟にあるのを知った。「えんぴつ」と言うと細長くて、先がとがっているイメージがあるけど、そのナスを在来の卵形のナスと交配するうちに、上越地区の特産野菜となり「上越丸えんぴつナス」と命名された。

 ぷっくりとした丸さに少し先端がとがっているのが特徴。あくが少なく、果肉がとろけるような食感で、煮ても焼いても揚げてもおいしいナスだと評判だ。

 

 この上越地域在来のナスを守ろうと、平成26年に農業者3人で「上越丸えんぴつナス研究会」をつくって、種の保存と広く知ってもらおうと意気旺盛な活動をしている。その少数精鋭の心意気が素晴らしい。確かに、トロっとした甘みがたまらない。たまたまオラの歯が入れ歯直前の状態であるので、その柔らかい食感が気に入った。

 

 新潟県はナスの作付面積が全国一位で、新潟市は一世帯当たりのナスの購入量も全国一位という。収穫量では高知県が一位だが、消費量では新潟は第一位。新潟はナス王国でもある。初夢に見ると縁起が良いとされた「一富士二鷹三なすび」のことわざがあるが、家康はなすびが好物だった。当時、静岡の三保折戸地区で作られた「折戸なす」は、地温が高くなる砂地を利用して旬の早い技術があったという。

 明治以降、、その栽培は途絶えていたが、国の研究機関で保存されていた折戸なすの種をもとに生産者と連携して平成17年折戸なすの復活を果たした。現在家康公を祭る「久能山東照宮」に「折戸なす研究会」によって毎年初物の折戸なすが奉納されている。在来の伝統野菜の継続は、こうした心意気あるグループが活躍しているのが心強い。

 
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イワン雷帝がルーツなのかも??

2024-07-20 20:32:18 | アート・文化

    ロシアのウクライナ侵攻の蛮行ぶりは目に余るものがある。ロシア革命は世界史の中で一つの希望を提示したものだった。しかし、その実態とその後の歩みは旧態依然の過去ををひきずったままのように思えてならない。そこで、巨匠エイゼンシュタイン監督が描いた映画「イワン雷帝」をDVDで見ることにした。

  イワンが大貴族や聖職者の妨害をはねのけ、民衆の支持を得て国家の統一を完成させ、しかも領土を拡張した偉大な統治者として「第一部」を監督は完成させる。それは当時の権力者・スターリンを想起させる国策映画とも思われる。

  

   第1部は絶賛を浴び,スターリン賞を受賞。しかし、第2部については、監督・スターリン・ソビエト高官が出席した1947年2月の会議で、権力者の孤独、専制政治の悲劇をゆがめて描いたとして批判が出る。とくにスターリンは、雷帝の恐怖政治は当時国を強くするのに役立ち、国をばらばらにしようと画策する封建領主たちから国を守った進歩的な方策だったとし、なぜ残忍でなければならなかったのか説明しなければならない、と主張。それで第二部の上映はストップし、半分まで撮影された第3部は未完のまま監督は亡くなってしまう。

 

  イワン雷帝は実在の皇帝のイワン4世(1530-1584)だ。当時権力を持っていた大貴族を抑圧し、反対勢力に対して容赦ないテロや専制的支配を強制、その残虐・苛烈な性格のため市民達からも「雷帝」と恐れられた。また、自らの手で息子を殺害したという逸話は有名で、歴史画としてもモスクワの美術館に飾られている。さらには、親衛隊・秘密警察を組織して相手を抹殺したり、武装して領土を拡大したりして今日のロシア拡張の基礎となった。


 しかし、そうした雷帝の周辺は貴族たちの陰謀が渦巻いていたので、彼の猜疑心はますます深まるばかりだった。第一部の映画ではそうした貴族たちの表情が幾度となく描かれていた。その表情は歌舞伎や能に関心を持った監督の新境地ではないかとも評価されている。

 

 プーチン大統領は、16世紀の雷帝の後期に即位したピヨートル大帝を尊敬していることで有名だ。大帝は、17世紀、専制君主政治のツアーリズム体制を完成させた指導者だ。以前、プーチンの執務室にその肖像画を掲げていたというくらい大統領は崇敬していた。というのも、大帝は、21年にわたりスウェーデン等との戦争を開始・継続し、バルト海・カスピ海・黒海さらにはシベリア・アラスカなどの南下・東方領土の拡大をも成し遂げて、ロシアの西欧化を推進し絶対王政を確立させた。

その大国化路線は、エカチェリーナ女帝~アレクサンドル・ニコライ皇帝~スターリンへと事実上継承されていく。

 残念ながら、監督の第2部作品はDVDに収録されていなかったので見ることはできなかったが、第一部でも雷帝とその取り巻きとの猜疑心が良く表現されていた。アリの巣のような粗末な宮殿と豪華絢爛な服装・装飾品をまとった貴族や僧侶らとの対照的な描き方がみものだ。また、彼らの姿がおどろどろしい影となって登場する画面もエイゼンシュタイン効果だ。 

  

 「第一部」は、1944年に制作された白黒映画ではあったが、今見ても現代にも相通ずるものがある。エイゼンシュタインは、国家とアーティストとの狭間で苦悶して制作したであろうことが想像される。また、作品からは、現代ロシアが抱えているずっしりした課題が鮮明にあぶりだされていく。そのルーツはイワン雷帝にあり、とみたが…。この足かせを払拭するのは至難の業だ。国民ひとり一人がこじれたひもをじっくり戻して歴史を形成していくしかない。または、強権の独裁者ではなくもう一人のゴルバチョフの登場が必要となる。

 

 

 

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飛んで火にいる夏の虫

2024-07-17 22:02:36 | 生き物

 わが家の乏しい灯火に夏の虫が集まる。ガサガサ壁や障子にぶつかりながら音を出してやって来るのは、カブトムシ・カナブン・カミキリムシ・大き目の蛾というのが定番。今回も常連かなと思ったら、「ニイニイゼミ」だった。セミの中では小さく目立たない。蛍光灯の傘に化石のように止まっていた。

 

 ニイニイゼミはふつう 、木の肌と同じような灰色の樹幹に止まっているので見つけにくい。だもんで、畑の脇のサクラに止まっていることが多いようだが、そのそばで泥付きのセミを見た時が何回かある。ニイニイゼミの幼虫は湿気を多く含んだ土壌にいて、 幼虫の体の表面には小さな毛がたくさん生えていて土が付きやすくなっているからだという。

 今現在、「ジーッ」と単調に鳴き続けている虫の声がうるさいくらいだが、バッタだとは思うがニイニイゼミかもしれない。なお、セミが鳴くのはオスがメスに対して求愛するためだけなので鳴くのはオス。「蝉時雨」という言葉があるくらい、うるさいわけだ。

 

 珍しく、シャクトリムシの仲間のエダシャクがやってきた。エダシャクは、同じような模様が多いので同定にいつも困惑するが、「クロフオオシロエダシャク」のようだ。

 「飛んで火に入る夏の虫」という言葉があるが、語源は中国の史書にあり、それが日本の浄瑠璃で使われて以来、この表現が親しまれていく。その「虫」は「ヒトリガ」だといわれているが、焚き火をやっているとき火の中に突入する蛾がいたのは確かに目撃した。なおその言葉の意味は、危険が待ち構えているにもかかわらず飛び込む者を軽蔑する意味合いで使われることが多い。

  

 和宮様が道端で弱っていた大きなアブを発見して容れ物に捕獲された。緑の目をした3cmくらいの大きなものでどうやら、「ウシアブ」のようだ。メスがウシやウマの血を吸うが、人の血を吸うこともある。毒はないらしいが血を吸われるととてもかゆいという。

 

 ついでに、10日に1回くらい室内に出没するデカい「ムカデ」はやはり気になる。画像は熱湯で処刑したものだが大きさはこれでも縮まっているから、12cmくらいはあったようだ。今年はやけに太くてデカいムカデが多いが理由は分からない。隙間だらけの古民家なので、急いで室内に網のテントを張る。要するに蚊帳(カヤ)を張ったようなものだ。以前、いただいた蚊帳を使ったが重くてセットも大変だったので、簡易テントとなった。おかげで安心して睡眠ができるようになった。

 温暖化や領土をめぐる戦争などの拡大で、「飛んで火に入る夏の虫」は、今のわれわれ人類が置かれている状態を表現していることにほかならない、と思う。梅雨明け間近の今、灼熱地獄の世界で生き残れる虫になれるかなー。

 

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ハトムギ茶を作る

2024-07-15 22:02:24 | 食彩・山菜・きのこ

 ハトムギ茶を毎日飲むと、「美肌」、「体の老廃物排出・利尿作用のデトックス効果」、「アレルギー炎症の抑制」、「生活習慣予防」などが期待できることは有名だ。ここ数年、ハブ茶とブレンドして飲んでいるが、コーヒーとともに利尿効果はてきめんだった。とにかく、野生化したときの生命力は半端ではない。最近は野生化したその苗を除草するのがひと仕事となっている。野生化したその一部の実を焙煎する。

 

 20分ほど中火で焙煎していると、いい香りが匂ってくる。焦がさないよう注意しながら焙煎を止めていく。そのころ合いはまだ習得していないが、焦げ具合で判断する。少し冷ましてから殻ごと粉にする。

 

 ミルで焙煎した実を数秒で粉状にする。約8割がた粉になる。ハトムギパウダーの完成だ。と言っても、実を厳選するほどの余裕はないので全粒粉状だ。ゴミは網でかなり除去しているが、一部混じっていることは避けられない。

 

  茶色くなったパウダーをお茶パックにスプーン大を二杯入れてみる。これだけだと、薄い蕎麦湯のような味でパンチがない。そこで、実際には、これと同量のハブ茶、つまり焙煎したエビスグサの種それぞれのパックを沸騰したやかんに投入してブレンドする。飲んでみると味は麦茶もどきとなる。分量によって、濃くなったり薄くなったりするが、濃すぎると胃に負担がかかる。やはり、漢方薬だからね。夏は冷やして飲んでいる。飲み続けると健康を維持できる気がしているけど、加齢に効果があるかどうかはまだわからない。エビスグサも野生化しているので、予算ゼロでハトムギ茶とハブ茶を同時に飲めるというわけだ。これを市販で買うとなると結構な価格となる。

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人生というものをトシで決めたことはない

2024-07-12 23:10:14 | 読書

 オラの人生の羅針盤でもある作家・高尾五郎氏から、篠田桃紅(トウコウ)『百歳の力』(集英社新書、2014.6)の本が送られてきた。オラの高校生の時は、武者小路実篤とその白樺派に傾倒していたことがあったが、その限界を突き破っていたのが、アメリカの国民的詩人のホイットマンでもあった。高尾氏はしばしばホイットマンの詩を引用し、自前で『草の葉』という文芸誌も刊行していた。氏は、後期高齢者のオラの先輩ではあるが、いまもホイットマンの気宇壮大な理想主義的な世界を追尾している。氏は、80歳代になってもなお青年の素志を忘れない作家でもあり、書家・アーティストの篠田桃紅の貫く共通の気骨を感じられる。

 

  篠田桃紅は、「常識の世界に生きなかったから長生きできた」とし、100歳を超えても現役として墨による抽象作品を描き、海外の美術館でも高い評価を受けていた。2021年、107歳で死去。

 本書は、口述筆記のような優しい文面ではあるが、そのなにげない言葉には凛とした哲学に支えられている。「つくるということは、続けるということ。道と同じ、ここで終わるということがない。…人生と同じ」とか「自分が動きやすいように、妨げるものや邪魔するもののないように、自分のグラウンドをつくったことが私の精神に大きく作用している」とかいうふうに。「自分のグランド」形成がこの日本が直面している喫緊の課題なのだ。

  

 とりわけ共感できたのは、「人というものも自然がつくったものなんだから、自然という大きな手の中で逆らわないように、人間同士がお互いに立てあえるように、…そういう生き方こそ上等の生き方かなあと思う」というくだりだ。人間と自然との共生を育んできた日本の風土は、今の混沌とした世界の中で羅針盤となるものだ。しかし、それを経済成長優先で放擲してきた戦後のツケは、都市集中・地域解体をはじめとして日本人の精神的劣化を加速させてしまった。

 

 そして桃紅は、「もうあとどれだけ生きられるかわからないけど、限りのある人生だからいいのであって、永遠に生きることになったら、ぜんぜんちがうでしょうね。…死があるから、人生というものを生きているわけですよね」と、名僧でも言えないような言葉を軽やかに言い放つ。

 

 晩年に向かってもなお老いを突き抜けた桃紅の魂は飄然として成り行きと伴走する。それに呼応するかのように、高尾五郎氏は、「80歳から起こすルネサンス」「90歳から起こすルネサンス」この2冊を世に投じようとしている。彼の代表作『ゼームス坂物語』(清流出版)は、芥川賞をもらっても十分な作品だ。彼は、灰谷健次郎らを輩出した理論社の社長・小宮山量平の自然と人間とのみずみずしさを継承しながらも、そのパトスはトシを超越しながらいまだに放出してやまない。

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ねぐらは安全・安息でなければならない

2024-07-10 22:56:03 | 生き物

 熱波が連日ミサイルのように襲う。だもんで、日中は昼寝、夕方から動き出すのがパターンとなった。居間は寝床となってしまった。そんなある日の夕方、ススキを畝のまわりに敷くため運搬していたら、野鳥の巣らしきものが転がり出た。ときどき、見かけるのはヒメネズミの小さな巣が多い。今回はそれより大きめだった。

 

 横から見ると、つぼ型に見える。最初は気が付かなくてぞんざいに扱っていたから形は違っていたかもしれない。材料は間違いなくススキの葉を使っている。とすると、ススキ群落でけたたましく泣き叫ぶ「ヨシキリ」の巣かもしれない。ただし、姿はほとんど見かけない。むしろ、ホオジロとかウグイスとかの方が身近かなので、その可能性も否定できない。

 

 中側をのぞいてみると、きわめて緻密に織り込んでいるのがわかる。なにしろ、ここで産卵も子育てもするわけだから親の努力と苦労がしのばれる。巣の形には、①おわん型 ②お皿型 ③球形型 ④トンネル型 ⑤樹洞形型 ⑥つぼ型 ⑦くぼみ型など、自然を利用した巣が多彩にある。今回発見したのはいちばんポピュラーなおわん型だ。残念ながら、卵は見られなかった。しかし、近くに野鳥の巣があることだけは確かなことだ。過疎地はまさに、安全・安心な場所だということだ。

   

 同じころ、梅雨の時期を狙って、庭で野生化している「シュウカイドウ」をバタフライガーデンの外縁に植え付けることにした。というのも、シュウカイドウは、日陰が好きなようで生命力も抜群だ。それにあった所の外縁に植えるために、チャノキの一部を少しづつ伐っていたところ、突然、広い空間が出てきた。

   

最近、出没しなくなったとみられた「イノシシ」のねぐらだった。そこだけぽっかり空間があり、姿を隠しやすいように穴も掘られていた。近づいたオラでも全くわからないくらいのサティアンだった。外側のいくつかのチャノキを伐採して初めて発見したのだった。

 

 しかも、その先数メートルにも同じねぐらが隠されていた。ひょっとすると、つがいなのだろうか。ちょうど、イノシシの大きさがすっぽりはまるくらいのねぐらだ。最近は、イノシシ被害はほとんど減速していたので安心していたところだった。シカと比べてイノシシは、被害の規模がチンピラとヤクザとの違いくらいの狼藉を働く。

  

 このねぐらから上の山側に向かって獣道があるようだ。沈着なイノシシはこの拠点から人間の動静を観察していたに違いない。画像左側の下は2~3mの石垣があり、地元が良く使う小さな道路となっている。右側はチャノキを挟んでバタフライガーデンでオラがときどき作業しているところだ。

  

 そんな発見にどきまぎしながらシュウカイドウの植え付けを完了する。ここは裏山の外縁なので1mくらいしか幅がない。慎重に作業していないとすぐ下の道路に落下してしまう。イノシシの寝床のとなりに植えたシュウカイドウはこれから先無事だろうか。安全・安心の寝床をつぶしたのはオラだったが、イノシシが安心して還る場所を確保してあげなければならない。ひるがえって、ガザ地区・ウクライナの国民が安息できるねぐらを確保するのは、世界の・人類の課題でもある。

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