山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

「山の楽市」本番はあした

2018-03-31 19:41:24 | 市民活動・まち育て

 「春野山の村」に直行する。そこには、地元の女性部が明日の準備のために集まっていた。さすが各論に強い女性だ。今まではこうした取り組みがなくて男だけだった。

 

      

             

 午前中には区画割が終わっていて、あすの出店を待つばかりだ。借景の桜はすっかり満開だ。その遠くの山並みも見えるように伐採を終えている。

 

    

         

 山の村らしくあちこちに大木の木材が転がっている。分厚い木材の年輪が圧倒する。繊細な都会のセンスではなく風雪に耐えた山の歴史を感じさせる木材の存在感。静謐な山の空気に明日はにぎやかな人の感動が行き交うことだろう。しかしながら、やや風邪をひいたのだろうか、頭が重いのが気にかかる。  

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早咲きのムスカリにスイセンに

2018-03-30 20:29:22 | 植物

 どこでも見られるくらいの「ムスカリ」(ヒアシンス科)は、植えっぱなしでもいいオイラのようなぐーたら人間にぴったりの植物がやっと勢ぞろいした。いっぱい植えると壮観なグランドカバーになる。

 

         

 春に白い花が咲く「ムシカリ」という樹木があって、ときどきどっちだったか混乱してしまうときがある。その意味で、「ムスカリ」の別名「ブドウヒヤシンス」のほうがイメージしやすくわかりやすい。

 

      

                

 いまだ草刈りしていない雑草ゾーンから植えっぱなしのスイセンが花開いた。申し訳なかったね、この状態では草刈機も使えなくなった。誇り高いスイセンに手を合わせたよ。

 

        

 裏の畑で満開となった「カンヒザクラ」は八重というのが珍しい。蕾は濃紅色だったのも見どころだった。上野の桜は人の雑踏で疲れてしまうが、わが町のような中山間地のほうは花見ができるスポットがいくらでもある。ここでも、人がいないと花見ができない主体性のない日本の体質が気になってしょうがない。         

 

        

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「山の楽市」をやるよ、嘘ではないよ

2018-03-29 19:58:49 | 市民活動・まち育て

 昨年できなかった「山の楽市」が今度の日曜日にいよいよ実現する。今年の1月からNPOの理事長を先頭に打合せを5回ほどやってきた。これは画期的なことだ。というのも、初期の取り組みは打合せは数回しかできなかったからだ。さらには、地元の協力を取りつけたのもこれからの波及効果が高い。

 

          

 今までの「山の村」のイベントは内輪で終わることが多く、地元や周りからは何をしているかがわからない。その意味では、今回の「山の楽市」は春野町全体に呼びかけ、さらには浜松市内の公的機関にも周知を初めて試みた。まだまだコア部分では力量不足が目立つが、できる範囲でまわりから応援していきたいと思う。

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優れた伝統野菜「のらぼう」

2018-03-28 18:05:23 | 農作業・野菜

 なんとか冬越しできた「のらぼう」(アブラナ科)がうまい。耐寒性があるというものの、現実は突風・寒風が手ごわいのだ。生き残ったのは半分ほどだったがほぼ毎日のように食卓にのぼる。味噌汁や胡麻和えが中心だが、小松菜やホウレンソウよりも甘さがある。

 

                

 シカも味を覚えたようで根元から食べてしまう。せっかく竹マルチやビニールトンネルで防寒していて、それをはずしたばかりなのに。

  埼玉・多摩の伝統野菜ではるが意外に知られていない。天明・天保の飢饉のとき、飢餓から救った野菜ということで、あきる野市の子生(コヤス)神社」に「野良坊菜之碑」の記念碑が奉納されているくらいだ。

 

               

 「のらぼう」は、菜の花の仲間で脇芽が次々出てくるのでけっこう長く栽培できるのも優れているところだ。そのため、近隣にもおすそ分けしている。菜の花のように蕾を食べるだけでなく、シカと同じように葉っぱ自体も食べられ、生命力が強い。冬越えはけっこう苦労したがいまは春の旬を堪能できているのがありがたい。    

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カンヒザクラほぼ満開、ヒメコブシは落花へ

2018-03-27 14:01:48 | 植物

 裏の畑の隣に「八重カンヒザクラ」がほぼ満開となった。8年前の2010年に植樹したものだ。今ではすっかり手が届かない大きさに成長している。沖縄の桜と言えばこの「カンヒザクラ」をさす。

 テレビは佐川前国税庁長官の証人喚問中継でどの局も放映。そこは官僚が国民に対して誠実か、政治家に媚びるかの指標がよく見える劇場でもある。エリート中のエリートが全身を傾けて奮闘している時空がほんとうに国民の利益に繋がっているのだろうか疑問だ。じつにもったいない。そのつけが戦前であれば原爆や空襲や戦死という結果となり、戦後は自然破壊、原発被害、心の空洞化となっているのではないかと思えてならない。

 

         

 数年前に藪状態の中から発見した「ヒメコブシ」(シデコブシ)は、すっかり元気になり見事な花をつけてくれるようになった。赤紫色のシデコブシが気に入っているが、わが家のヒメコブシは白が強くほんのり紫色が残っている。3月中旬のころが満開だった。今では花びらがかなり散り始めている。

 街に買い物に出かけた。ソメイヨシノが満開になってきた。桜を植えてきた日本人の心の豊かさを感じる。その豊かさが政治となるとどうも歪んでしまうのは何が原因なのだろうか。マンガ『風の谷のナウシカ』を読み終わりそうだが、宮崎駿の絶望と希望との葛藤のなかにそんな人間の深層に沈潜しそうな姿が見えてくる。世界と日本が抱えている本質を彼はすでに90年代に見抜いている先見性に驚愕する。

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百古里(スガリ)めぐりの余韻

2018-03-26 20:55:25 | 市民活動・まち育て

 山水画に出てくるような桃源郷は、ここ「百古里(スガリ)」に見ることができるとかねがね思う。徒歩で一周できるのも魅力的だ。焼き芋を買いそびれたが、池谷夫妻手製の昇り窯も見事だ。

 

 

         

 集会所のなかでは似顔絵や極小折りヅルコーナーがあったり、その外では手焼きせんべい体験コーナーがあったり、常連のmachiさんのイラストや投げ銭ライブの大村さんらもすがすがしい。磐田市から馳せ参じた「上鼓会(ジョウコ)」の太鼓も里山風景とマッチしていた。

 

          

 しかしながら、茶畑を抜根してブルーベリー畑にしはじめたり、茶畑の上にソーラーパネルを設置したり、ゆるやかに時代の流れがこの里山にも沁み込んできている。町にすぐ手が届く場所にあるこの「百古里」地区が、寝るだけの郊外ではなく自立した里山集落として残ってもらいたいと切実に思う。

 その意味で、「百古里を愛する会」が主催する「百古里めぐり」の意味と役割は果てしなく大きい。

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桃源郷はここにあり

2018-03-25 20:49:50 | 市民活動・まち育て

 暗い杉木立のトンネルをくぐると突然現れてくる桃源郷「百古里(スガリ)」集落がある。行くたびに感動がある。坂上田村麻呂が祈願したという将軍杉の下ではコンサートをやっていた。

 

         

 50以上の出店が集落のあちこちに点在する。その中を新春のうきうきを歩く参加者の笑顔が素敵だ。戦争が絶えぬ世界のいがみ合いの中で自然を味わい四季を愛でる東のジパングのなんという晴れやかさだろうか。

 

         

 神社前のコンサートの片隅で「焼牡蠣」をいただく。山の奥深くで海の牡蠣をほお張るとはなんという贅沢だろうか。恵まれた自然に育まれた桃源郷は、ムラのアーティストや「志民」が小さな志を持ち合って種を撒き芽を育ててきた賜物だ。

 

        

 水をたたえた田んぼにはドジョウがうごめいていた。水面には借景の山々が応援してくれている。自然農に生きる池谷夫妻の悠々たる生き方がそこにはある。政治家に汲々として「忖度」に生きる官僚のバカバカしさはここにはない。清貧の中にも緩やかに生きるもう一つの選択肢がここでは提示されている。それは都市に捨てられた過疎地だからこそ提示できる生きかたなのかもしれない。

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ミズキとツバキとを投げ入れる

2018-03-24 20:53:09 | 植物

 剪定したミズキの枝がしばらく放置されていたが、枝の赤い色が見事だったので、生け花にすることにした。さいわい、大きな甕があったのでそこにそのまま投げ込む。数日後、同じく剪定した徒長枝のツバキの枝も花と一緒に投げ込む。これで狭い庭がにぎやかになった。ミズキが喜んでいるように思えた。

 

       

 最初は落ちているツバキの花を水面に浮かべようと思ったが、落ちた花は元気がなかった。そこで、剪定したツバキの枝を投げ入れてみた。貧相な玄関前も少しは華やいだポイントは稼げたかもね。そんなツバキに感謝。  

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ニンニクも冬越し成功へ

2018-03-23 18:25:18 | 農作業・野菜

 昨年のニンニクは冬越しがうまくいかなかったので、今年は防寒のビニールをしないで、竹マルチだけで冬越しした。すると、ほとんどのニンニクが生きてくれた。これで黒ニンニクが食べられそうだ。畝の周りの竹をはずし、草取りを行う。

 

                 

 昨年の経験から雑草もある程度除去しないと栄養分がとられてしまう。落ちた竹の葉も肥料になっていくこともねらっている。今回の種は青森産ではないが福地ホワイト6片には違いない。

 

                

 和宮様も自ら草取りをかってでてくれた。風はまだ冷たいので黒マルチの上に枯草を敷いて防寒をかねる。雨も止みやっと畑への本格的始動となる。が、「山の楽市」のチラシ最終版ができたので、それを取りに行きそれを持って何軒かに配布し参加要請を行う。畑とイベントとのせめぎあいが続くのも春のなせるわざなのだ。

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道草山にフキノトウが

2018-03-22 21:33:09 | 食彩・山菜・きのこ

 畑のフキノトウは乱獲のため元気がない。5年ほど前だろうか、裏の道草山に一部を移植したものがこのところ次々立派なフキノトウが出てきている。

 

                

 人があまり立ち入らないのがいいのか、背も高くきれいで絵になる。和宮様は「収穫しないでしばらく待ちなされ」とのたもうたので、そのまましばらく放置することにする。

 

         

 国道わきのあちこちに咲いたフキノトウを採ってきて天ぷらにする。やっぱり天ぷらが一番だね。すると、ついつい食べ過ぎちゃうんだな。

 

           

 ついでに雨でニョキニョキ出てきたシイタケを焼いて、醤油・みりんをかけていただく。シイタケの旨みが口中に浸透していく。

 やっときょうで雨が終わりそうだが、風は強く冷たい。

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