山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

すさまじき 雲の走りや 秋の空

2020-11-30 21:59:23 | 風景

 明日から12月。冬の確実な寒さが刻々と迫る日々。朝からうろこ雲が秋を惜しむ。ときおり寒風がススキを横倒しにする。空を見上げるといつもより雲がぐいぐい走っているのがわかる。

   

 そのうち午後になると、うろこ雲が消え、毛状の巻雲が出てきた。これほどシャープな巻雲を見るのは稀だ。雲の中で最も上層にあるという。

  

 夜のニュースでは、太平洋側に雲のなかにぽっかり穴があく「穴あき雲」が各地で目撃されていることが報道された。残念ながらそれは確認していない。

 移ろいやすい男心を詠んだ一茶の「はづかしやおれが心と秋の空」はよく引用される。「女心と秋の空」は、大正デモクラシー以降の翻訳劇や浅草オペラの歌など女性地位向上が始まりだしてから言われだした言葉だ。つまり、「男心と秋の空」のほうが古いというわけだ。要するに、どちらも揺れる心は男女とも同じということだよね。

  

 夕方近くになると、魚の骨のような「肋骨雲」が見られた。これは、雲にある氷が風でいっせいに流されておきる現象らしい。

 きょうは主に草刈りをしていたが、一日中空が気になって雲の変遷に心を奪われた。雲の流れが速かったので見逃した形状もあったかもしれない。空を見上げる暮しを送れることに感謝しなければね。正岡子規の「すさまじき雲の走りや秋の空」がぴったりの月末だった。

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ブルーベリーへの遅ーい追肥

2020-11-29 21:04:56 | 野菜・果樹

 ほんとうは、収穫を終えたブルーベリーに「お礼肥え」を9月頃するべきだった。それを何とか重い腰をあげて二か月遅れで追肥する。恥ずかしい。言い訳すれば、ブルーベリーの周りの雑草の草取りから始めなければならなかったのでついつい後回しにしてしまったのだ。収穫した実はちゃっかり食べてしまったのに。そのほとんどの苗は、今年亡くなった畏友セニョールさんからのいただきものだった。申し訳ない。

  

 ブルーベリーの草取りにちんたらしながら4日間はかかってしまったが、熟成木材チップの肥料をたっぷり施す。これもほんとうは、枝の先端の範囲を輪状に撒かなければならないのについ直下の根っ子に撒いてしまった。慌てて焦るとこういうことになる。ヒコバエの一部は根切りもした。よく見ると、根っこが周りにけっこう伸びている。成長はゆっくりだがしっかり大地を捕まえている。肥料過多が今度は心配になる。ぐーたら農法は相変わらず右往左往の前途多難だ。セニョールさんの愛情に甘え過ぎてしまった。そうして、ときおり先輩の叱咤激励が心の底から聞こえるよ。

 

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間引きが忙しくなった

2020-11-28 20:32:49 | 農作業・野菜

  「つまみ菜」の間引きを少しづつ開始している。この「菜の花」の名前は、地方によっても違うし、違いも分かりにくい。「菜花」「摘み菜」「かき菜」の違いはと言われてもしどろもどろになってしまう。それはともかく、和宮様ご推挙の「のらぼう菜」の間引きを終える。

          

 間引きはあと2回くらいやり株間30~40cmにしていく。いろいろな菜花の中でも和宮様がこだわるように「のらぼう菜」は確かに他のものより柔らかく旨みがある気がする。手で欠いて摘み取るので「かき菜」とも言われている。残念ながらスーパーで見る機会はきわめて少ない。

 

 いよいよ「摘み菜」の間引きを始める。葉の形も「のらぼう菜」とは微妙に違う。間引き菜はもっぱら朝の野菜ジュースにしているのでけっこう消費できる。これをすべて食べるとなると歯やあごの堅牢さがないと難しい。

     

 間引き方法はハサミでおおまかに切り取るのが効率的なのがわかった。根っこごと除去すると、残った根を弱らせてしまう。そして、後半には丁寧に指で摘み取って残すべき苗は残していく。最後に土寄せを忘れないようにするのはもちろんだ。

 菜の花類は寒さには強いとはいえ、霜が降りてしまうと元気がなくなってしまうので、防寒対策もこれから必要になる。近所の畑は防寒しなくても大丈夫なのに、わが畑の寒さは特別みたいなのだ。畑がある地形は盆地のなかにあるようで近くの山と川からの風がぶつかってしまい、風力と寒さが倍増するようだ。いよいよわが家の中の隙間も気になるようになってきた。

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ジャンボしいたけのステーキ

2020-11-27 17:32:02 | 食彩・山菜・きのこ

 ほぼ捨ててある状態だったほだ木から和宮様がでっかいシイタケを発見した。直径は20cmくらいあった。しいたけ1個がフライパンの底を占める。さっそく、醤油とみりんで炒めていく。

        

 本体がでかいと大味になってしまいがちだが、肉厚の手応えとしっかりした旨みも保持している。さすが、森菌の深みが貫徹しているステーキ(素敵)だ。これの半分だけでも腹いっぱいとなる。

     

 いっぽう、本命のほだ木でもシイタケまつりが主催されている。森菌の歯ごたえがないのが残念だが促成しいたけのような勢いがあるので、どんどん消費していくことにする。

 

   

  それをラーメンに入れて食べたら食感がピッタリの食材となる。寒くなってきた夜にはこれは温まる。乾麺で作った和宮様渾身のラーメンがシイタケと畑の「間引き菜」を引き立ててくれる。おかわりできそうだが食べ過ぎが続いているのでがまんする。ごちそうさま。

 

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意味なく群れるよりも 意志のある孤立を

2020-11-26 21:57:12 | ポエム

 テレビCMはできるだけ見ないようにしてきたオイラの半世紀。しかし、そのCMに釘づけになったのが、経営戦略やビジネスアプリをサービスするアメリカの企業「salesforce」のCMだった。多様な人種の若者が踊りながら次の通りの言葉を発する動画だった。

            

         《 このままの世界で、生きるか ? 》

 完全を求めるよりも、 ワクワクする永遠の青さを。

 批判よりも、 提案を。

 嘆きよりも、 ユーモアを。

 常識よりも、 非常識を。

 過去よりも、 未来を。

 意味なく群れるよりも、 意志のある孤立を。

 正しいことを言うよりも、 正しい行いを。

 自分のためだけよりも、 世界のためを。

 このままの世界よりも、 これまで以上の世界を。

 人間次第で、 この世界は、まだ面白くなる。

   《 次の世界へ 》

   

 こうしたポエムもどきを社是とすると、社員の使命感が向上するのは間違いないだろう。その社会貢献事業も多彩で、「1-1-1モデル」がある。つまり、就業時間・株式・製品の1%を社会に還元しているという。1999年に創業したこの「セールスフォース」社のノウハウを導入した会社は、世界で15万社になり、日本の中枢の大企業も導入しているようだ。

    しかし、その志の高さは大いに学ぶとしても、とくに日本の企業は、小手先の利益だけを手中にしようとするあざとい体質はそう変わるものではない。日本企業の社会貢献も世界の流れに押されてアリバイ的にやっているとしか見えない。

  

  そんなとき、TBS系テレビが「SDGsプロジェクト」として、「地球を笑顔にするweek」(11/23~11/29)を設け、地球温暖化防止などを真剣に取り組んでいる個人・企業などを紹介している。やっと、腰をあげてくれたかなと思う。単発ではニュースにしていたが、こうした取り組みこそマスメディアの出番でもある。

 21世紀は「SDGs」の取り組みの深化が問われる世紀なのだ。日本はいっときその分野では先進国だったがいまは「化石賞」をもらってしまうほどの自堕落だ。それは日本の多くの事業家の魂の成れの果てでもある。ため息が止まらないので、これ以上は書けない。

 

 

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藤ノ木古墳に眠る謎の貴人は

2020-11-25 21:56:13 | 読書

 奈良斑鳩町藤ノ木にある古墳の狭い石棺(セッカン)に二人の貴公子が合葬され、それが誰だかまだ特定されてないという。そこで、朝日新聞社・古代騎馬文化研究会編『藤ノ木古墳の謎』(朝日新聞社、1989.7)を読んでみる。しかし、討論中心の国際シンポジウムの報告集ではあるが、学術的過ぎてわかりにくい。

 古墳から出てきた馬具や装飾品は近隣古墳の中でも一級品だという。それも、高句麗・百済・新羅等朝鮮半島の影響が強い形状で、その紋様は中東アジアからの伝播が認められるという。結論的には誰が眠っているかについては明言を避けている。1985年(昭和60年)に第1次発掘調査、1988年に第2・3次調査をしているので、本書はばたばたとまとめられた雰囲気がある。

          

 それをわかりやすくコンパクトにまとめたのが、前園実知雄『斑鳩に眠る二人の貴公子・藤ノ木古墳』(新泉社、2006.12)だった。写真や図解が豊富であるのが素人には心地よい。時代は6世紀後半、朝鮮半島の攻防は大和政権にも強く影響し、蘇我氏と物部氏との神仏論争が政権内部の残酷な誅殺へと進んでいく。

  

  とりわけ、590年前後は惨殺される指導者・皇族が集中している。その死者のなかから、前園氏は、被葬者は欽明天皇の皇子で聖徳太子の叔父である「穴穂部皇子(アナホベオウジ)」と宣化天皇の皇子の「宅部皇子(ヤカベノオウジ)」だったのではないかと推測する。二人とも、蘇我馬子らによる殺害ということだが、その根拠が蘇我氏悪玉論しか文献にない。

 

  本書は、「遺跡には感動がある」とするシリーズ「遺跡を学ぶ」の一冊だ。学術的なことばかりではなく地味で困難な発掘作業も報告している。考古学を広めようとする意欲があふれている。半世紀前オイラが博物館学芸員のペーパー資格を取ったときは皇室の臭いがプンプンしていてその頑迷な固執に辟易したものだったが、現在はずいぶんと多様なジャンルも含めた柔軟なものになってきた。

 その意味で、考古学も斬新なイノベーションを積み上げてきた足跡を本書からも確認できたのがうれしい。

 

 

 

 

 

 

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あわててエゴマの実を収穫

2020-11-24 21:01:05 | 農作業・野菜

 農作業には限りというものがない。いつも追われている気もする。いくらでも仕事がある。追肥に草取りに追われていたそんなとき、エゴマが倒れているのに気がついた。野生化したエゴマのいくつかを畝に移植していたものだった。昨年は収穫が遅くなってずいぶん貴重な実を逃してしまった。今年は、エゴマの葉を漬物とか佃煮とか炒め物とかに利用したので、野生化したエゴマはずいぶんと少なくなっていた。

          

 まずは、実がこぼれないよう細かい目の袋に茎ごと詰め込んでいく。今年は量を少なく調整したのでやはり収穫としては少なくなった。収穫さえしておけば次の作業、足踏み脱穀機と唐箕の出番だ。今年は何とかエゴマオイルを挑戦したいところだが、量が足らない気がする。

 わが家の野生化野菜の御三家は、現在キクイモ・エゴマ・エビスグサ(ハブ茶)だ。畑の中央を陣取っているエビスグサは、12月早々には収穫しないと来年は畑を占拠されてしまう。野生化するほどに栄養・効能のパワーも大きいのは確かなんだけど。

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根切りスコップを初めて使う

2020-11-23 21:33:57 | 特産品・モノ

 植物のがんこな株分けするときいつもうまくいかない。また茶園跡地に花木や果樹を移植するときに必要な用具はないだろうかと探していたところ、「根切りショベル」というものがあった。さっそく取り寄せて使ってみた。

         

 そのスコップの先は台形の形をしていて、掘る三面に刃がある。ブルーベリーの根切りをしてみる。さすがに太い根は無理だったが、ヒコバエの細い根はすっきりと切れた。金象本舗「浅香工業」の優れものだ。これで、植え替え作業もスムーズになりそうだ。

        

 ブルーベリーの根元の雑草を除去していたら表面はわからなかったがゴボウ並みの雑草の根っこを何本も発見。どうやらカラムシの太い根らしい。これにはさすがに愛用のツルハシが活躍した。用途によって適切な道具があるかどうかが大切だと痛感する。  

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ボケの残したものは

2020-11-22 21:19:35 | 植物

 わが家の入口に小さなボケの樹がある。周りの茂みに囲まれて生育はよくない。そのため、不定形な樹形となって邪魔になるので、つい強剪定の対象になってしまう。しかしそんな仕打ちをされながらも、木の根元には黄色いカリンのような実が落ちていた。

         

 ボケ(バラ科)の実の生食は聞いたことがない。まずは実を半分に切ってみる。すると、真ん中にリンゴの種のような粒がきれいに並んでいた。この種をなんとか撒いてみようと思う。これから、となりの茶畑の跡に植えて伸び伸び育ってほしいと思っている。実生だと時間がかかりそうなので、挿し木を挑戦しようと思っている。花はなんとか赤っぽい橙色を咲いてくれるはずだ。

      

 似た仲間に「クサボケ」という日本産の「樹」がある。はじめはこれじゃないかと思っていたが、葉の形や実の大きさや棘の多少などから、わが家のは中国原産の「ボケ」と判断した。やっと、ボケと向かい合うことができたような気がした。   

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[MINI]を生んだ奇蹟の遍歴

2020-11-21 21:04:37 | 自動車・エンブレム

 中山間地の車と言えば、軽自動車が圧倒的だ。その中で外車を乗っている人を見かけたことはほとんどないと言える。そこで少し街中に近づいていくと「MINI」に出会うことが多くなった。1956年のオイルショックで小型車の価値が増大したが、イギリスは乗り遅れていた。そこに起死回生をかけて開発したのが「ミニ」だった。「オールドカー」で目撃したエンブレムは、下方に翼の片鱗が見られるが現在のエンブレムでは左右にしっかり配置されている。

    

  自動車工学の奇跡とまで言われた革新的「ミニ」は、F1ライダーであり名エンジニアのジョン・クーパーの参画で世界を席巻させる。その奇跡の技術的内容はオイラにはわからないが、1962年には当時で50万台の生産台数に達する。「オースティン・クーパーS」はその翌年に販売したようだ。

       

 その後、スポーツ仕様から大衆車へ変わっていった(1967 ~1969)のが、「ミニ・クーパーS」の「MKⅡ(マークⅡ)」だった。しかし、その人気車も2000年には生産終了し、ドイツのBMWの「MINI」に吸収され現在に至る。自動車業界の吸収合併の栄枯盛衰はいまだに弱肉強食の世界だ。そこで見た控えめな小さなエンブレムはそんなかつての栄光を内包している。

 

 

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