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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

イノシシの別荘発見!!

2025-09-02 22:03:05 | できごと・事件

  一昨日、イノシシが暴れたわが裏山でその穴をマイ植木で補修したところだったが、その上の方には灌木が倒された広場が作られ、 イノシシの別荘らしきものがあるのを発見する。このままだと、大雨が来たとき土砂崩れの原因になる危機感を感じた。

  一昨日植えた樹木が掘り出されていた。なんとも、むごいことをするイノシシではないか。「あんたの掘った穴を直してやったんだぞ」とつぶやいたが、本人の姿はなかった。「しょうがないなー」と、その樹木を他の穴にまた植えこんだのだった。というのも、あちこち穴があるからわざわざ掘る必要がないくらいなのだ。

 

 ジャングル状態になっていた森の中に、ポカッと空が見える広場が作られていた。つまり、周りの灌木が倒されていたというわけだ。なんという破壊力だろう、とあきれて感心する。幹がでかい棘だらけのカラスザンショウが近くにあるので、「カラスザンショウ広場」と命名しようか。とか何とか言って、ため息をつく。もう少し上に登ってみる。

 

 すると、深い穴が見えてきた。画像左側には何本かの根っこごと倒された残骸があった。深さ約1m、奥行き3mくらいはあったと思う。ここなら、涼しいし、適度な風もある。目の前は自分が開拓した広場がある。下界の人間の動きも見て取れる。イノシシは意外に人間と近い所に宿泊している。しかし、繊細なので人間にはなかなか見つからない。きょう、バタフライガーデンに水やりしていたら、数か所にわたって穴が掘られていた。穴の広さはバスケットボール一個分だ。すべて、アジサイの樹の前だった。そこに、ミミズでもいたのだろうか。

 今までの経験からこれから、大攻勢に出てくる気配がある。早く防獣柵を再構築しなければとあせるが、この炎天下がヤル気を削いでしまうのだ。

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ついにやってきた屈強サル軍団

2025-08-30 22:35:52 | できごと・事件

 今までは、一匹のはぐれ猿にはなんどか出くわした。しかし、被害はほとんどなかったし、目があっても敵意は感じないどころか、優しい眼だった。たくましさは感じたもののどこか哀愁を感じさせたものだった。

 なんだかんだ現在に古民家に入居して18年にもなるが、猿が集団でやってきたのは初めてだ。今月の27日には庭の甘柿を食べられた。畑の草刈りが終わって帰ってきたところ、数匹の猿が柿の木にいて、あわてて逃げていった。その次の日の28日には、山にある大きな栗の木に5~6匹は来ていたようだった。「コラーッ」と怒鳴ると、見事な速さで山の上に逃げていった。栗の葉の新芽を食べていたようだった。

 

 さいわい、畑の方には侵入していなかったので大きな被害はなかったが、これからの本格的な侵入はおおいに予想できる。近所にも目撃情報があるが、意外に家庭菜園をやっている農家は少ない。そこで、さっそく対策方法を調べたがなかなか打つ手はない。外柵の網はもちろんだがこれからは天井も必要になってくる。金網のハウスが必要になってきたと痛感する。

 とりあえず、すぐできることとして脅し用のパチンコをネットで購入する。球はビー玉で強力なパワーのパチンコだった。

 

 それだけでは不安を解消できないので、おもちゃのピストルも入手した。球は銀玉だが、土にも溶け込むというのが決め手となった。どうみてもいずれも、素早く逃げる猿の方が有利であるのは間違いないが、侵入したら断固として対応するぞというポーズを示さなければならない。猿の侵入でついに野菜作りを止めてしまった農家もある。それほどに、手ごわい相手となる。牧歌的だった野菜作りの菜園はじわじわと遠くなっていく。

 

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イノシシが掘った穴に植えこむ

2025-08-26 23:30:30 | できごと・事件

 熱帯化したような日々の中なので、裏山の木陰を草刈り機で雑草を刈ることにした。わが小さな裏山は、栗のエリアと雑木のエリアがある。その境界の所を見たら、なんと穴だらけとなっていた。もちろん、イノシシの仕業だ。ふだんはシカ帝国が支配しているわが土地だが、コロナ禍以来イノシシはおとなしくしていた。それは次の作戦を練っているようだった。まずは、ワラビの根っこを食べていた跡だった。

 悔しいので、その掘った穴を利用して挿し木で育てていた「ムラサキシキブ」を植えることにした。

 

 イノシシの荒らした穴はいくつかあったので、裏山に植えたいと思っていた1mほどの植木を一気に植えていく。内容は、カエデ2本・ムラサキシキブ6本・ハゼノキ1本・イズセンリョウ1本の計10本だ。ム紫の実をラサキシキブは、林縁で紫の実を控えめに用意するが、わがやに君臨する「コムラサキ」の旺盛な生命力に負けそうだ。

 

 山もよく見ると、少しずつ崩れてきているのがわかる。周辺で起きている土砂崩れがいつか現実の問題になることを注視しなければならない。その意味でも、樹木の植え付けは欠かせない。

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迂回路使ってはいるが

2025-08-12 23:33:36 | できごと・事件

 熊本での線状降水帯の大雨被害は人ごとではない。6月の大雨で近くの国道に土砂崩土があり、以来全面通行止めとなってしまった。迂回路が2コースあるので陸の孤島にはならなかったが、街への買い物や病院通いには山や悪路を越えていかねばならない。時間もずいぶん食うことになった。二か月前のことだが、大きなニュースにはならなかった。

 

 2012年の大雨では近くの川の濁流が何時もより数メートル高く増水し、民家への被害が心配された。もちろん、わが家の入り口前の道路は冠水し、突然の川となった。

 

 2022年の台風では、いつも買い物で利用する国道が陥没があり、片側交通となった。その後、復旧がすすみ現在は元通りとなったが、通るたびに安全を確認している。支流が合流する地点に軋轢があった場所のようだ。

  以前、土砂崩れで崩落した箇所での復旧がずいぶん時間がかかっていたが、2022年の台風でこの崖下と川とが接する補修箇所が水圧で新しいコンクリートブロックが再度流されたりして、やりなおしが続いた。

 こうした崩落現場の復旧作業は一年中見られるようになった。自然災害が多くなってきたことが感じ入る。その意味では、災害列島日本はやはり「防災省」のような専門機関が必要だ。

 

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佐藤君が16年かけて産み出したサクランボ

2025-06-15 22:38:31 | できごと・事件

 昨年に引き続き、娘から父の日に贈り物が届いた。ふだん、なかなか果物に手が出ないわが家のエンゲル係数を知っているようで、山形の「サクランボ」が届いた。有名な「佐藤錦」だった。1922年(大正11年)、山形の佐藤栄助さんが16年かけて完成させた品種だ。おかげで、国産シェアの7割が山形で、その7割が「佐藤錦」というからその功績は偉大と言うしかない。全農山形が6月6日を「山型サクランボの日」に制定している。

 

 箱を開けてみたらサクランボのデザインがなかなかしゃれているのに感心する。しかも、黄色のカーネーションと手作りの葉っぱの折り紙が添えられていた。こんなところに生産者の心意気が反映されていてうれしくなった。さっそく、食べだしてみる。

 

 国産サクランボの代表格の「佐藤錦」らしく、その原点の味が伝わってくる味だった。最近ではどんどん糖度があがってきてアメリカンチェリーのような味が多くなってきているが、この「佐藤錦」は甘さと酸味がほどよく調和している。

 

 そのためか、手が動いたままで止まらない。あっという間にひと箱を食べてしまった。以前、サクランボの苗を二回ほど植え付けたがい ずれも失敗している。シカも好物なので新芽や枝はすぐ食べられてしまう。もちろん、他の害獣たちには絶好の好物でもあるのでその対策を配慮しないと道は遠い。その意味で、冬越しをはじめ山形の生産者の方の苦労は大変なものだと思う。そんなことを思いながらお替りに手が出そうな欲望をこらえている現在でもある。

 

 

 

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ついに入れ歯デビューとなった!!

2025-05-06 22:15:09 | できごと・事件

 2月に機能不全だった下の歯数本を抜き、結局下の歯全部がなくなった。しばらく、歯抜けのままおかゆやら介護食やらにお世話になりながら、3月、ついに入れ歯の装着が始まった。しかし、うまくかみ合わせができず難航し、義歯を修正してもらい、少しずつ助走訓練となる。

 まずは、入れ歯専用の歯磨き剤とブラシ、入れ歯入れ、入れ歯洗浄剤とを確保する。しかし、すぐ義歯が外れるので入れ歯安定剤が必須であることがわかり、あわてて「ポリグリップ」を入手する。安定剤の種類には、クリーム、ふりかけ、シートなどあるが、まずはオーソドックスなクリーム状のを選んでみる。

 

 しかし、クリームを義歯につけるのが意外に微妙だった。その量をつけすぎるとヌルヌルして居心地悪く、少ないとすぐ外れてしまい、使用法にはコツがいるのがわかった。したがって、はじめは断片的にクリームを少しずつ置いていくのが失敗しない方法であるということだった。これでだいぶ慣れてはきたが、まだ初心者マークということだろう。大きく口を開けたり、強く噛むと入れ歯の底部分が当たって痛くなることもあり、義歯を少し削った方がよいようだ。

 

 さて、その「ポリグリップ」はCMでもおなじみなので日本製だと思っていたが、原産国は「アイルランド」だった。アイルランドの主要産業は、金融や製薬や情報通信などだそうだ。そこは、ヨーロッパの外資系製薬業界の集積地ともなっており、米ファイザー・米イーライリリーといった世 界の大手製薬会社の多くが製造拠点を構えていて、アイルランド経済に大きな貢献をしている。日本の武田薬品工業、アステラス製薬なども参画している。
 
 日本の世界ニュースは欧米に偏重していて、こうしたアイルランドの動きを初めこれからの世界を牽引する第三世界や南半球に多い新興国「グローバルサウス」の情報が後回しにされているのが実情だ。マスメディアの欧米一辺倒の思考停止が甚だしい。その意味で、アイルランドの外資導入を大きく利用した産業政策の戦略は首肯できる内容だ。ポリグリップはアイルランドがかなりのシェアを占めていた。
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仁義なき侵入は阻止だぜ

2025-04-29 22:43:39 | できごと・事件

 仁義なき侵入はひでーぞ。某国の力による侵入と同じように、自然界にも同じように相手の事情を無視して下足で踏み込んでくるような事態がある。それは、外来種「マツバウンラン」だ。1941年京都伏見区で発見され、京都を中心に拡大し、現在は全国を制覇する勢い。よく見られるのは乾燥した荒れ地・開発地・休耕地にも侵出し、広い群落を形成する。

   葉は松葉のように細く、花はウンランのようにかわいいところから、マツバウンランと命名される。一見、ひ弱そうに見えるがじつは強靭。抜いた残骸をそのまま放置しておくとそこから大繁殖するので、それを燃やすくらいの徹底さが必要だという。2013年ごろから当地区への侵入がだんだんと目立ってきた。

  甘く見ていた当局はそれを腕組するだけだった。むしろ、富良野の「北の国から」の歌を口ずさむ能天気さだった。したがって、その大群落が作業の邪魔になってやっと重い腰を動かすことになった。

   

 5種類くらいの花の種を蒔いてあったが、「忘れなぐさ」だけがなんとか花を見せてくれただけだった。当局はこの「忘れなぐさ」の周りのマツバウンランの駆除を5日間ほどかけてのんびりやって終わりにしたかったようだ。

  

 そして、申し訳なさそうに、グランドカバー用に「タピアン」(クマツヅラ科)というサントリーが発売しているバーベナの仲間の苗をいくつか植え付けた。花は芝桜に似ている。これが芝桜のように増えていけば文句はないが。

 ただし、マツバウンランの群落はここだけではない。昨年の経験から草刈り機で駆除してもそれを焼却するとか、燃えるゴミに出すとかしないと同じ目に合うだけのようだ。いやはや、忙しい春爛漫に追われる。とても大型連休を満喫する余裕はない。

 

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なんてこったぁー、ブログを終了するだってー

2025-04-15 01:09:22 | できごと・事件

  2009年から16年間も利用してきた「goo blog」が今年の11月に閉鎖されることを突然知らされた。こういう体験は二度目だった。それ以前のブログは、とりあえず紙媒体で保存してあるもののwebからはもう観られないし、画像も散逸している。blogだけでは収益を得るのは難しいかもしれないが、その内容は各人の人生の軌跡が込められている。その意味では、本blogは大きな社会貢献をしているともいえる。

  16年前は、100年以上前の古民家に移住して人生の着地点での出発をしたばかりだった。玄関前で羽釜でご飯を炊いたり、蕗を茹でたりしたのも懐かしい。太い柱には白アリが巣くっていた。修繕に追われて感傷に浸る余裕もなかった。

  

 終の棲家には厳しい寒さもあった。それ以上に、誰一人として知り合いがいなかった。縁戚関係が絡み合うこの田舎でオイラの偏屈な人格が通用するだろうか、緊張の日々でもあった。そんなとき、今では見られなくなりつつある「ササユリ」がひっそり咲いていた。都会では見られない珍しい花や昆虫がそんな心を癒してくれたのだった。

  基本的な土台や柱は大工さんにやってもらったが、床板や壁は自前で再建した。大工さんの一人はたまたまこの集落の人だった。今ではその棟梁とは何でも話せるいちばん心が通じる仲ともなった。そこから、少しずつ仲間に入れてもらっている過程にある。 blogはそうした何気ない関係を背景に発信してきた。

 

 そのうちに、このgooblogがポイントを扱うようになったりしたのでがっかりした。世の流れは確かにどこもポイント獲得だらけだ。そこに象徴されるNTTの目先だけの体質を見てしまった。しかし、そういうことではない社会的役割をめざすポリシーがもっと欲しかった。それを鼓舞するようなスケールや世界がもっと欲しかった。それを指摘してもきっと受け止めてくれない体質をも感じてもいた。blogを文化として深化させる発想が欲しかった。

 時流に乗った目先の策略には失うものがある。大手の大企業が没落していった一因もそこにある気がしてならない。世界も日本もこれだけ文明が発達していてもどこからか崩壊していく亀裂も進行している。

 その崩壊を阻止し再生していく装置がblogであってほしい。そんな思いを込めてblogに対峙してきたつもりだが、NTTドコモの安定した背景を信じたオイラの先見の明の甘さが出ていたのかもしれない。今となっては、16年もつき合ってくれたベースにお礼を言うしかない。ともあれ、しばらくのお付き合いを続けるが。

 

 

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そろそろ開花しようかなー

2025-03-21 23:28:39 | できごと・事件

一昨日の早朝のこと、和宮様が「世界が突然変わったぞよー」とまどろみの中にいたオイラを叩き起こしてきた。ウクライナの和平が実現したのかとも思ったが、まさか、どうも違うようだった。そして、うれしそうに「雨戸を開けなされ」とおっしゃるのであわてながら雨戸を開ける。すると、裏山の銀世界のパノラマが迫ってきた。

 

 あわてて、カメラ片手で外に行く。山並みにうっすらとにわか雪が積もっていた。すでに朝日が昇ってきているのでもう雪は消えていく過程にあった。手前に見える「河津桜」のつぼみがほんのり恥じらいでいた。街中のカワズザクラが満開だというのにわが家の春はまだまだおあずけだ。

 

 枝に積もった雪は水分をいっぱい含んだ「べた雪」だった。河津桜も開花してよいのやら迷っている様子だ。午後にはすっかり雪も消えてアイスバーンの心配もほぼなくなっていた。

 

 近くにある「カンヒザクラ」はやや日陰にあるので雪は白い。一番に咲くカンヒザクラも濃い紅色の蕾を用意している。こちらもいつ開花するかを検討中だ。当局の検討中はあてにならないが、植物は謙虚に結果を出してくれる。

  

 同じように「ボケ」も開花寸前だった。雪が降らなければ当然開花を観られたに違いない。気温は確実にあがっているが山からの風は強く冷たい。これでは確かに開花とは判断できない。

 

 そんななかでも、挿し木一年生の「ネコヤナギ」が冬の寒さの中でも枝を伸ばして開花していた。挿し木が、伐った数本の竹の防寒で生きていたことに感謝する。経験則で言えば、冬を越えられる挿し木は半分もいれば上等だからだ。それほどに、手をかけ、ハウスを用意すれば越冬もできそうだが、現実はそうはいかない。

 きょうの段階では、桜の開花はあと数日のうちに実現できそうだ。この時期、去年は見事に開花していた「ヒメコブシ」も大木になったもののまだ睡眠状態が続いている。春がすぐそこに。

 

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馬頭観音を掘り出したのは…

2025-03-18 22:29:35 | できごと・事件

 わが家の近くに古道がある。戦国の世ではこの狭い道を徳川軍は武田軍追討のため通った古道らしい。そのかたわらに古くから馬頭観音の石仏があった。またその近くには川にかかる古道の橋があり、むかしは吊り橋だった。そのため、馬が落ちて亡くなったりすることもあったそうな。また、重い荷物を持った人間が隣町へ行くために峠を登るため結界を越えるという馬も人間も命がけの行路でもあった。それでいつからか、古道の坂の途中に鎮魂と安全祈願のための馬頭観音の石仏が鎮座していた。

 

 今のところ、その川の決壊や橋が流されることはないが、高台には縄文遺跡があり、縄文人は川のそばでは生活しなかった知恵があったようだ。さて、その馬頭観音は、おそらく去年早々だと思われるがみんなが知らない間に姿を消してしまったことに気がついた。盗まれたかとさえ思ったが、少しずつ土砂も崩れていたのできっと埋まってしまったのに違いないと思われた。

 

  寄り合いでみんなに聞いてみたがその行方は誰もわからなかった。それが去年の12月だろうか、石仏はいつの間にか無事に掘り出されていた。石仏を支える重い台座もしっかり掘り出されていた。
 それを誰がしてくれたかをみんなに聞いてみたがわからなかった。となると、その周辺を整備してくれていたチーボーさん以外は考えられなかった。チーボーさんは12月の寄り合いにはいたが、1月半ばには心筋梗塞で突然亡くなっていたのだった。

 

 寒い朝だった。チーボーさんが川のほとりで倒れていたのを発見された。74歳だった。深夜の川のほとりで好きなタバコを吸うのがささやかな習慣だったという。チーボーさんはどちらかというと、目立たなくて控えめだが心優しい人だった。ついこの間まで、地元の自治会長や組合長をやってくれたばかりでもあった。役員をやってから、人が変わったように地域のことを率先して動いてくれた。その姿がとても謙虚でいきいきしていたので、第2の人生を見つけたように積極的な動き方だったのが頼もしかった。

 

 同期の仲間からは、「想い出がありすぎて寂しい、とってもがっかりだ」。若手からは、「子どものときにチーボーさんに丸刈りをやってもらって優しく声掛けをしてくれたのがうれしかった」という人が多かった。オイラも仕事を退職してまもないチーボーさんと地元で一緒に何ができるかを考えていたので残念至極だった。

 馬頭観音の掘り出しは、チーボーさんの最後の仕事だった。きっと、土中からの観音様の声をどこかでキャッチしていたのに違いない。

  

  そんなチーボーさんの活躍をしっかり見届けてくれていたのは、ごみ収集場所の屋根にいた「コケッコ」と掘り出された観音様だった。

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