山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

心の平安こそ時代閉塞を拓く

2024-01-01 19:28:37 | 意見・所感

 あけましておめでとうございます。

ネットやスマホやAIの飛躍的な発達がわたくしたちの生活を便利に変えていっているにもかかわらず、世界は人間どおしの殺戮や戦争が拡大し、気候変動による全地球的災厄が日々を襲ってきている。それで時代は・人間は進歩・成長しているのだろうか、という根源的問題が揺らいでいる。そんなとき、やや説教的提起だが、沖縄国際大学の福里盛雄教授の次のような「人生雑感」が宮古毎日新聞の2024年元旦号に掲載されていた。

「心が平安であれば、問題課題に遭遇しても、その問題課題から逃避することなく、全力を集中して、その問題課題を解決していく努力の継続の過程に成長のための大変有益な力となるエネルギー源が隠されていることを知ることができるのです。そして、問題を一つ解決するごとに一段一段と人格的にもその人は魅力を増していきます。

そんな意味で、「平安是福」の意味が増幅されるのではないかと思われた。本年もよろしくおつきあい願います。

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酷暑の本質を迫れるか

2022-07-01 23:07:23 | 意見・所感

 連日酷暑が続く。1時間作業したらドリンクを飲んだり横になったり下着を変えたりなどしてなんとか暑さをしのぐ。したがって、作業効率は悪いことは間違いない。こんななかでもウクライナは戦火の応酬にさらされている。

  春に咲いてくれたアジュガもさすがに枯れ始めている。水やりが追いつかない。畑とガーデンの水やりだけでも2時間以上はかかってしまうので、なかなか毎日の水遣りが厳しい。

 

 すると、梅雨の合間に咲き始めたアジサイの花もついに焼け始めた。きょうは40度以上になった地域は6地点だという。どこのTV番組も同じような酷暑とそれにまつわる事件を連日報じる。しかしこうなってしまっている地球の軋みと人類の原罪にメスを入れる報道がきわめて少ない。

 斎藤幸平氏のベストセラー『人新世の資本論』(集英社新書)を読み始めているが、いま人類が直面しているこの問題の本質を鮮やかに提起している。地質学でいう「人新世(ヒトシンセイ)」とは、人類の経済活動による痕跡が地球の表面に与えた負荷が取り返しがつかないほどの年代、の現在をいう。

            

 つまり、豊かさを約束するはずの「経済成長が人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあ」ると指摘し、さらに、SDGsの善意は有害ですらあると氏は挑発する。それは「温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうからだ」という。

            

 そういえば、来たる参議院選挙を見ても、各党とも地球温暖化対策への提言より賃金・消費税・給付金など景気浮揚、経済成長ばかりの政策が目立つ。そうして問題の本質はうやむやにされ気候危機は深まるばかりだ。私たちの豊かさと便利さは、途上国の労働力の搾取と自然資源の収奪なしに不可能であり、大規模な自然災害はそうした人災でもあり「私たち日本人も間違いなく加担してきた」と断罪する。

                     

 加えるに、ウクライナ侵略関連でますますわかったことは、日本のエネルギー政策がいかに目先だけのものだったか、食糧自給率が低かったのにまったく対応できていなかったこと、北方四島返還はもともとロシアにその気がなかったこと、サハリンパイプラインをはじめとする極東の経済発展はもともと危ういものだったこと、中国による海上・海底資源略奪戦略にボーッとしていたこと等など、日本の基底的な戦略方針がいつも小手先だったことが露呈された。

          

 グローバルな気候変動に特効薬はないが、それに対して声を上げる持続的な「リレー」が必要だ。そのためにはどんな具体策があるのかをマスコミは示す義務がある。もちろん、政治家任せの「人任せ」ではなく、ひとり一人の行動と思索を暮らしの中で貫く根拠を構築しなければならないとつくづく思う。  

 

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花はどこへ行った

2022-05-09 23:11:25 | 意見・所感

 5日前、MISIAと加藤登紀子が熱唱した。ピートシガーとジローヒッカーソン共作の「花はどこへいった」(1955年)だった。ウクライナ侵攻へのプロテストソングとなった。いろんな訳詞があるが、壺斎散人(コサイサンジン)さんの和訳が秀逸だ。その部分をかいつまんでみると。

  

 「 花はどこへいった 娘たちがむしった花 /   娘たちはどこへいった 夫たちを探しにいった /  夫たちはどこへいった 兵役に駆りにだされた / 兵たちはどこへいった 墓にはいりにいった / 墓はどこへいった 花を探しにいった /  花はどこへいった もうずいぶん経つけど    / 花はどこへいった ずっと遠い昔に  / 花はどこへいった 娘たちがむしった花 /  いつになったらわかるんだろう  (赤字がリフレイン)

             

 娘が摘んだ花は結局は墓の周りに咲いている、というわけだ。人間はどうして愚かな戦争を繰り返すのだろうか、という悲哀に満ちた名曲である。原曲は、ロシアの文豪・ミハイルショーロホフの『静かなるドン』(1934年)に出てくるウクライナ民謡からだという。この曲がベトナム反戦の代表曲ともなって、忌野清志郎はじめいろんな歌手がカバーをしている。MISIAが歌ったのは、もちろんロシアによるウクライナ侵攻への痛憤が込められている。

          

 わずかな時間を縫って近所を歩いてみた。すると、裏山のてっぺんにある荒野に黄色い見事な花のジシバリとニガナの群落を発見した。あまり人が侵入しない場所の雑草は、かくも美しく春を謳歌するものかと感動する。その周りには、紫の外来種「マツバウンラン」が咲いていた。雑草の花園・楽園が人知れずあったということだ。花はどこへいった、花はここの里山にあった。

  

 きょうは、ロシアとナチスドイツとの戦争で勝利した記念日という。プーチンの演説が注目されたが、勝利宣言はできなかったが現状追認の侵攻を止めないという内容だった。ロシアがナチスとなったことをロシアは覚醒できない。殺戮された人間の痛みを想像できないどころか、正義の戦争を始めたという幻覚が国家を襲っている。これからロシアは、この代償をいかに払うのだろうか。

 同じことを、日本もアメリカもヨロッパ大国もやってきたことでもある。各国はそのつけをいまという時代に生かしているのだろうか。少なくとも、日本はその風化がはなはだしい。

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世界史を汚すプーチンのウクライナ侵攻

2022-02-25 20:24:48 | 意見・所感

 ロシア帝国のウクライナ侵攻がついに始まってしまった。クリミア併合からすでにウクライナ本土侵攻は予定の行動であるのは明らかだ。ピンポイントのミサイル攻撃は突然できるものではない。

 ウクライナ出身のグレンコ・アンドリー氏は「プーチン大統領の狙いはウクライナの全土、もしくは半分以上の占領だ」と断言する。彼は2019年3月に『プーチンの幻想』(PHP新書)をすでに上梓している。

    

 彼によれば、「プーチン大統領は典型的な大国の強権的指導者であり、強いものを尊敬し、弱いものを見下す徹底した力の信奉者です。歴史認識においても、第二次世界大戦の結果を絶対視しており、日本を敗戦国として完全に見下しています」として、北方領土をロシアは絶対譲らないとし、日本側の甘い期待を指弾している。たしかに、日本の報道はプーチンの日本通を歓迎するおめでたさが目立ったことは否めない。

    

 ロシア人の「領土に対する異常な執着」はどこからくるものだろうか。

 教科書的には北極圏にあるロシアの港は、永久凍結・流氷地帯にあり常設できにくい港だったので、南下政策や肥沃な領土拡大が民族の悲願だった。しかしそれは他国との軋轢を生んでしまうのは当然の帰結、だから、武力で突破ということなのだろう。

        

 さらには、17・18世紀、西欧が植民地獲得を激化している競争にロシアが出遅れた、という一因もある。だから、遅れたバスに乗るためには手段を選ばないという手練手管が発達する。グレンコ氏によれば、ロシアにとって「友好」とはロシアへの服従であり、「約束」は破るためのものと弾劾する。

  そういえば、オリンピックに対するロシアのドーピング工作も驚き入る手口だった。国家の組織ぐるみの戦略だったのに、IOCはロシア(ROC)の事実上の参加を認めてしまった。その被害者は、まじめにルールを守ってきたほかの参加選手であり、フィギアのワリエワ選手でもあった。ロシアは国全体がKGBとなった。

           

 ちなみに、ロシア民族の歴史的なかつての中心地は現在のウクライナの首都「キエフ」だった。なーるほど、野望のルーツが見えてしまった。平和に過ごしてきたウクライナを血で汚してはならない。ロシア帝国の国際的な孤立が始まった。「プラハの春」どころではない絶望をプーチンは世界にもたらした。今のロシアの傲慢さと軍事支配は、戦前の日本の言論弾圧状況とそっくりだ。諜報員だったプーチンはみずから墓穴を掘ったことを自覚できないでいる。

 

 

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プラスチックごみとマルチフィルム

2022-02-04 20:46:46 | 意見・所感

  小春ちゃんがこちらを振り向き始めたらしい。日差しは春らしさを予感できるが風は冷たい。でも、そろそろ、畑の畝づくりを準備しておかないといつものようにまたまた遅れてしまう。というわけで、硬くなった畑に古くなった黒マルチの撤去作業に入る。

  

 しかし、そこは黒マルチをそのままにしておけば雑草を多少抑えられるとして放置していた畑だった。だから、マルチは千切れやすくなっていた。これはまずいぞと丁寧にその破片を回収する。これをいい加減にしておくと川に流れ海洋汚染の元凶にもなりかねない。したがって、マルチを撤収するのに二日もかかってしまった。なにしろ、日本の一人当たりのプラスチック廃棄量は年間約32kgでアメリカについで世界2位にある。

            

 以前、NHKで「プラスチックごみ問題」を番組でとりあげたことがあったようだ(2019)。最近はマイクロプラスチックによる海洋汚染が魚や生物の体内から検出される画像がしばしばみられるようになった。オーストリアの研究グループは日本を含む世界8か国の人の便を調べたら、全員からマイクロプラスチックが検出されたという(2018)。いよいよ、人間の体に影響が出てきたというわけだ。

             

 番組の資料によれば、「サーマルリサイクル」というのは、温水プールのような焼却による熱利用等だそうだ。それは温暖化に拍車をかけた「有効利用」?ともなる。日本からアジアへのプラゴミ輸出は一時問題になり、中国が輸入を止める動きも出てきた。政府としては1000万トンに達しようするプラゴミ対策としてはそれは現実的な対応でもあるが、抜本的な解決策ではない。そこへの開発イノベーションにもっと予算をかける決断が必要だ。(円グラフは番組資料から)

     そのすぐ近くの畝では、マルチを引っ張ればスムーズにはがすことができた。こちらはマルチをやってから1年以内のものだったからでもある。そして、はがした地面には藁や雑草の残骸をかけておいた。それは地中の微生物のためでもあり、野菜作りの糧でもある。

    

 というわけで、日差しは暖かいが風が冷たいので汗はかかない状態で耕運機の出番となった。昨年は手こずった耕運機だったが、今回は優れて「いい子」だった。こうして、少しずつ黒マルチは撤収されていく。これらは大量でもないので一般ごみに出しているが、いずれ土中に分解するという生分解性フィルムを使いたい。

 この生分解性フィルムを一時利用したことがあるが、価格が2~3倍もするし、強度が弱くて破れやすいという弱点があった。ここへの研究開発とか補助金を補填するとかの対策が相変わらず貧弱のままだ。農業資材のプラスチック依存も馬鹿にできない量だ。ここでもまた、将来的なデザインが欠如している日本の皮相な打算にぶつかってしまう。春を前にしてまだ暖かさには距離がある。  

 

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一陽回帰

2022-01-01 21:06:53 | 意見・所感

 新年のあいさつに「一陽来復」という言葉が気に入っている。「昨年はいろいろ辛いこともあったけどぜひ今年は元気が出る福がやってきてほしい」といったようなニュアンスの願いがこもっている言葉だ。

 一方、「田園回帰」という言葉もこのところよく耳にする。都会から過疎地に移住する人が少しずつ多くなっている傾向を表現しているようだ。

 そこで、この二つの言葉を合体してみたオイラの造語が「一陽回帰」。自然と人間との共生の循環型生き方で「金」本位制社会に対峙していく、柔らかなエネルギーをいただきたいという願いでいっぱいです。

 今年も「一陽回帰」がますます広がりますよう願うとともに皆様方の健康とご多幸を祈念いたします。

                 2022年 元旦

  ※ 画像は裏山に降った一昨日の雪。右の小屋は一坪のシイタケ乾燥小屋だが今は開かない倉庫。

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酷暑に綿花は強し されど…

2021-07-29 22:56:31 | 意見・所感

 山猿さんからいただいた綿花の種を荒地に撒いたものの成長はゆったり。毎日の酷暑にもかかわらず定植した苗は95%くらいは立派に根を伸ばしている。されどときどき様子を見ると、硬くなった大地には手こずっているようだ。つまりあまり成長していないように見える。

 日本の衣料品の97%は輸入しており、その7割は中国からだ。その中国は新疆産綿が85%を占めるというから、日本の衣料には新疆自治区の綿がかなり流れていることになる。新疆ウィグル人の綿花にかかわる強制労働をアメリカが指摘したが、その真偽はともかく新疆綿をユニクロや無印良品などのアパレル業界が利用しているのが露呈された。

                       

 同時に、バングラディッシュの衣料工場の劣悪な事故やミャンマーの低賃金労働などが問題になったが、日本のアパレル業界はそうした後進国の課題をどれだけ受け止めただろうか。安ければよいとする資本の論理は従来の植民地主義と変わらない。その意味では、有機栽培で育てる「オーガニックコトン」は、自然環境や労働者に優しい仕組みから生み出されるものだ。政府をはじめ企業も消費者もそういうものを推奨とする機運や仕組みが必要だ。スウエーデンの「H&M」(ヘネス・マウリッツ)のように、2030年までにリサイクル製品・持続可能な原料の使用を掲げる心意気に日本の企業も学ぶべきだ。そうすれば、山猿さんのように綿を種から育てようという人や百姓がどんどん増えることとなる。

 わが家の綿もいっぱい実れば雀の涙くらいは供給できるというもんだが、先行きは何とも言えない。

 

 

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出版社のキャッチコピーを比較する ②

2021-01-06 18:37:05 | 意見・所感

  集英社の全面広告には、作家・女優の松井玲奈の画像と共に、『今日から、進年。』というキャッチコピーが朝日新聞に出ていた。「キーを叩く。指を止め、想いを巡らす。そしてまた、キーを叩く。この行為を繰り返し、世界はだんだん輪郭を顕わしていく。」と、見事な滑り出しで言葉を紡ぐ。

 そして、「誰かの毎日を、そしてこの社会を 明るく照らすような小説を、 これからも丁寧に紡いでいこう。 私たちはまた、書き進める。 今年という新しい物語を。」と結ぶ。「英知が集う」社名らしく言葉にけれんみがない。

         ・ 

 日本経済新聞をめくったとき、そこにも集英社の全面広告があった。しかし、写真も文章も違うものになっていた。『今日から、進年。』のキャッチコピーは変らない。写真はnon-noのモデル・女優の新木優子。

「お気に入りの服を着たとき、メイクを上手くできたとき。心は、ちょっと前を向く。…いつだって、そうやって、わたしはわたし自身を 元気づけることができる。…わたしたちの瞳が輝けば、きっと世の中は明るくなるから。 進もう、わたしらしく。」と、ポエムのような歌詞にもなるような洗練された言葉が産み出されている。朝日にも日経にも読者に合わせて違う宣伝をしているその感性の磨き方が集英社らしい。

         

 いっぽう、辞書と言えば三省堂と言ってしまう如く「考える辞書」を標榜している三省堂。「時代」「絆」「レジリエンス」という言葉を提起しているが、キャッチコピーとしては迫力に欠ける。小さな字で「ことばを通して考えを深めることが、未来をきりひらく第一歩となることを願います」と書いてあるのは、もっと大きくしてもいいのではないかと思う。

            

 最後に小学館だ。ドル箱の名探偵コナンを登場させ、「こどもはみんな、何かの探偵だ。」と、「世界を探究したいなら、本を読もう」と誘い込む。「…世界はいつも、大きな難事件だ。 <知りたい>想いがある人にだけ、世界は、そっと、真相を打ち明けてくれるよ」と結ぶところは小学館の面目躍如というところだ。元旦の新聞の面白さは、こんなところにも躍動がある。きっと、元旦号にはコピーライターが胃を痛めながら吐露してきた傑作のるつぼが反映されている。それだけに、新しい時代を「具体的に」切り開くエネルギーにしなければもったいない。

 

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出版社のキャッチコピーを比較する ①

2021-01-05 21:51:59 | 意見・所感

 元旦の午後、新聞を買いにわざわざ街のコンビニに出かける。コンビニには新聞の殆んどが無くなっていて4か所を探し回る。いつもは新聞の社説を読むのを毎年心掛けてきたが、どういうわけか、出版社の広告のキャッチコピーが気になった。

   まずは岩波書店。「現実を見よと言われ、夢想を止めよと笑われながら、それでも想像を止めない。その力がいまをつくりあげた。その力が未来を切り開く。 そんな想像力をはぐくむ本をつくり続けるー わたしたちの新年の決意です。」と結び、『想像力が明日をつくる』というキャッチコピーと宮崎駿の絵コンテで全面広告とした。しかし、表現が従来的で心をキャッチするほどのパワーが足りない。言いたいことはよくわかるが、老舗に安住している環境から一歩も出ていない、と言ったら言い過ぎだろうか。

   

 その点では、文芸春秋社の『活字のなかに<人間>がいる』という言葉でグッと惹きつけられる。スペイン風邪のときの菊池寛の小説の紹介で、中身は岩波書店には及ばないものの、このキャッチコピーには迫力がある。

        

        

 光文社のこうあったらいいなという写真に、『ニューノーマルな、朝の絶景』という取り合わせは遊び心のなかに思いを貫徹している。また、大修館書店の明鏡国語辞典のキャッチもオーソドックスに特色を伝えている。

  

 新潮社の『私たちは人類史上かつてなく他人と<接続>しているのに、なぜ孤独を感じるのだろう』という、コロナ禍を踏まえた不安感に入り込む。「私たちを取り巻く環境と、人間との進化の結果が合っていないことが、私たちの心に影響を及ぼしているのだ」と、引用したハンセンの『スマホ脳』を紹介している。

 そして最後に、「読書そのものは孤独な作業なのに、そこからは大きな充足感を得ることができる」と結ぶところはさすがの新潮社だ。しかも、荒木経惟(ノブヨシ)の写真がまた惹きつけられてしまう。中身が秀逸。保守論壇の覇者ともいうべき新潮・文藝春秋はさすがに鍛えられている。(つづく) 

 

    

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そこのけそこのけスミレが通る

2020-04-13 21:06:24 | 意見・所感

 わが畑の脇の道に一株だけいわゆる「スミレ」が咲いていた。いつもの位置より7~8mほど路上のコンクリートに近づいていた。なかなか群落にはならないのでわが家の環境は気に入っていないようなのだ。それなのに、近所の家の坂道にはスミレの二列縦隊が誇らしげに楽隊を形成していた。

  

 そう言えば、知の巨人と言われた故加藤周一氏は、戦後まもなく戦時中の文学青年を批判して「新しき星菫派(セイキンハ)」と呼んで論争になったことがあった。つまり、星やスミレに託して恋愛や感傷を詩歌にしたロマン主義文学者を痛烈に酷評したのだ。言い換えれば、新しき星菫派は、その戦時体制に対しては黙して現実逃避したのに、戦後は平和主義の旗手のような平然とした態度に加藤氏は容赦ない怒りをあらわにしたのだった。

  

  星菫派は与謝野夫妻の雑誌『明星』に結集する若き文学者群だが、加藤氏はその後の戦時体制から戦後にかけて無節操に転向する文学者を、「新しき星菫派」と揶揄したのだった。
 つまり、「相当洗練された感覚と論理を持ちながら、およそ重大な歴史的社会的現象に対し新聞記事を繰り返す以外一片の批判をなし得ない青年」たちと烙印を押す。

 加藤氏の投げかけた問いはそのまま現代の平和ボケした世相にも当てはまる気がしてならない。戦前・戦中・戦後の文壇の無力・無責任はいまだ変わってはいない。

          

 それはテレビによく出演する評論家たちの受けねらいや迎合の風潮に、加藤氏の鋭さはいまだに錆びてはいない。スミレを愛好するオイラの立場も星菫派に近いのかもしれない。

 そんなことを考えつつスミレを見ているわけではないが、宝塚ファンの娘からは「時代をえぐる歌劇も上演していることもあるのよ」と釘を刺された。また、加藤氏も晩年は柔軟になったらしい。

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