goo blog サービス終了のお知らせ 

山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ブルーベリーついに絶好調!!

2025-07-29 23:34:14 | 農作業・野菜

 十数年前にセニョールさんからいただいたブルーベリーの樹がずいぶん大きくなり、実の粒も大きくなってきた。最近は、粒が大きく甘いブルーベリーの実が市販されているが、お値段はけっこう高く感じる。わが家では年に数回は肥料をやったり、雑草を除去したりはしているものの、ほぼ野放図なグータラ栽培だったのは間違いない。品種も途中から忘れてしまって、ラビットアイ系かハイブッシュ系が混在してしまっている。当初は品種のラベルはあったが、今ではほとんどなくなってしまっているていたらくだ。 

  

 参議院選挙の歴史的な自民党の惨敗の影響だろうか(まさか)、急速に黒い実が目立つようになり、しかもブドウのように実がたわわになってきたし、従来のものより粒も大きくなってきたのがわかる。しかしながら、甘い味の実を見わけるのは意外に難しい。黒くなったからすぐ収穫できるわけではなく、あせって収穫すると酸味が強すぎてしまう。選挙前では、黒くて甘い実は確認できなかったのに。

 

 きょうの収穫だけでも1kgほどはあったが、人手があればこの倍は収穫できるはずだった。自家用だったのでつい大きいのはつまみ食いしてしまって画像には反映されていないのがうかつだった。そして、いつもの朝食の野菜ジュースにはブルーベリーのアントシアニンが投入されるようになった。

 

ブルーベリーたっぷりのジュースは、同時に投入されたゴーヤの苦みを乗り越え、甘いジュースとなっていた。いよいよ、この季節、ブルーベリーが野菜ジュースの主役奪取となった。凍ったブルーベリーを利用すれば、アントシアニンを効率よく吸収するという。亡くなったセニョールさんのプレゼントが今も生きているよ。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「梅シロップ」で灼熱地獄を乗り切る

2025-07-15 23:06:23 | 農作業・野菜

 先月中旬、急遽近隣から梅をいただくことになった。1本の梅の木から段ボール2箱分くらい収穫させてもらう。いつもだと「梅肉エキス」や「梅干」用にと多めに収穫するが、作業の大変さやこちらの高齢化のために、今年からは「梅シロップ」だけを作ることにする。

 

 さいわい、傷も病気もないきれいな梅であり、労力軽減のおかげで順調な「梅仕事」となった。まずは、水洗いしてよごれやごみを取り水気を拭う。へたを取るのや容器のアルコール消毒などと細かい作業が続く。氷砂糖と梅を交互に瓶に入れていき、まずはひと段落。

   和宮様は毎日様子を見ながら氷砂糖の解け具合によって瓶を傾けたりして楽しみなご様子だ。およそ、10日くらいすぎると氷砂糖も見えなくなっていく。長く放置してしまうと発酵が進みアルコール味が強くなってしまい、味が梅酒になってしまうので、やはり日々の観察が大切だ。

 

 梅がしわくちゃになるとそろそろ取り出す合図となる。梅を容器から取り出してシロップだけを鍋に移し入れ、弱火で沸騰しないよう加熱してアクを取り除き、 冷ましてからペットボトルなどに入れたら梅シロップの完成だ。残ったしわしわの梅は畑の隅に投下して栄養ある有機肥料にする。もちろん、梅ジャムにしてもいいがもうこの暑さは待ったなしだ。 

  

 ついにできあがり。大小合わせてペットボトル7本分はできたろうか。さっそく試飲してみるとごくごくと飲みほしてしまう。そこに、炭酸や氷を入れればさらに旨味と冷たさが充満する。これで、この灼熱列島と熱中症から身を守り、再び大地に向かっていく、というわけだ。

 マスコミはエアコンの使用法をたびたび喧伝するが、エアコンもない人にはエアコンを買えというわけか。それは「都市の論理」だ。エアコンがないわが家は昭和の扇風機とアイスノンで大脳と身体を回復し、冷えた梅ジュースの一杯で夏を乗りきる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「半白キュウリ」が主流だった

2025-07-09 11:22:18 | 農作業・野菜

 キュウリを毎日のように収穫する。ときどきカラス軍団が襲来する。近くのナスは収穫直前にすべて盗まれてしまった。今年初めて植え付けたのが農協で苗を購入した白っぽいグラデーションのある「半白」キュウリだった。それも、節ごとに実をつける多収穫のうえに病害虫に強いという「節成」キュウリだった。

 

 半白キュウリは、江戸時代以前に日本に伝わった華南系キュウリが元とされ、大正初めには東京府内馬込村で「馬込半白」が育成され、明治後半には「半白節成」を誕生させ、ぬか漬けやサラダに人気があった。関西でも「馬込半白」系キュウリが主流だった。

 

 昭和中期ぐらいまでは一般的に流通されていた半白キュウリは、現在では生産量が少なく、今ではスーパー店頭ではほとんど見かけない。しかし、わが家で収穫した半白節成キュウリの塩こうじ漬けは実にうまい。パリッとした食感と瑞々しさがたまらない。しかし、緑一色の画一的なキュウリイメージにいつの間にか全国が汚染されちゃった。その原因は日本の構造的な体質にあるように思えてならないが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飢饉を救ったジャガタライモ

2025-06-17 22:04:46 | 農作業・野菜

 ジャガイモをヒョイヒョイ収穫している。今月上旬にはまだ小粒だったジャガイモが最近は程よい大きさに成長しているのがわかった。小粒のジャガイモは蒸してから定番のマヨネーズで食べたり、煮っころがしで甘く沁みわたったレシピが定石となった。これだけ小さいのは商品にならない「わけあり」野菜だが、有効にわが体内に吸収されていった。

 

 毎年楽しみにしている品種は、赤い「アンデスレッド」と中身も紫色の「シャドークイーン」だ。味も見た目もさらにはポリフェノール含量も優れている。この品種はなかなか売っていないので種にするジャガを確保して、2月ごろ植え付けている。また、近隣にもお裾分けしていて手元には足りないくらいとなっている。

 

 また、果肉が黄色い「キタアカリ」も収穫量も多く、甘みがある優れものだ。キタアカリは北海道農業試験場が育成したもので1987年品種登録された。ちなみに、北海道の収穫量は全国の79%を占めている。

 わが国にジャガイモが伝わったのは関ケ原の戦いがあったころ、オランダ船がジャカルタのジャガイモを持ち込む。天明の大飢饉(1782年)があったとき、甲府の代官・中井清太夫が九州から取り寄せ広めることで多くの人命を救う。このことでジャガイモは「清太夫芋」とも言われた。こうした善政をした歴史上の人物をもっともっと評価すべきだとつくづく思う。

 

 さらに、洋学者の高野長英が天明から半世紀後の天保の凶作の中で、ジャガイモを救荒作物として普及に尽力したのも特筆したいところだ。そんなわけで、酷暑が続く列島だが、中井代官や高野長英らの奮闘に感謝してホクホクのカレーライスをいただくことにした。毎日、カレーでも飽きないぜよ。畑にはまだ「男爵」や「インカのめざめ」などが待っている。来年はどこに植えようか場所がないのが問題だ。連作障害が心配でならない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珍しく豊作になった

2025-06-10 23:28:48 | 農作業・野菜

 一時、ブロッコリーが500円前後の高騰でニュースになったことがあった。そこで、栄養価も高いブロッコリーを畑で育てようとあわてて栽培してみた。それからはいつものように放任栽培となり、先日様子を見てみたら結構立派な実がなっていたのでびっくり。合計すれば20個はできたと思われる。いつもであれば、半分できれば上々のはずであるのに。さっそく、いつものように近隣に次々おすそ分けとあいなる。これで食品ロスは解消され、わが体内にも消化され大満足となったわけだ。

  

 そうして、料理に興味を注いできた和宮様が「簡単なブロッコリーレシピがありましてよ」と、茹で卵和えを自ら調理してくださった。そこに、マヨネーズ・黒コショウ・粒マスタード・コンソメ・カレー粉・醤油が加わっている。さっそく、新鮮なブロッコリーをはじめそれぞれの調味料のオーケストラが口中に広がる。気がついてみると、完食してしまっていた。茎も食感がコリコリして快い。

  さらに、その隣に「春菊」の花が咲き乱れていた。春菊の苗が半額で売っていたのでそれを植えたところ、次々花が咲いてしまったというわけだ。柔らかい葉を食べるどころか見事な花の爛漫を楽しめたわけだ?? それを生け花として玄関やトイレに飾ってみたら、花の持ちもよく意外にイケると居直った次第である。オラのぐーたら栽培は要するに居直り栽培でもあると悟ることともなった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キウイジャングルと格闘する

2025-01-22 21:47:45 | 農作業・野菜

 夏の記録的な暑さもありキウイフルーツの収穫はあまり多くはなかったように思えた。収穫は11月の文化の日あたりが標準だったが、今年は11月の8・9日に一気に行う。大まかに数えると500個近くに肉薄したようで、ほぼ例年並みの収穫のようだった。しかしそのあとの剪定が収穫以上に手間がかかり、これをやっておかないと数は多くても小さめの果実となってしまう。

 

 いつもの通りのんびり剪定していく。ついでに隣の「ヒメコブシ」の大木や「グミ」の剪定もしたりして気分転換もして飽きないよう道草する。というのも、下から剪定ばさみで伐っていくと首が痛くなっていくからでもある。また、枝からオスとメスとのころあい調整も考えていくと、親の主枝を見上げながら側枝を辿っていくのも首に負担がいく。だもんで、ときどき小さな踏み台に乗って上からの剪定も始める。

  

 しばらくすると、ツルによるジャングル状態が少しずつなくなり、遠景の山並みの景観を眺める余裕が出てくる。しかし、鋸で切ったおが屑が目に入ったり、喉に入ったりのリスクも注意しなければならない。そのため、剪定ばさみの役割は大きい。といっても、枝がやや太いとやっぱり鋸の出番であるのは変わらない。

 

 それを無理やり剪定ばさみでやってしまうとハサミが切れなくなってしまうし、よけいな力を使ってしまう。なんだかんだと言いながら、完了するのに5日間もかかってしまった。枝がどうしても空高く伸びようとするのでジャングルになり葉に陽が当たらなくなるので、枝の誘引も必要となる。なかなか教科書通りにはいかない。ほとんど自己流剪定でまったくの放置栽培だけど、毎年そこそこの実を作ってくれるのがありがたい。

 

 人工授粉もやってないし、摘果もほぼ気分次第だし、ときどき思い出して肥料をあげたりのズボラ栽培にもかかわらず、病害虫もなく安定した結果を毎年届けてくれる。主枝がかなり老木になり世代交代が必要だが、そのタイミングが難しい。今回は強剪定はしなかったが、老木に若い枝が見えると大胆に伐る勇気がなくなる。

 

 近隣の山間部の農家でもキウイフルーツ栽培がよく行われているのをたびたび目撃する。しかしその多くは手入れがされなくなっている。後期高齢者が多くなりそこまで手が回らないというのが現実だ。その意味で、若者が「果実収穫隊」として、年寄りの家で実った果実、例えば、夏ミカン・柿・梅・キウイ・ブルーベリー・ビワ・イチジク・などの収穫や剪定を請け負って、それを広く販売するようなことなんかできないかと思うことたびたびだ。だけどもう、自分自身が後期高齢者になってしまって、好きな木登りもままならなくなってしまい、トホホという現実に置かれている。

 だもんで、剪定した枝を燃やして焼き芋くらいでもしようともくろんでいる日々なのであったー。が、最近風も強く火事が多発していてそれもできていない状態が続いている。人生思うとおりには行かないのだ。そうして、キウイの入った野菜ジュースを毎朝堪能するのだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落花生はほぼ全滅だったのに!?

2024-11-18 21:39:18 | 農作業・野菜

  植えるのが遅かったのでやっと収穫に乗り出したのが、落花生の二つの畝。しかし、よく見るとその根元に落花生の殻が散乱している。不吉な予感がよぎる。あわてて、収穫してみるが肝心の生さやが見あたらない。それになんと、畝に野球ボール分の地下道がまっすぐ通っているではないか。

  

 残っているのは未熟な子房柄の鞘ばかり。ひと月前の試掘では順調に育っていたのを確認したのに、がっかりだー。あきらめきれずネズ公の見逃した落花生探しを始める。以前はカバーをしていなかったので、アナグマに荒らされこれも見事に全滅だった。それから今回、カバーで覆ったものの今度は地下から侵入とは想定外。

 

 とりあえず、ネズミ様のおこぼれをいただくことにする。すぐにと茹でてみたがやっぱり食べるところが少ないか、食べられない状態。トホホ、落花生を割って南京豆を取り出す喜びが体験できなーい。 次回は唐辛子を撒いてネズ公を退散させるっきゃない!! ネズ公も体重の25%の食料を確保しないと生きていけないそうなので必死だ。だから、ネズ公もモグラのトンネルを仁義無用で利用しているらしい。モグさんにはメリットがあるのだろうか。

  

 無農薬菜園をやるわが家なのでミミズも多く、モグラも健在だ。そんなおり、知り合いから和宮様に献上された大量の落花生を偶然にも入手することができた。この品種は「おおまさり」と言って、茹で豆用落花生として作られたジャンボ落花生だ。待ってましたとばかり、鍋いっぱいの茹でた「おおまさり」に食らいつく。食べだすとエンドレスになるので途中から食べる量をセーブする。

 困っているとき、救ってくれる人が身近にいることが心強い。このところ、そうした近隣からのいただきものや献上品などが食卓を豊かにしてくれる。それは和宮様が周りの人々に余った野菜や手作り加工品などをときおり差し上げているのが程よい流通網になっているのは間違いない。ありがたい!! 深謝!!

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

栗に平身低頭する

2024-09-30 23:05:58 | 農作業・野菜

枯れ枝がポロリと落ち始めている栗の老木だが、なんとか糊口をしのぐ量の栗をわが家に供給してくれている。栗の実はイガの中に本来3個あるはずだが、現在、1個が圧倒的で全体的にも小粒になってきている。

 

 早朝・深夜にはおとなしいイノシシが上手に鬼皮・イガを残して侵出している。かつては6:4くらいでわが家に恩恵があったが、最近はこちらの高齢化で3:7くらいに後退している。食欲と体力がやや減退気味のジイジにとっては食べられるだけでも幸せだが、かつては宅急便で知人にいっぱいおすそ分けできていたが今ではひっそりとしている。

 栗の木といえば三内丸山遺跡で発見されて、従来の縄文時代は緩慢な狩猟採集経済だけでなく計画的に栗林を栽培していることが明確になった。縄文時代の定義が変わるきっかけともなった。奈良時代では持統天皇が全国に栗の栽培を奨励するなどで、高価な果樹が貴族から一部庶民に広まり、さらに江戸時代では参勤交代をきっかけに全国的に広まっていく。

  

 焚き火で栗の枯れ木を燃やすことがあるが、杉の木と違って栗の木はなかなか燃え尽きない価値ある広葉樹だ。また、明治以降の鉄路の枕木としても重宝された。わが家でも肥料も与えない放任栽培の典型的な果樹として、平身低頭の食物となっている。往時は栗が主食になった時期もあったくらいだ。

 

 そろそろ、わが家への栗のプレゼントは終わりとなる。同時並行として、ミョウガが日の当たらない裏の畑で頑張っている。去年は少なかったが今年は成績がいい。さっそく、ミョウガの大好きな知人にたっぷりお贈りすることになった。しかも、近所からもミョウガをいただいた。だもんで、毎日贅沢にミョウガを食べ過ぎたせいか、このごろは物忘れが甚だしいことしきりだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑の「製薬工場」=カボチャがうまい!!

2024-08-21 23:17:07 | 農作業・野菜

 今年の夏はカボチャが豊作となった。というのも、北海道産のカボチャがおいしかったので和宮様のご命令で取っておいた種を3月に種を蒔き、5月にその苗を畑の端に定植をしたものだ。今までは、ほとんどがイノシシやシカや虫の餌食になってしまった失敗の黒歴史が続いていたので、今回は防獣柵の中に植え付けさらに防虫カバーをしたので20個以上の収穫となった。

 さっそく、近隣におすそ分けしたところ、けっこう好物にしている家も多くおおいに喜ばれた。たしかに、カボチャ栽培は広い場所を占領するし、動物の格好の餌ともなる。

 

 最近はカボチャをそのまま輪切りにしてレンジでチンをしてそのまま食べるようにしている。何もつけないで素朴な甘みを楽しもうというわけだ。言い換えれば、忙しい農作業の手間を少しでも省きたいという面もある。しかも、カボチャは栄養分の塊であるとともに糖尿病や抗酸化作用にも活躍する。

 

 カボチャの種は世界各地で食用にもされ、塩炒りがうまいという。ビタミンやリノレイン酸の宝庫でもある。だもんで、今までの放任栽培を反省しなければならない。ツルの育つ方向はいつも雑草の多い畑の脇に伸ばしているので、収穫はその雑草をかき分けてはじめて実の存在を発見するという体たらくだった。ほんとうは、活着した親ヅルを摘心しなければならないのに、放任のままだったので、ツルが伸びている割には実が少なくなってしまっている。

 なお、この品種は市場を席捲している西洋カボチャの「えびす」のようだ。スーパーでは外国産のものも多く出回っており、消費者は一年中確保できる環境にある。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡の今を創った男たち!!

2024-03-15 21:57:14 | 農作業・野菜

  明治維新が終わって間もない、明治12年(1879年)福岡に「玄洋社」が誕生した。その顔触れを見るとそうそうたる人脈と幅広いビジョンを持った活動に目を見張る。事実上歴史に抹殺されたその歩みを発掘した、石瀧豊美『玄洋社発掘 / もうひとつの自由民権』(西日本新聞社、1997.8)を読む。

 民権運動といえば高知の「立志社」が有名だが、「玄洋社」の名前は知らなかった。オラの生齧りの知識からは壮士的な右翼組織くらいにしか思えなかった。

  

 しかし、その社員名簿や関係者には地元の実業家・政治家に根差した人脈が多いことがわかった。総理大臣になった広田弘毅、吉田内閣のときの副総理で朝日新聞福社長・緒方竹虎、作家夢野久作の父であり政財界のフィクサー・杉山茂丸。

 日独伊三国同盟を支持していた衆議院議員・中野正剛は、日本のアジア主義は白人の帝国主義に対抗するものの「別個の帝国主義」の傾向を持つとして、独裁的な東条英機と対立する。学生だった竹下登は中野正剛の演説を聞いて感動し政治家を志し戦後総理となった。柔道家で黒龍会主幹の国家主義者・内田良平は、フィリピンのアギナルド・インドのボース・中華民国の孫文らの革命運動・独立運動を支援する。

  

 知られていない接点として、中村天風は「玄洋社の豹」と言われるくらい狂暴だったが頭山満に預けられ、その後軍事スパイとして満州・蒙古で暗躍、戦後は自己啓発の思想家として松下幸之助・稲庭和夫や松岡修造・大谷翔平らに影響を与え実業界やサラリーマンにファンがいまだに絶えない。かくのごとく、オラが知っているだけの著名人を挙げたが、福岡県人なら玄洋社に関係するもっと多くの人脈を羅列するに違いない。

 

 注目するのは、地元の代議士・警察・侠客・経営者・県知事・格闘家・ジャーナリスト・軍人・医者・大学教授など多様な階層からの人物が参集し、その一部は、藩閥政府への対抗とする萩の乱・福岡の乱・秋月の乱などへ元士族が命がけで参加している。

 外務大臣だった大隈重信を暗殺しようと爆弾を投げ未遂事件を起こし、右足切断の重傷を負わせたメンバーもいたくらい武闘路線も断行していた。それらの活動は戦後のGHQににらまれ右翼団体とされ解散させられた。そうした活動の資金は、炭鉱経営に着手していたことにある。その経済面への突っ込みがあると本書労作の価値もより高く評価されると思われた。

 本書増補版の表紙中央には玄洋社を産み出したと言われる眼科医の女傑・高場乱が牛に乗っている絵がみられる。そして彼女の「小伝」が章立てに加えられている。というのも、母屋の治療院の離れに弟子たちが建設した「興志塾」があり、高場乱は荻生徂徠の流れを汲む古典、論語・孟子・史記・三国志などを伝授していた。ここから、頭山満をはじめとする玄洋社の個性的な中心人物が輩出していく。今でいう松下政経塾のような場所のようだ。

 

 さらに、黒田藩の藩校として「修猷館」が開校され、明治末には県立学校となったが、名前は今も使われている。ラグビー・柔剣道・野球などのニュースにもときどき出てくる。ここの出身者にも、金子堅太郎・緒方竹虎・中村天風・中野正剛・夢野久作・広田弘毅・團琢磨などがおり、玄洋社の活動をはじめ政財界・文化の一翼を担ってきた。玄洋社の柔道は強いことで有名であったのも、興志塾・玄洋社・修猷館の存在は見逃せない。本書の社員名簿などの資料編が圧巻だ。

   (読売新聞西部本社編、2001.10)

 要するに、玄洋社は右翼とかテロ組織とかの範疇では語れない柔軟な組織ということだ。それは、頭山満の人間力の賜物だと言っても過言ではない。日本の似非アジア主義のなかで、頭山満のアジア主義は無私の「敬愛」精神にみなぎっている。政治と金にまみれた今日の政治家は玄洋社の基本を大いに学んでほしいものだ。「読売新聞西部本社」が発刊した『頭山満と玄洋社』には、地道な資料を画像化している。こうした発掘作業が歴史学者をはじめとしてレッテル貼りされた封印からの解放を期待したいものだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする