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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

そこのけそこのけ進軍ラッパのスイセンが通る !?

2025-04-25 01:01:26 | 植物

 植えっぱなしの「ぐーたら栽培」のスイセン群落はいつのまにか倍以上に増えている。今が最盛期だ。その多くは「ラッパスイセン」が主流となっている。一番先に咲くのは、ミニスイセンの「テイタイト」という黄色オンリーのラッパスイセンだった。圧倒して多かったのは、白い花びらにラッパ状の黄色い副花冠のあるラッパスイセンだ。

 高校の英語教科書にイギリスのワーズワスの詩「ラッパスイセン」が載っていたらしいが、オラの大脳には全く記録されていない。平井正穂さんの訳がいい。

 

 谷を越え山を越えて空高く流れてゆく
白い一片の雲のように、私は独り悄然としてさまよっていた。
すると、全く突如として、眼の前に花の群れが、
黄金色に輝く夥(おびただ)しい水仙の花の群れが、現れた。
湖の岸辺に沿い、樹々の緑に映え、そよ風に
吹かれながら、ゆらゆらと揺れ動き、踊っていたのだ。

夜空にかかる天の川に浮かぶ
燦(きら)めく星の群れのように、水仙はきれめなく、
入江を縁どるかのように、はてしもなく、
蜿蜒(えんえん)と一本の線となって続いていた。
一目見ただけで、ゆうに一万本はあったと思う、
それが皆顔をあげ、嬉々として踊っていたのだ。

入江の小波(さざなみ)もそれに応じて踊ってはいたが、さすがの
燦めく小波でも、陽気さにかけては水仙には及ばなかった。
かくも歓喜に溢れた友だちに迎えられては、苟(いやしく)も
詩人たる者、陽気にならざるをえなかったのだ!
私は見た、眸(ひとみ)をこらして見た、だがこの情景がどれほど豊かな
恩恵を自分にもたらしたかは、その時には気づかなかった。

というのは、その後、空しい思い、寂しい思いに
襲われて、私が長椅子に愁然として身を横たえているとき、
孤独の祝福であるわが内なる眼には、しばしば、
突然この時の情景が鮮やかに蘇るからだ。
そして、私の心はただひたすら歓喜にうち慄(ふる)え、
水仙の群れと一緒になって踊り出すからだ。

  昨年購入した大カップ咲きの「ピンクチャーム」という品種が気に入った。赤橙色のフリルが淡い、官能の電磁波を送ってくる。水面に映った自分の姿に恋してしまったというナルシストの気持ちは、この「ピンクチャーム」を眺めているとわかる気がする。わがパソコンの立ち上げ画像にもなっているのがこれである。

  また、「オランジェリー」という品種も珍しい。蝶が羽を広げたような咲き方の「バタフライ咲き」が珍しい。スイセンはどこの家の庭でも見かけるほど人気があり、本場のイギリスではスイセン専門の種苗店が身近かにあるという。 

  さらには、八重咲の前衛的な白スイセンも魅力的だ。スイセンが多くなるとやはりいろいろな品種が欲しくなるのが人情だ。その意味では、この八重咲をはじめ多様なスタイルのスイセンもさらりと仲間に加えたいものだ。

 大型連休や土日は関係ない暮らしをしばらく続けている。農的生活はなかなか予定が立たないことが多い。いつも、天気と相談しながら仕事の手順を組み立てる。畜産ほど縛られてはいないが、野菜や花木の成長過程によって作業が規定される。スイセンをじっくり鑑賞する心の余裕がとれないのが正直なところだ。しかしながら、そんな心の狭さを広げてくれるのが野菜の成長であり花木の美しさでもある。

 

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♪花は 花は 花は咲く♪

2025-03-11 22:13:49 | 植物

 寒さを気にしているうちにいつの間にか汗をかいていた日があった。そうかもう3月になったんだ。そんな実感が湧いたのは春を呼んだ花だった。春の到来を予感して「まんず咲く」、「マンサク」(マンサク科)だった。

 花がよく咲けば豊作、花が少なければ不作など、稲の作柄を占う植物として昔から人の暮らしとの深いつながりがあったことから、「満作」とも命名された。

   今年は花数が多いので畑も豊作になりそうだ。いつもだと、「のらぼう菜」が勝手にこぼれ種でいっぱい若芽を芽吹くはずなのにどういうわけか今年は皆無だった。しかし、山猿さんからいただいた「菜の花」の種から見事な花を見せてくれた。おかげでここ数日、柔らかい菜の花のおひたしを堪能できた。

 その隣に、4月以降咲く予定の「トキワマンサク」が濃いピンクや白色の花を満開にしてくれるはずだ。マンサクはその花びらの特異な線形が目を引く。

  実生から育てている「ソシンロウバイ」がやっと花をつけてくれた。シカの食害で葉を食べられたり、たびたび枝が折られたりした連続だったがなんとかここまで来た。花はまだ3個ほどの控えめだけど。30本くらいは植えたもののなかなか開花までの道のりは遠い。

 芥川龍之介の俳句に「蝋梅や 雪うち透かす 枝の丈(タケ)」というのがある。芥川家は徳川将軍家のお茶の接待・管理する幕臣だった。明治維新で没落しこの庭の蝋梅だけが往時を残した面影だった。そんな悲喜こもごもを詠った俳句だ。

 

 家の裏側には先月から「小梅」が満開だ。ほんとうは低く剪定するつもりだったがなかなかやり切れていない。それほどに放任状態でもあるので、実も少ない。カリカリ梅は期待できるが入れ歯装着状態で難しくなった。

 

 切り花にしたいが、枝が高くて届かない。それでも、春の到来を予告してくれる予報官に違いない。冬のダークムード一色の眺望の中に突然白い小梅を見るとささやかな希望が見えてくる。きょうの3・11は東北大災害の日だが、地域復興や原発廃止がままならない人間の怠慢や忘却には呆れるが、そんな中でもポツンと咲いてくれる花一輪に救われる。

 

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そうだ冬の花を探しに行こう!!

2024-12-11 23:06:18 | 植物

 世の中は暗いニュース満載だ。ノーベル賞をもらった被団協受賞の意味は大きいが、政府がいまだに核廃棄に後ろ向きなのは戦後政治を経済成長神話路線をいまだ払拭できない象徴とも言える。「平和より金」路線が国民の頽廃と劣化を促進してとどまることを知らない日々だ。

 平安貴族の権力者は和歌を産み出す感性が問われた。戦国・室町時代では能・茶道・書道などに精通していることが指導者のステータスだった。江戸になると、庶民が浄瑠璃・歌舞伎・自然崇拝・人情などで自らを鼓舞した。それらが日本文化の基層となってきた。しかしそれが現代では解体過程にある。

 だから、内田樹氏ではないが、あえて身近な花を探そうとわが園内を歩いてみた。意外だったのは、アジサイの「墨田の花火」の花だった。一年中花を見られる優れものだ。夏にも秋にも冬にも花を見せてくれる八重咲きのガクアジサイだが、隅田川の「隅」か、 墨田区の「墨」か混乱がある。「墨」のほうが使用率が高いらしいが、隅田川の花火が有名だから「隅」が正しいのではと思う。

 

 アジサイの木は30本近くはあるが、そのほとんどは挿し木で増やし小さなもので、管理も悪く品種がわからないものが多くなってしまった。さすがにこの数日の霜で葉も花も萎れてしまった。アジサイの葉は毒だと言われているが、シカは食べている。シカの食害の犠牲者となっている。

 

 茶畑を伐根したら凄まじい勢いで芽を出してきたのが「ノリウツギ」だった。今は当初のみずみずしい純白の花は退化しているが桜のように散るのを見たことがない。花の形はほかのアジサイとは違い、円錐形で「ピラミッドアジサイ」とも呼ばれている。開花はほかのアジサイの花が咲き終わった夏頃に咲き始める。

 

 ネットで入手した「シロバナタンポポ」の綿毛を埋めたら、1本だけ花が咲いた。ここ数年そこから白い花を見せてくれる。もっと増やしたいが、遠慮がちな日本在来種である。もともと西日本にしか生育していなかったが、地球温暖化のせいか次第に関東、東北へと勢力を拡大しているという。

 

 ジャングル状態の花壇にもかかわらず、今年もそこそこ花を見せてくれる「カンツバキ」。背の高さも1mくらいにはなってきた。肥料をやっていないのに毎年しっかり花をつけてくれるのに頭が下がる。カンツバキの花は「花弁と雄蕊が合着している」「花びらが多く14枚以上」「しわしわにならない」という特徴があり、山茶花の花は「花びらが少なく5~10枚」「しわができるものが多い」という特徴があり、カンツバキの花は山茶花のようにばらばらに落ちる。

 

 葉が病気になってしまったが、いつもどおり花を見せてくれた「アケボノソウ」。プランターで栽培しているがほぼ放任甚だしい。それでも律儀に毎年花を咲かせてくれる生命力にホッとする。来年には地植えで増やしていきたい。かように、冬でもちらほらと花を見られるのはうれしい限りだ。アケボノソウは2年草で、1年目はオオバコに似た根生葉を広げ、2年目に茎や枝の先に花を多数咲かせる。

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紫式部じゃないよ白式部かな !?

2024-12-02 22:25:27 | 植物

   林縁を歩いていると紫の実に出会うことがある。紫色は古代から上品な色であり貴族の上位の色でもある。自然が生み出した紫色はとても少ない。だから、派手ではない「ムラサキシキブ」の実に出会うとうれしくなる。しかも、葉がビロード状の「ヤブムラサキ」の葉を確認すると声をあげてしまう。どちらも実はさほど多くない。そんなとき、わがバタフライガーデンで白い実の「式部」を発見する。

  

 市販でよく見る園芸種の「コムラサキ」の実の多さは圧巻である。茶畑の茶木を伐根した跡には40本ほどのコムラサキがニョキニョキ出てきたのでずいぶん慌てたものだ。今でもわがガーデンの帝王として君臨しているので、他の場所へ徐々に移植したり、寄贈したりしている。そこに、白実が加わるとは心強いバリエーションになる。

 

 しかし、いつ植えたのか、自然にそうなったのか、残念ながら覚えていない。感覚としては突然発見したという驚異だった。でも、環境的には実生から芽が出てきたとは考えにくい。だもんで、後期高齢者の記憶力減退のなせる症状だと推測するのが妥当だと観念した。「シロシキブ」という品種はあるらしいが、ムラサキシキブ系だそうだ。したがってこれは、コムラサキ系の「シロミノコムラサキ」という園芸種のようだ。来年になったら、挿し木して増やすことでコムラサキと共演していくようにしたい。

 

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ウィルスか「虫えい」か赤い実の謎

2024-11-26 19:10:03 | 植物

 

パソコンの不具合で四苦八苦していたときだった。解決方法があまたありやっとやっとたどり着いてブログ更新に着手できた。M社の独占的優位に忠犬の日本はどうかしているぜ、といつも痛憤するばかり。まったくー、わかりやすくしてくれー。

 玄関近くの道に落ちていた赤い実。今まで見たことのない実だった。一見、ヤマボウシの赤い実に似ているので食べられるかもと期待したが、見るからに病気のような奇妙な形だった。虫の住み家でもなかった。

  (画像は京都九条山自然観察日記webから)

 調べてみたら、「サネカズラ」(マツブサ科)であることが分かった。実はブドウを丸くしたような集合果で、赤くない小さな実は受粉できなかっためしべのようだ。この集合果なら見たことはある。つる植物の割には相手に絡まりつく貪欲さはなく控えめだ。だけど、しっかり生きている。

   (画像はhimekyonの部屋webから)

 そのためか、古来から和歌で登場する。百人一首にも「なにしおはば あふさかやまのさねかずら ひとにしられでしるよしもがな」(藤原定方)という恋心を詠った名句がある。紫式部の曽祖父が右大臣の藤原定方だった。左大臣が今でいう総理大臣なので、右大臣は官房長官という地位かな。『万葉集』では藤原鎌足や柿本人麻呂もサネカズラを詠っている。昔の政治家は、文学の素養がなければなれなかったのに、今の政治家はなんとも「さもしい」限りの狭量であることよ。

 さて、サネカズラは、茎の皮をむき水に浸すとどろどろの液体ができ、それが男性のほつれた髪を直す整髪料にもなった。そこから「ビナンカズラ(美男葛)」の別名も誕生する。また、この液を塗ってヒビやアカギレも直したという。生垣でよく見られたが、わが家では鳥が運んできたのかジャングル形成の藪状態に貢献している!?

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「乞食」か「甑(コシキ)」かそれが問題だ

2024-10-28 22:49:03 | 植物

  しばらくバタフライガーデンの一角に行かなかったこともあり、草刈りのためにその一角に直行する。すると、思い当たりのあるバラ科の植物が一大勢力となって周りに君臨していた。「コジキイチゴ」だった。長さが4mくらいになり自分で支えられないのでまわりの木にもたれながらもつぎつぎ枝を伸ばす厄介者だ。これを放置していたら大変なことになると、根っこから掘り出していく。

 

 しかし、枝は鋭い棘だらけで、触ると痛そうな腺毛も密集している。普通の軍手ではとても痛くて触れないので、急遽厚手の皮手袋をはめて枝を鋸で伐っていく。それを運搬すると棘が足に絡まったりしてまさに、ジャケツイバラのようにこちらの体が棘で捕縛されてしまう。さいわい鎌を持っていたので、細い枝を何とか切りながらの作業だ。

 

 名前の由来は、諸説あるが有力なのが、果肉が薄い袋状だった様子から、弥生時代に蒸し器として使われた土器・「甑」に似ているので「コシキイチゴ」⇒「コジキイチゴ」となったという。または古来からの在来種に「小字」という品種がありそれに似ていることから「コジキイチゴ」になったという説もある。卑近な例では、乞食でも食べないくらいうまくないイチゴなので命名されたという俗説もある。

 

 橙色の果実はいかにもキイチゴらしい外観だけど、ほんのり甘みはあるものの果肉が少ないのでもの足りないのは事実。だもんで、だんだん食べなくなってしまう。そのうえに、繁殖力が強くまわりの木に覆いかぶさってしまい、相手の成長を阻害してしまう輩なのだ。根元の太さは3~4cmはあったように思う。地域によっては絶滅危惧種に指定されているが、とても大事にしようという気は起きない。その点、ジャケツイバラは冠のような見事な黄色い花を見せてくれるので棘の威力は半端ではないがつい寛容になってしまう。

 

 乞食イチゴという差別的な名前を付けられてはいるが、花ことばは「純粋な愛」。清楚な白い花は絢爛さには欠けるけれども修道女のような控えめで、芯の強さがある。とはいえ、長い棘だらけの枝の肢体の処理には困った一日だった。

 

 

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トロロアオイのド根性健在なり!!

2024-09-09 22:43:18 | 植物

 10年以上前だったか、「オクラ」の種をネットで買ったらおまけについてきたのが、「花オクラ」こと「トロロアオイ」の種だった。そのこぼれ種が毎年わが「陣地」のどこかで花を咲かすのだ。わが「野生化農法」の、いや「放任農法」のエリートでもある。そんなトロロアオイがなんと、わが駐車場入り口で咲いていたのだった。そこは土がまったく見えない所だ。コンクリートの「ほつれ」の隙間から芽を出したらしい。最初は駆除しようかと思ったが、いつものようにめんどくさいのでそのままにしていた。すると、灼熱の熱波と排気ガスを受けながらも見事な花を毎日咲いてくれている。

 

 この花はエディブルフラワーとして食べられる花でもある。味はやはり控えめだがねっとりしているのはオクラの仲間であることを証明している。生のままサラダにしてもいいし、酢の物や天ぷらがお薦めだ。しかし、でかい花びらを収穫するのは罪悪感に襲われてしまうので、採らないでついそのままにしてしまう。一日花なので今日の花は明日にはない。青空の下の清新な花を何度も被写体にしたことだろう。

   

 花の中央は、赤紫色の花柱の先が五裂して、おしべが柱頭と合着しているのがわかる。花言葉は「知られぬ恋」というが、一日花の短い命のはかなさを意味するらしい。昨年は200粒ほど収穫してバタフライガーデンに撒いたけど、全く芽が出なかった。畑には勝手に芽が出るのでそれは駆除しているというちぐはぐの結果があるのみだ。だから、コンクリートからド根性トロロアオイが毎日花を咲かせてくれるというのは奇跡的だと言いたいのだ。

  花の中に、じっと動かない5mmくらいの甲虫がいた。はじめはマメコガネかなと思ったが、小さ過ぎる。調べてみたら、「クロウリハムシ」のようだ。ウリハムシと言えば、ウリ科の野菜の食害で有名だ。卑近な例で言えば、ウリ科の代表的な野菜はキュウリだが、ウリハムシはまさに主要な敵と言っていい。柔らかい葉は大好きで、虫よけカバーをしていないと見事に葉が無くなる。

 完全無農薬でやっているわが菜園はオレンジ色のウリハムシの絶好のえさ場になってしまう。その体験からすると、黒いウリハムシはあまり見かけない。というか、ひどい食害はしないらしいのでオラたちが気が付かないだけのようだ。

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近くのイワタバコ群落に行く

2024-07-29 22:42:17 | 植物

 先週、近隣のハンターから「イワタバコの群落がきれいだよ」との連絡を受けた。だもんで、一昨日の朝一緒に現場に向かう。十数年前に、そこのイワタバコ群落の存在は確認していたがすっかり忘れていた。現場には、5年ぶりくらいの空白がある。というのも、最近のオラは買い物や通院や必要な用事を除き、行動半径が10m以内の狭い空間で閉じこもっているからだ。

 

 その意味で、近隣から声をかけていただくこと自体がありがたい。7年ほど前から、9軒しかない地元の昆虫や植物それに郷土史もどきを編集して「超ミニ地域マガジン」(年1回、50部発行)を発行している。ハンターはそれにときどき情報をくれる有力な協力者をやってくれている。

 行政の郷土史には地元の史料がほとんど登場しない。なにしろ、山と谷ばかりといったらそのとおりだが、それでも人の暮らしはあったはずだ。郷土史の7割くらいは町の中心街の史料と有力者で占められる。

 

 したがって、「地域マガジン」はオラがせめて目にする昆虫や植物それに地元の想い出を残しておこうとするものだ。さて、イワタバコは古くから親しまれてきた。柿本人麻呂は「山ぢさの 白露重み うらぶれて 心も深く 我が恋やまず」と恋歌を残している。(山ぢさはイワタバコと言われている) また、江戸時代では、庭園芸術の重要な存在として栽培がされてきた。

 

 庶民は、若葉を山菜として利用したり、薬効として胃の働きが弱ったときに利用してきた。なお、イワタバコの花言葉は「忍耐」。この花が険しい岩場にしっかり咲く姿を表している。実際、ここの現場でも、連なっている岩場と吹き付けたコンクリート壁にしっかり侵出していた。その群落は断続的に20mくらいは続いていたように思える。むかし見た時より群落が広がっているのは確かだ。ただし、地元でこれを注目している人は残念ながら少ないようだ。それが保存には良かったのかもしれない。

 

 一昨日は残念ながら花はくたびれてきたようで、一斉開花の華麗さは見られなかった。連絡を受けたその日に現場に直行すれば良かったのだが。今回、初めてイワタバコの種を確認した。ほかの植物が生存できない場所にあえて進出する戦略のたくましさが見て取れる。壮観な群落を教えてくれたこころゆたかな地元のハンターに感謝するばかりだ。

 

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上下に穂ができるヒメガマ

2024-07-08 22:39:18 | 植物

 2年前の春に仲間と作ったビオトープに「ヒメガマ」の穂ができた。しばらく放任してどんな植物や生き物が来るか様子を見ていたが、目立つ生き物の主となったのは「トノサマガエル」だった。4月以降、ビオトープ周辺はお殿様の声明(ショウミョウ)でにぎやかになる。しかしその春以降は、あまり変化がないようなので、ヒメガマやハスをネットで購入して植え付けて間もない。そのヒメガマにまさに「ガマの穂」ができた。

  

 オラが小さいころ、ガマの穂を見る機会がたまにはあったが、最近は出かけないのでまったくお目にかかれなくなった。ヒメガマの穂には上下二つの穂ができるのをこのビオトープで初めて知った。

 岡山県倉敷市の重井薬用植物園によれば、「蒲鉾」は、「竹輪」の姿がガマの穂に似ていたことから、「蒲団」は、ガマの穂綿を綿の代用として寝具に入れたことから、「蒲」の字が使われたという。また、本種は古来より薬用、食用、生活資材などとして利用されてきたとして、背負いかごや腰かご、円座などの「がま細工」が県内でも作られているという。材料としてのヒメガマは、葉が細く細工しやすく、葉の内部は、隔壁で仕切られた通気道が通っており、スポンジのように空隙が多いため軽いうえ、水にも強く、非常に丈夫で実用的な民芸品でもあるとしている。

  

 また、千葉県野田市HPでは、植物観察のポイントを詳細に紹介していて、ヒメガマについては、上に雄花、下に雌花の穂ができるのをわかりやすく教えてくれている。ガマには、ガマ・コガマ・ヒメガマの仲間があること、晩秋には硬い穂がほぐれて風に乗って飛んでいくことなど、素人にもわかりやすく紹介してくれるのが素晴らしい。なお、植えたハスの花は間もなく咲く準備をしているようで、つぼみが膨らみ始めた。やっと楽しみが増えてきたビオトープとなってきた。

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キンシバイとビヨウヤナギ

2024-06-26 23:16:54 | 植物

 前々からキンシバイとビヨウヤナギの生垣の鮮やかさに感心していた。しかし、遠目から見ると両者は同じように見える。そこで、まずはキンシバイをバタフライガーデンに何本かを招待した。すると、蒸し暑い梅雨のさなかに期待通りたくさんの花を咲かしてくれた。

 

 中国原産とするオトギリソウ科の仲間。オトギリソウは「草本」だが、キンシバイは「木本」の低木植物。開花期間が長くきらびやかだ。キンシバイの花言葉は「きらめき」「悲しみを止める」「魔除け」「秘密」などがあるが、柔らかい連なった葉で、雨を受け止めるように見える様から「悲しみを止める」という花言葉もつけられたのがいい。

 

 花名の「金糸梅」とは、花びらの中に約60個ずつの5つの束になった金色の雄しべがおさまっており、花弁が梅の花と似ていることから名づけられた。葉が常緑であることが多く低木であることから個人の庭や公園にもよく見られ人気がある。

 

 ビヨウヤナギも1本だけ確保したのが同じように花をつけた。こちらの方が葉も花も大きく、雄しべの数も多く、長さも花弁から飛び出すほどだ。花弁の形も隙間があり、かなり両者の形が違うのがわかった。

 夏に咲く黄色い花が美しく、葉の形や垂れ下がる様子が中国の「未央宮」(ビョウキュウ)のヤナギに似るとして「ビヨウヤナギ」と名付けられた。未央宮とは唐の玄宗皇帝時代に楊貴妃が住んでいた場所であり、そのヤナギの葉は白居易が「長恨歌」で楊貴妃の眉に喩えている。花が美しく葉の細いことを柳になぞらえて美容柳とも言われているが、『牧野新日本植物図鑑』ではビョウヤナギとある。図鑑の方が正確な命名だが、病柳とも受け取られるので、美容柳の方が史実の背景にもマッチしてその匙加減が悩ましい。

 

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