表紙を観たらいかにも読みたくないようなデザインの漫画本だった。その表紙をめくると、徳富蘆花の「土の上に生まれ、土の生むものを食って生き、そして死んで土になる われらは畢竟、土の化物である」との言葉が飛び込んできた。向中野義雄(ムカイナカノ)『土を喰らう/生命みえますか』(スタジオ座円洞、1998.4、復刻版)を一気に読む。
生命ある食べ物から人間は生かされ、食と自然環境が循環してきた里山は、経済成長とともに生物多様性が失われ、人間の健康や暮らしをも侵蝕させられていった。そんななか、若き医師の主人公・中島は野菜(土)づくりと健康とのつながりについての臨床研究を命じられる。当時としては異端の研究だった。
[
「 土を喰らう」は講談社の青年漫画雑誌「月刊アフタヌーン」に1992年12月号(~1993/10月号)に掲載されたものだ。オラが元気なとき、「モーニング」という漫画雑誌はときどき目にしたが、「アフタヌーン」はその二軍扱いで無名の漫画家養成の存在だった。その意味では、「土を喰らう」は漫画では埒外だった食と医療をテーマにした挑戦でもあった。作者の得意な分野であるビデオアニメの製作も検討されたが実現したかどうかはわからない。
「土を喰らう」の時代背景を知らないとその企画意図がわからないので、経済成長を遂げたその後の日本の背景を、1970年代の公害事件等を年表からあげてみた。すると、ドクドクと負の遺産が出てきた。
東京の光化学スモッグ発生、水俣病のチッソ総会を経営者側妨害、イタイイタイ病訴訟住民勝訴、足尾鉱毒事件で原因が古河鉱業所にあると判明、四日市ぜん息訴訟企業に賠償命令、森永ミルク中毒事件救済策成立、サリドマイド訴訟和解、六価クロム鉱滓大量放棄、チッソ元工場長有罪、スモン判決賠償金支払い命令等々と、これが経済成長第一主義の結果だった。
そんな経済的繁栄に浮かれた暮らしから、半世紀を過ぎたというのにいまだダメージを払拭しきれていないものも少なくない。そんな70年代の惨状を受けて、子どもを守り育てる文化運動が隆盛を迎えたこともある。1975年には「一本の無農薬大根づくり」を提唱した地域運動が、1985年の「大地を守る会」として創立し日本初の有機農産物の宅配システムのスタートとなる。
そうして、現在では「自然環境と調和した生命を大切にする社会」をより実現するため、「大地の会」は「オイシックス・ラ大地」として合併・拡大するとともに、有機農場を確保したローソンとの連携をも進めている。
「土を喰らう」の内容としては、現在ではフツーに実現されている面もあるが、土壌の劣化による生産物の欠陥はまだ少なくはないし、そこで提起している問題はまだ発展途上でもある。
テレビでも料理番組やグルメ番組がこれでもかと垂れ流されているが、本書が提起している視点は見事欠落している。スポンサーへの配慮か、制作者の浅薄さか、食と自然環境をめぐる本質的関係は全くというほどに触れられない。
その意味で、本書が参考・紹介にしている土壌の研究者の中嶋農法を実現している中嶋常允(トドム)さんや食品汚染や食の欧米化を危惧する生化学者の沼田勇さんの果たした役割も大きい。オラも初めて知ったほどだ。
本書の裏表紙は、「表」と違って「revived」(甦る)とか、「soil」(土)の「rejuvenated」(回復)とかの単語が出ている。裏表紙を本表紙にした方がいいのではないかとさえ思いながら読み終える。「土を喰らう」は、講談社で一度単行本になったが、その復刻本が本書である。作者は玄米菜食の食生活をしている。ちなみに、オラも地元の玄米や全粒粉のパンを愛用している。