果物料理と果物食品加工

ビタミン・ミネラルに果物の仄かな香りに目覚める フルーツソムリエ

大西 誠君の受賞祝賀同窓会  其の二

2010-01-29 20:15:45 | イベント
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7. 終戦時の村長が大西誠君の尊父大西徳次郎氏で、突然の失業の中、官舎を
     其のまま借用出来る等のご厚意に感謝しました。
8. 亡父は苦労の中、賀川豊彦(牧師、敬虔なクリスチャン、灘生協、日本生活
     協同組合生みの親)の思想に信奉する。
    
 
9. 家庭では賀川豊彦著書「死線を越えて」はじめ他、並びに永井隆著書「この子
      を残して」等の本を輪読しました。
10.1947年(昭和22年)日本社会党 党首 片山 哲が総理大臣に就任(賀川
    豊彦と片山 哲は共に敬虔なクリスチャンと云う関係で親密な友人関係)
         
    
    賀川豊彦は大正、昭和のキリスト教社会運動家、社会改革家。戦前日本         
    の」労動運動農民運動家。無産政党運動、生活協同組合運動において、重
    要な役割を担った人物。日本農民組合創設者。「イエス団」創始者。キリスト
    教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界
    的な知名度が高い。
    
戦後、焼け野原の灘で貧しい庶民に食糧をボランティアで提供していていま
    いましたが、その内、農家や漁村から食品を仕入れ消費者に販売していま
    した。
    彼は消費者の立場に立って食品を販売するシステム、とご苦労の多い農漁    
    村の立場に立ったシステムが必要と考え、友人片山 哲首相に「協同組合」 
    と訴え、法制化を進言する。協同組合が公布されることになります。
11.亡父は信奉している賀川豊彦師の情報は非常に早く、農民の為の協同組合    
   を早速創立の準備に取り掛かる。農林省、他府県の知人達と連絡を取り合っ
   た。
   果樹技術者である亡父は全国的な果実連合協同組合の設立準備にかかり、
   三重県南牟婁郡果実連合会(全国的組織)が創立され、亡父は会長の任を
   この果実連合会は今日の農業協同組合の前身であります。 
   この連合会は農家の技術力の向上を求め、果樹栽培の向上という面で各連                    
   合会の最も重要な事は如何に優秀な技術者を配置する事であった。 
   その後、郷里和歌山県果実連合会から使者を迎え、和歌山県のミカン栽培技
   術の向上の為にの申し出を受け、亡父と共に和歌山県で柑橘栽培の向上に
   役立つ事を良しとする10名近い若い技術者も亡父と共に和歌山県果実連合
   会に赴任した。
 
 
   授かりました。