ロシアの侵攻と市民虐殺の酷さは、これが21世紀の事実であることを剝き出しにしている。そんなこともあって、日露戦争後のポーツマス条約で側面から影響を与えた在米の日本人、朝河貫一を掘り起こした清水美和著『<驕る日本>と闘った男 / 日露講和条約の舞台裏と朝河貫一』(講談社、2005.9)を読みだした。帝政ロシアの時代からロシアは領土拡張の欲望が続いている。だから、北方領土なんか、返すつもりはさらさらないのだ。それを踏まえた交渉が必要だが、阿部くんのように北方の経済協力までサービスしてしまっているのは大きな読み違いだった。
今回のウクライナ侵略はプーチンという諜報員だった男が大統領になって起こした独裁者の戦争犯罪だ。戦前の日本は、軍部と民衆・マスコミが一体となった戦時体制確立の歴史でもあった。それはもちろん、言論弾圧・人権抑圧・反体制勢力の封殺は前提だ。したがって、日露戦争で勝ったのにポーツマス条約ではその戦利品がわずかだったことで、群衆による焼き討ち事件が多発する。
そうした状況を「戦勝に浮かれる日本人の増長を戒め、驕りと闘い、日本人が長じていたはずの<反省力>を発揮することを訴えた」朝河貫一の孤独な叫びを描いていく。作者はポーツマス条約案文に朝河とその盟友たちの大学ブレーンとの交流から克明な記録を探し出して、朝河が大きな影響力をもっていたことを解明していく。
日本の現実は、やはり「国家主義志向」が戦争へと体現され、中国・朝鮮へと食指を伸ばし、太平洋戦争へと突き進み、それを止める勢力も壊滅していく。中国での日本軍は、「殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす」という「三光作戦」で無辜の民衆を犠牲にした。それは、現在のロシアのやっていることと酷似している。いや、それ以上の残虐を犯したものだったとも言える。
著者は、「朝河のポーツマス条約原案作りへの関与」を、「<ポーツマス>から消えた男」と題して発表したのが、1998年11月だった。オイラが朝河貫一という名前を知ったのは恥ずかしながらつい最近のことだった。それほどに、マスコミや研究者は彼の果たした役割に鈍感であった。いまだに。
日清・日露・日中戦争から太平洋戦争へと向かった日本のナショナリズムは、敗戦によって洗礼されたかのように見えるが、権力者の本流の思考は基本的に変わっていない。だから、過去の狂気、つまり本当のことは触れたくない。われわれも、過去の負の遺産は知りたくもないというのが本音だ。
しかし、チェチェン紛争やシリア、そしてクリミア併合で犯したプーチンの蛮行は、ソ連がポーランドのカチンの森で二万人以上の将校・インテリを虐殺したのと同じことをしている。そっくりだ。 日本の平和ボケは、本当のことが知らされない。すると、その気配が人を狂気や「同調圧力」へと追い詰めていく。それが小さな噴火となって似たような事件が多発する。
ということは、それらを知らないでいたこと、許してしまったことは、同じ事件・殺戮が起きるということだ。ウクライナ侵攻はそうした過去の教訓を継承していないという証左になってしまった。今できることとはーー。