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イヨネスコ劇50年―ユシェット座。

2006-11-09 01:35:13 | 映画・演劇・文学
パリ5区に一人の作家の劇、それも2作品を50年にわたって上演し続けている劇場があります。ユシェット座。

そのロングランぶりはギネスブックにも登録されており、パリの隠れた名所になっています。場所もセーヌ河畔の南側、サン・ミシェル河岸からすぐ1本目の道(rue de la Huchette)で、サン・ミシェルとノートルダム寺院の間です。

観光客相手のさまざまなレストラン、バー、カフェが立ち並ぶ狭い通りなのですが、その23番地で設立時から観客を迎え続けています。

作家の名は、イヨネスコ(Eugene Ionesco)。ルーマニア人の父とフランス人の母の間に1909年ルーマニアで生まれ、子供時代をパリで、学生時代はルーマニアで過ごし、そして1939年にパリへ。それ以降パリに住み、劇作を中心に作家生活を送りました。1970年にはアカデミー・フランセーズの会員に。1994年死去。

イヨネスコが最初に書いた劇が1950年の『禿の女歌手』(La Cantatrice chauve)。翌年に『授業』(La Lecon)、52年に『椅子』と次々と発表。古典的演劇手法を無視したこれらの不条理劇は、最初は理解されませんでしたが、50年代後半に一気に人気を博すようになり、イヨネスコはベケットらとともに「ヌーボーテアトル」の旗手といわれるようになりました。

イヨネスコの最初の2作を50年にわたって上演し続けているのが、このユシェット座というわけです。

イヨネスコの顔写真をデザイン化したポスターですが、その上に貼られているように、今年で上演50年、15,500回の上演回数になります。それぞれ初演時はほかの劇場で上演されたものの、『禿の女歌手』と『授業』の2作は1957年2月16日からず~っとユシェット座で上演されています。来年2月には丸50年になります。

ユシェット座は1948年に設立され、2代目の経営者の死後(1975年)、一時存続の危機に立たされましたが、俳優や裏方など上演に関係する人たちが自らの運営組織を作り、危機を乗り越えました。1950年代にカルチェ・ラタンに多くあった劇場がひとつ消え、ふたつ消えする中で、ユシェット座だけが5区唯一の劇場として生き残っています。

今回見てきたのは、夜7時からの『禿の女歌手』。演出は、なんと1950年の初演と同じニコラ・バタイユ氏。初演時に20歳だったといいますから、いまや76歳。しかし今でも現役の演出家です。このニコラ・バタイユ氏、ご存知ですか。60年代から70年代にかけては日本にも住み、NHKのフランス語TV講座に出演したり、寺山修二と組んだり、宝塚はじめ多くの劇団で演出を手がけ、1969年には「紀伊国屋演劇賞」も受賞しています。私は、大学時代、NHKのTV講座で名前を覚えました、顔はすっかり忘れてしまいましたが。


ユシェット座は、補助席を入れても80席程度。ご覧のように非常に小さい劇場ですが、「アンチテアトル」とか「フランスのアングラ劇」とも言われたイヨネスコの作品を演じるのにいかにもふさわしい劇場です。この日はドイツからの学生グループを含め、8割程度の入りでした。金曜・土曜は予約で一杯だそうです(日によっては9時から3作目の上演があります)。フランス国内、そして外国からも一度イヨネスコの芝居をユシェット座で、と見に来る人たちが後を絶たないそうです。

言葉にこだわり、言葉の意味を微妙にずらすことによって滑稽な不条理を描き出し、しかもその中に人間存在の孤独・危うさを描き出しているイヨネスコの芝居。ユシェット座の関係者にはぜひとも、50年で途切れることなく、100年連続上演を目指して欲しいと思います。入場料19ユーロ、同じ日に2作見る場合は29ユーロ、パンフレットは4ユーロ。今でも劇団員たちの自主運営になっているユシェット座です。不条理劇の歴史を守るためにも、微力な支援ですが、時々足を運ぼうと思います。


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