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修行僧の手記   『利他の心』

2011-07-17 19:12:13 | 高野山
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修行僧の手記          『利他の心』

愛媛宗務支所下 龍岡寺住職  渡部悠弘

 修行の道場での厳しく制限された生活。その中でも、ごく限られた我々修行僧の”楽しみ”のようなものがある。一つは週に一度日曜日に設けられた、生活用品などの買い出しに山内のお店に出かけられる「外出時間」である。息詰まる修行生活の「ひと時のオアシス」とでも言えるだろう。しかし日常的に修行生活中に組み込まれながら、意図せずに私達の心を癒していたもの・・・・それは食自(じきじ・食事)の時だったのではないだろうか。精進ではあるが、カレーの時などは仲間たちのテンションが目に見えて上がっていたように感じたものだった。大きな法会の時のお供え物のお菓子のお下がりなど、普段ならさして嬉しくもないものかも知れない。しかし、このいろんな面において制限された環境におかれると、人の嗜好性や味覚までも変えてしまうほどの影響があるかもしれない。

Shugyoso
二00八年五月五日(月)
 本日は、人生初の「托鉢に行く」へ行く。
 私達はこの托鉢でどんな事を感じとることが出来るのだろう。半人前にも満たさない私達のお経で、一体誰に何を施すことが出来るのだろう。甚だ疑問は残るものの、今自分自身で出来る事を精一杯やるしかない。そのお宅の幸せを祈り、至心にお唱えするしかないのだ。お大師さまのお誓いされた、世を救い人々の利益(りやく)を施す「済世利民(さいせりみん)」の一端を担うなどとは憚れることだが、少なくともその第一歩であることには間違いない。文字通り、これが私達の僧侶人生のスタートなのだ!!

 専修学院の毎年の恒例行事「托鉢行」は高野山の麓の町、「九度山」で行われる。毎年のことなので、地域の皆さんは慣れたものである。我々修行中の僧侶の受け入れ態勢は万全、土壌は整っているという訳だ。恥ずかしながら、ドキマギとしているのは他でもない、我々の方だけということだ。まだ般若心経ですら覚えたての新米の修行僧。そんな私達の拙い読経に対しても、手を合わせて深々と頭を下げられ、ご浄財を差し出す方々。多くの人の「心」そのものを与かったようなものである。私達新米のお坊さんにとって初めての利他行・・・・誰かのための行を積むこと。でも、考えてみると私のこれからの人生はそうした、誰かのために何かを施そうとする、利他の人生になるのではないだろうか?

 あの時、私のお坊さんの人生で「托鉢行」を行うのは、これで最後なのかもしれない。そう考えながらお経を唱えていた。しかし現在、我が愛媛青年教師会で、この度の東日本大震災の被災地への義援金を托鉢にて募る活動を展開中。私は自分が生活する地域全体を各戸一軒一軒托鉢させていただいているのだ。お宅の玄関先でお経をお唱えする度に、あの九度山での托鉢の記憶が蘇る。修行時代にたった一日だけ行った托鉢行。あの時はただ必死で、多くは汗と共に流れ落ちたように思う。だが今、あの時とは明らかに違う考えが胸の内から湧き上がっている。檀家さん以外の人々や宗派が違い、信仰が違う人々。お寺やお坊さんに対して、考え方も見方も違う若い世代の方々。あたたかいお心もあれば、冷たい視線も感じる中での托鉢の読経。

 自坊の本堂で檀家さん達を集めた法会の中での読経とはまるで違う感触。こんな中でただ一心に目の前のお宅の為を思いひたすらにお唱えする。そしてその果てにお受けする、これまた誰かの為を思い差し出された「利他の心」。    

 私達が出来る事など、実はほんの些細なものでしかない。しかしこの多くの人々の小さいながらもぎっしりと詰まって重い、誰かの為を思った「心」を繋ぐ役目を担わせていただいていることに感謝しながら、私は今日も托鉢の読経をお唱えする。                      合掌

       参与770001-4228(本多碩峯)






お盆の行事ー切子灯籠

2011-07-17 11:42:06 | 高野山
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 お盆は、旧暦でいうと七月、新暦になぞらえ八月に行われます。
 旧暦の七月の月に入るとお盆の行事がはじまり、この月の一日は、地獄の口明けまたは釜蓋朔日(かまぶたついたち)といい、地獄の蓋が明けられる日であるといわれています。
 地方寺院Eではこの日を境に高々と施餓鬼旗(せがきばた)が立てられ、施餓鬼棚(せがきだな)が設けられて供養がはじまります。この旗が高ければ高いほど良いとされ、里帰りするとご先祖さまが目印とされるからです。
 金剛峯寺唐戸前にも七月三十一日夕刻より八月末日までの期間、純白の和紙などの長い足をつけた切子灯籠が掲げられお盆の訪れを知らせます。
 切子灯籠は盆灯籠ともいわれ、ご先祖様の魂を導く際の目印として掲げられます。その形の由来は、その昔お釈迦さまが盂蘭盆会(うらぼんえ)に出てきた蛇を追い払うために用意させた灯火に向かって飛び込んでくる夏虫がいのちを落とすことのないようにと灯火を薄布で覆わせたという故事によるものであるともいわれています。
 お盆の行事の由来については、『仏説盂蘭盆経』に次のように説かれております。
 お釈迦さまの弟子なかでも神通第一といわれる日蓮尊者という優れた方がおられました。ある時、自分の父母の死後の行方を尋ねると、なんと母は餓鬼道におちていました。
 母の姿は骨となり皮となり日蓮が悲しんで神通力を使い飯を与えようとすると、口に入れる前に火となって食べることが出来なかったといいます。日蓮が釈尊の尋ねると、「七月十五日の安吾の終わりの自恣(じし・修行僧が互いに罪を懺悔する行事)の時に衆僧に百味のご馳走をするのがよい。そうすることによって、現在の父母も七世の父母も、三途の苦しみから救われる」と教えられ、このことから盂蘭盆会が始まったとされております。
 盂蘭盆とは盆語の音写で、倒懸(とうげん)の苦しみ、つまり逆さに吊るされる苦しみという意味で、この法会を行うことによって、この盂蘭盆という言葉が簡略され「お盆」と呼ばれるようになりました。
 高野山内の寺院においてのお盆は、八月十一日から十三日とすることが一般的で、「仏迎え」には、奥之院御廟前にお参りをし各寺院より持ち来る提灯に奥之院の聖火をいただき、各院所縁の墓参をいたします。墓参より精霊は提灯の灯りに宿り寺院に帰って切子灯籠と盆棚の灯籠と移されます。聖火はお大師さまが永遠に生きているシンボルであり、先祖のそのものであるという信仰のもと、迎えられた精霊は三日間、霊供膳や供茶、読経によって供養を重ねられ十三日奥之院へ送られています。
 この日の夕刻、奥之院では、十万本ともいわれるローソクが参詣者によって手向けられ”たましいの灯火(ともしび)”がゆらめきます。
 切子灯籠がそよ風にぞっとたなびく山上、不断経・盂蘭盆などという、物忌み月に入ったという意味での法会が執り行われるこの頃、この世の営みを終えた人たちの乾いた魂をうるおす、夏の祈りに身を捧げてみてはいかがでしょうか。


参与770001-4228(本多碩峯)