枯れ枝がポロリと落ち始めている栗の老木だが、なんとか糊口をしのぐ量の栗をわが家に供給してくれている。栗の実はイガの中に本来3個あるはずだが、現在、1個が圧倒的で全体的にも小粒になってきている。
早朝・深夜にはおとなしいイノシシが上手に鬼皮・イガを残して侵出している。かつては6:4くらいでわが家に恩恵があったが、最近はこちらの高齢化で3:7くらいに後退している。食欲と体力がやや減退気味のジイジにとっては食べられるだけでも幸せだが、かつては宅急便で知人にいっぱいおすそ分けできていたが今ではひっそりとしている。
栗の木といえば三内丸山遺跡で発見されて、従来の縄文時代は緩慢な狩猟採集経済だけでなく計画的に栗林を栽培していることが明確になった。縄文時代の定義が変わるきっかけともなった。奈良時代では持統天皇が全国に栗の栽培を奨励するなどで、高価な果樹が貴族から一部庶民に広まり、さらに江戸時代では参勤交代をきっかけに全国的に広まっていく。
焚き火で栗の枯れ木を燃やすことがあるが、杉の木と違って栗の木はなかなか燃え尽きない価値ある広葉樹だ。また、明治以降の鉄路の枕木としても重宝された。わが家でも肥料も与えない放任栽培の典型的な果樹として、平身低頭の食物となっている。往時は栗が主食になった時期もあったくらいだ。
そろそろ、わが家への栗のプレゼントは終わりとなる。同時並行として、ミョウガが日の当たらない裏の畑で頑張っている。去年は少なかったが今年は成績がいい。さっそく、ミョウガの大好きな知人にたっぷりお贈りすることになった。しかも、近所からもミョウガをいただいた。だもんで、毎日贅沢にミョウガを食べ過ぎたせいか、このごろは物忘れが甚だしいことしきりだ。