山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ブルーベリーの収穫が始まった

2024-07-24 23:11:33 | 野菜・果樹

 うだる灼熱地獄の連日のなか、わが家庭菜園でのブルーベリーの収穫が始まった。そう言えば、戦後生まれのオラの記憶ではいつごろから市場に出回ったのかわからない。日本では、1951年(昭和26年)ハイブシュ系の数品種を、1962年(昭和37年)にラビットアイ系品種を導入し、1980年代には、水田転作や中山間地向けの推奨作物として高冷地を中心に栽培生産されるようになったという。

 だから、まだまだ新参者の果樹であることには違いない。たしかに、オラがブルーベリーを食べ始めたのは90年代に入ってからのように思われる。

  

 そもそもブルーベリーが世界に広がったのは、17世紀、ヨーロッパからアメリカに侵出した移住者が、ネイティブアメリカンからわけてもらい、そのおかげで、冬の厳しい寒さと飢えから生き延びることができたという。そこから、新参者のアメリカ人にとってブルーベリーは「命の恩人」であることをわすれてはならない。

 

 わが菜園のブルーベリーは、畏友の故天野貢さんからたくさんいただいた苗が育ったものだった。おそらく、その苗は13年以上は経ったと思う。最初は50cmほどの苗だったものがゆっくり成長し、今では2m以上も大きくなった。彼の厚い支援のおかげで今年は実がいちだんと大きくなってきたのは間違いない。先達の彼が遺してくれた果樹や野菜は今もってわが菜園に生きている。

 

 ブルーベリーは品種が多くて栽培の上ではいまだに混乱しているわが菜園だ。初期には赤い実となるので、ラビットアイ系の品種が多いのがわかる。ラビットアイ系は、暖地での栽培に向いており、甘味系で育てやすいが、皮の厚みや種のざらつきがやや気になる。ノーザンハイブッシュ系は寒冷地に適した系統で、果実は酸味系で大粒。舌触りは繊細で滑らかなのが特徴だ。主にこの2種が畑に混在している。

 

 ヨーロッパから勝手に土地を略奪した入植者は、労働の疲れを癒すために、ブルーベリー茶(葉や根)を愛飲した。近年ブルーベリー茶には、血液の清浄作用があることが明らかになったという。現代のアメリカ人はネイティブアメリカンに感謝の念と領土を捧げなければならないと思えてならない。

 宮崎県と宮崎大学が研究・試行したブルーベリー葉には「ポリフェノールの王様」と呼ばれるプロアントシアニジンが果実の7倍~10倍と豊富に含まれていることがわかり、血圧や血糖値を下げる効果、脂肪を減らすダイエット効果、美肌効果、ドライアイや眼精疲労の改善効果などの機能性があることが判明したという。これはぜひ、やってみる価値はありそうだ。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「上越丸えんぴつナス」の心意気!!

2024-07-22 22:37:54 | 野菜・果樹

 今まで、毎年挑戦しているのにナスの生育がうまくいかなかった。それが今年に限ってじつにスムーズに実をつけてくれたのだった。その理由は分からないが、永田農法を一部導入したせいかもしれない。といっても、特製の液肥を撒いたに過ぎないけれど。ひょっとすると、和宮様のご令嬢が直接植えてくださった偉業のせいかもしれない。

 

 さらには今回、鳥獣除けのネットを初めて利用してみた。カラスは実を盗み、シカは柔らかい葉を食害するからでもある。それがアブラムシへの警告にもつながったのかもしれない。結果的には、次々実を結んだナスはソーメンや冷や麦などの柔らかな具としてわが胃袋に投入された。残念ながら、その画像を残す前にツルっと口に入れ込む食欲第一主義が勝っていた。

 

 ところで、「上越丸えんぴつナス」という旨い伝統野菜が新潟にあるのを知った。「えんぴつ」と言うと細長くて、先がとがっているイメージがあるけど、そのナスを在来の卵形のナスと交配するうちに、上越地区の特産野菜となり「上越丸えんぴつナス」と命名された。

 ぷっくりとした丸さに少し先端がとがっているのが特徴。あくが少なく、果肉がとろけるような食感で、煮ても焼いても揚げてもおいしいナスだと評判だ。

 

 この上越地域在来のナスを守ろうと、平成26年に農業者3人で「上越丸えんぴつナス研究会」をつくって、種の保存と広く知ってもらおうと意気旺盛な活動をしている。その少数精鋭の心意気が素晴らしい。確かに、トロっとした甘みがたまらない。たまたまオラの歯が入れ歯直前の状態であるので、その柔らかい食感が気に入った。

 

 新潟県はナスの作付面積が全国一位で、新潟市は一世帯当たりのナスの購入量も全国一位という。収穫量では高知県が一位だが、消費量では新潟は第一位。新潟はナス王国でもある。初夢に見ると縁起が良いとされた「一富士二鷹三なすび」のことわざがあるが、家康はなすびが好物だった。当時、静岡の三保折戸地区で作られた「折戸なす」は、地温が高くなる砂地を利用して旬の早い技術があったという。

 明治以降、、その栽培は途絶えていたが、国の研究機関で保存されていた折戸なすの種をもとに生産者と連携して平成17年折戸なすの復活を果たした。現在家康公を祭る「久能山東照宮」に「折戸なす研究会」によって毎年初物の折戸なすが奉納されている。在来の伝統野菜の継続は、こうした心意気あるグループが活躍しているのが心強い。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やっぱりキクイモを育てることにした

2024-06-19 22:24:04 | 野菜・果樹

 以前、セニョール先輩からいただいたキクイモが大繁殖して、畠どころか荒野も道路にも野生化してしまった。毎年露天掘りのように収穫していた。しかも、その泥を除去するのが一仕事で、秋から冬の寒さの中冷たい水洗いでブルブル震えながらの作業だった。その後、キクイモを畑から排除しつつ小さなカスまで焚き火で燃やすなど根絶に成功したのは3年前のことだったか。

  

 それが最近、菊芋に含まれるイヌリンが血糖値の上昇を抑える効果があり、また、カリウムは血圧の上昇を抑えることが再び注目されてきた。糖尿病予備隊員であるオラはやっぱりキクイモを食べなきゃと思い直し、いつもどおり急遽、ネットで種を購入し、ジャガイモ栽培を失敗した跡地に植え付けることになった。

 

 その後、畑の畝ではなく「雑草園」の根っこを除去した所に移植して定植することにする。もちろん、肥料はやらず水だけにする。大変だったのはこの雑草の根っこのしつこさだった。根っこの絡みはやはりツルハシの出番だ。鍬やスコップより出番はツルハシの方が多いのがわが耕地の特徴でもある。もちろん、「収穫」したツル性植物優勢の根っこは放置するのではなく焚き火の「エサ」にしないと周辺ではびこってしまう。

  

 キクイモはおよそ10本くらいを植え付けた。問題は照り付ける暑さだが、梅雨を見越して雨の降りそうな前日に作業を行う。その作戦が効いたか、一本も萎れることなく無事だった。あとはなにもせずに得意のグータラ農法で秋を待って収穫するだけだ。さて、どんな騒動がこれから起きるか戦々恐々だが、味は意外にうまいのが救いだ。放置してしまうと個体がぐんぐん増えていくから、どんどん収穫するのが野生化を止めるコツのようだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上を向いてばかりの生き方は疲れます!?

2024-01-27 18:11:43 | 野菜・果樹

 やっと、キウイの剪定を終わらせる。寒さと寒風の中の作業なので老体にはこたえる。だもんで、4日間をかけてのんびりやることにする。今回は幅十数センチの古木を数本強剪定する。ここ数年、オラたち人間もキウイも後期高齢者となっているのでお互いにやれる範囲のことだけをやることを暗黙の同意としている。

                                                        なにしろ、秋には「エノキタケ」か「ナラタケモドキ」らしきキノコが生えてきてしまったからね。食べられそうだったんだけど、和宮様からダメ押しの命令が出たので逆らえませんね。

 

 伐ったところは墨汁を塗って雑菌が入り込むのを防止してみた。寒い日にはノコギリを使うのがいい。さすがに汗こそ出ないがじっとしているよりはいい。上ばかり向かって作業しているので、長くやっていると首が痛くなるので、適度に首を回すようにしている。人生上ばかり見てはいけない。下を見ることも大切なのだ。また、オスとメス株の枝が出会うように今回はかなり注意したが、こう言う出会いも人間の出会いと同じく思う通りにはいかない。

  

 なんだかんだで、棚の下は伐った枝の集積所となった。注意して歩かないと転びそうになる。毎年のことだが一年のうちにこんだけ溜まってしまう。しかし、これはいつの間にか、焚き火の原料となり、灰となり、またここへこんどは肥料として配布される。まさに、循環型農業を推進している気になっている。

 

 理想通りの剪定はいつもながらできないが、ジャングル状態からは脱出したのは間違いない。ほんとうは、魚の骨のようにきれいになるのがいいが、キウイも自由を求めているので思う通りには行かない。しかも、天に向かって伸びようとするからそれをなだめるのが難しい。収穫量も往年のようにはいかないが、朝のジュースにはいまだ欠かせない食材として活躍してくれている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「香酸柑橘」の代表

2023-12-22 00:45:14 | 野菜・果樹

 十数年前からときどき尾上さんち周辺でユズの収獲にお邪魔したりしていた。その近隣には大きくなったユズの木が多いが、みーんな高齢者となり収穫もできなくなったので、剪定を兼ねて収穫をしてきた。どうやら、農協が植樹を推進していたらしい。だもんで、その収穫量も段ボール数個にもなるのがフツーだった。最近はこちらも後期高齢者となりご無沙汰していた。そんなとき、先日どっさりユズを届けてくださった。(冒頭画像は2012.11のもの)

   

さっそく、調理に突入。ユズの皮をみじん切りにしたものは冷凍にしてうどんやそばの薬味に使う。そうすれば、一年中使うことができる。絞った汁は醤油と混ぜてポン酢にする。

 今年の冬至は12月22日だが、その日にユズ湯に入るのが江戸以降のならわし。冬至は湯治、柚子は融通と語呂合わせして風呂に入り、柚子で身を清めその強い匂いで邪気を払う。そうして、本格的な冬に備え無病息災を願うという気合いの日だ。

           

 とにかく種が多い。この種も焼酎に入れれば、化粧水に滑らかなお肌の手入れに有効だ。   

「桃栗3年、柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大バカ18年、りんごニコニコ25年、 女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生、あーこりゃこりゃ」と言われるほど、実生からの栽培は時間がかかる。そのため、ほとんどの苗は接ぎ木などから増やしていく。

   

 千切りにした皮をいよいよユズジャムにしていく。絞り汁の残骸の内果皮の袋も栄養があるのでジャムに入れる。「香酸柑橘」(コウサンカンキツ)とは、甘味がないためすぐには食べれれない酸味や香りが豊かな柑橘類のこと。その在来種は約40種あるという。その代表格がまさに奈良時代から栽培されてきたユズだ。

       

 カインズホームで買ってきた瓶にジャムを詰める。十数個作ってお世話になっている近隣に配る。こうして、かつて農家収入に貢献したユズも高齢者になったものの周りの人をちょっとしたほっこりする存在となった。長い棘に何度も刺されたけれどね。

 

 

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栽培発展途上のキウイ!!

2023-11-17 21:44:09 | 野菜・果樹

  わが家の放任農業の優等生であるキウイを収穫する。長い夏だった今年の異常気象はわが農作業にもあちこち影響した。したがって、キウイも短い秋のため収穫が例年より10日ほど遅くなった。和宮様のご命令も日々の天候を踏まえての緻密なご託宣だった。今年の収穫量は往時の四分の一ほどしかなかったが、一つひとつの個体は大きい。わが家の柿も栗もキウイも人間もみーんな後期高齢者となってしまった。

           

 キウイも老木になって、所々にキノコが生えるようになってしまった。このキノコはおそらくナラタケモドキと思われる。いっぱい群生すればこれも食べられる。根元周辺ではときどきブンタンくらいの大きさの「オニフスベ」も発生したこともある。これも食べられるがその時期を見分けるのがむずかしい。新しい幹を育てればいいのだがなかなか太い幹を伐採する勇気が出ない。

    

 たわわな実もいくつかあったが実が例年より少なくなったことは事実だ。とはいえ、味の旨さの美味は変わらない。品種はヘイワードだが、これはニュージランドのヘイワード・ライトさんによって発見・開発栽培に成功、原種の小さなサルナシを改良して緑の果肉の大きいものだった。1920年代のことで、そこからアメリカやカナダに栽培が広がる。それから、昭和40年(1965年)ごろアメリカから日本に輸入される。だから、果樹としてはまだ発展途上の存在かと思われる。

            

 最近は果肉が赤っぽいものや黄色のものや皮ごと食べられるものも出てきたが、どうも甘すぎてなかなか決定打にはもう一歩というところ。とはいえ、食物繊維・カリウム・鉄分などは果物の中ではトップクラス。夜食べると睡眠中の腸内環境にいいらしい。中山間地にはよく見かけるキウイ棚だけどその多くはジャングル状態が多い。もったいないね。剪定だけでもやってあげるとわが家のように小さな生き甲斐が見えてくるのだが…。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブドウじゃないけど、最盛期だよ

2023-08-04 22:55:56 | 野菜・果樹

 ブルーベリーを故天野貢さんからいただいてから十数年となる。その木が背の高さを越えて今年は過去最高の収穫を迎えた。最初は膝ほどの高さで実ができるかどうかもわからずのスタートだった。成長がゆっくりだったのがぐうたらなオラにはぴったりだった。失敗して枯らしてしまったこともたびたびあったが、挿し木をしたり新たに購入したり友人からいただいたりしながら、今では数十本となった。おかげで、今年はブドウのようなたわわな実も出てきた。

       

 ほとんど放任状態の生育だったが最近は肥料をあげるようになってきたせいか、樹も期待に応えてくれるようになってきた。市場に出していないので収穫したものは近隣や友人にお裾分けしている。基本的には生食もしているが毎朝の野菜ジュースにはたっぷり混ぜ込んでいる。

       

 日によっては、1kgを超えることもある。先日大きめの粒だけを計ってみたら600gを超えた。大・中・小と大きさによって分けている。ややすっぱい「小」はジュースやジャムにする。さすがに、大きいものは甘いのは言うまでもなく生食。

 とはいうものの、甘いかどうか収穫どきの判断がじつに難しい。収穫しても完熟するわけでもないので、そのタイミングは研ぎ澄まされた感覚に頼るしかない。

           

 収穫には和宮様が先頭になって馳せ参じてくださる。和宮様も味を確かめながら収穫判断の難しさにため息を漏らすほどだ。実にちょっと触ってポロリと落ちるくらいがいい。やはり触って柔らかくなったのがうまい。例年だとヒヨドリやシカの食害もあったが、今年はどういうわけか少ない。知人から提供された害獣除け忌避剤の効果もあったのかもしれない。

 オラが若かりし頃には、まだブルーベリーという果物は出回っていなかった。1990年代観光農園でブルーベリーを初めて食べた記憶があるくらい。歴史はまだ浅いが、原産の北米ではネイティブインディアンが大切に栽培してきた。イギリスから移住した入植者・アメリカ人が飢えを克服できたのは、ネイティブインディアンがトウモロコシやブルーベリーを紹介してくれたことを忘れてはいけない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れていた柿を収穫

2022-11-25 21:07:22 | 野菜・果樹

 裏山で作業をしようとしたら、奥の方に柿が見えた。ここ数年、裏山も藪が広がって中に入れないようになってしまっていた。そのため、柿があったことをすっかり忘れていた。かなりの老木でもあり、日当たりも悪かったうえに、強剪定の洗礼も受けていたので十数個の柿を確保するのがそれまでの成果だった。今回も同じくらいだったが、カラスに食べられている柿もあった。

           

 渋柿ではあるが、品種はわからない。この樹も10年ほど前に偶然発見したものだった。そのくらい、目立たない成長の悪い柿の木だった。だから、甘柿か渋柿かわからなかった。実の先端が尖がっている渋柿の品種には、大富士・蜂屋・愛宕・大和・立石などが有名らしいがどれに当たるかも判らない。この柿の大きい品種が百目柿のようだ。とりあえず今年の収穫はこれだけ。

  

 渋柿といえば、吊るし柿をするのを忘れていて、へたを残さなかったのが失敗。そこで、家庭用食品乾燥機で乾燥することにする。普通、食品乾燥機には果実や野菜を薄くスライスして並べるが、干し柿にするので棚に当たる皿を外して、ヒーター部分だけを使う。その上側に丸網を二重に乗せてそこに剥いた柿を置く。そこに大きな箱の段ボールを全体にかぶせて加熱する。要するに、燻製づくりの要領だ。

    

 恐れ多くも、これらの作業やアイデアは和宮様自らすべてを担ったのだった。しかも、さっそくできあがった干し柿を御下賜くださったので、ありがたくいただくことになった。食べてみると、太陽光の恵みにはかなわないけれど十分旨味のある干し柿となった。山からの贈り物の自然の恵みがあらためてうれしい。加えて、山の幸に応えてくださった和宮様の素早い配慮に感謝するばかりとなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最後は55cmの大物だった

2022-11-23 22:13:07 | 野菜・果樹

 霜がやってきたのであわてて残りの沖縄トウガンを収穫する。ところがその数日後、ハト麦の繁みの下にでっかい冬瓜を発見したのだった。その根っこは先月に抜根していたので、今まで水も栄養も補給されないままじっと耐えていたというわけだ。日当たりではなく繁みだったのが幸いした。

 さっそく、その長さを測ったら55cmほどだった。重さもずっしりだった。時間がだいぶたっていたのでもちろん、外皮の毛はなくなり、ツルツルしていた。白い粉の「ブルーム」に覆われていた。

         

 沖縄冬瓜は、生ごみを畑にまぶしたものから芽を出したものと思われる。その苗を畝に移植してツルを網に這わせながら育成したものだ。沖縄冬瓜は30cmほどの大きさで、表面は白いブルームはなくツルツルしている。核家族や老人だけの所帯には手ごろの大きさだ。そのせいか、生産量は沖縄が日本一だ。

   

 わが家では、冬瓜は毎朝の野菜ジュースの主要メンバーとなっている。それでも、食べきれないので知り合いに押し付けて食べてもらったりしてなんとか食品ロスにならないようにしている。料理では、スープがおすすめだ。夏は冷たいもので、秋や冬は暖かいものがいい。歯が悪い後期高齢者にとっては口に入れるととろけるような食感がうれしい。鶏肉との相性もいい。味噌汁にいれてもカレーライスにいれても齟齬はない。同居している食材の味を生かす謙虚さが素晴らしい。さて、来年もどこかで芽を出してくれると信じている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飢饉を救った野良坊菜はわが家も救った

2022-03-25 21:47:21 | 野菜・果樹

 昨年の秋、野生化していた「のらぼう菜」を畝に集めて今年も栽培をする。冬には二重の防寒布をかけていたのが良かったようで、順調に収穫している。この時期、葉物野菜はなかなか畑からは収穫できない。近所におすそ分けするととても喜ばれる。和宮様は十二単衣を脱ぎ捨て作業着に着替えて収穫に余念がない。

          

 のらぼう菜は天明・天保の飢饉の救荒野菜として人々を救ったことで有名だ。江戸時代以降栽培されてきた伝統野菜というが、ルーツは西洋アブラナでもある。どうやら、オランダ船が持ち込んだらしい。しかしそれが、江戸西多摩や埼玉飯能地域などの山間部が栽培の中心地だったというのもオランダと結びつかない。

 生をサラダで食べてもいいし、茹でて何もつけなくても甘いし柔らかい。菜の花系の野菜は苦みが強いが、のらぼう菜は甘みがある。収穫後は萎れやすく長距離輸送や大量出荷に不向きのため市場に出回らない。そのため、「のらぼう菜のレジェンド」と言われる、川崎市菅地区の高橋孝次さんらの執念で関東に進出している。が、寒さに強く、野生化するほどの生命力があり美味・栄養価も高いのに知られていないのがこれまた理解に苦しむ。春の到来とともにのらぼう菜がわが家の食卓の花形で、年金暮らしの家計を救っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする