高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

高槻の考え 2015.5.10

2015-04-02 18:57:38 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
5月6日にいただいた崎山様のコメントに対する高槻の考えを書いておきます。

 高野作詞岡野作曲が通説というのは事実ですが、その通説が楽譜など物的証拠によって裏付けられているのかといえば、まったくそれがありません。ただ伝聞によってのみ形づくられた説ですから、通説であっても俗説なのです。吉丸先生はこうおっしゃっています。尋常小学唱歌は合議である以上、特定の作詞者作曲者を云々すること自体が大きな誤りである。歌詞担当委員5人のうち学校唱歌を本格的につくった経験者は自分だけであること、そしてベテランの武島羽衣さんと鳥居忱さんを委員から外した湯原校長の意図を汲み取ってほしい、とのことです。一連の証拠については『編纂日誌』と『歌詞評釈』を総合的に読み解くようにとのことです。

「通説」ではあるが事実とは違う可能性があるという意味と理解します。「定説」がさらなる検討と見直しが必要であることはよくわかりました。これから勉強と考察をしなければいけません。

「故郷」という唱歌は、旋律は秀作なのに歌詞は凡作だと私は思います。印象としてほとばしるものがありません。

歌詞の評価は私のように自然科学を研究するものからすれば、一人一人の感じ方によるもので、秀作とも凡作とも判断がつきません。私自身はすぐれた歌詞だと思うし、これまで国民に愛されたという事実がなによりも作品を語っていると思います。

それと訓育的な要素が強すぎて小学6年生に教えるにはまだ早いと当初から教育現場に異論があるからです。「志を果たしていつの日にか帰らん」。人生に志をもつことはとても大切なので、それを歌詞にするのはいい。ですが、本当に人生の教育者であるなら、その志が実現できようができまいが、帰るべき故郷はなおそこにあると書いてもらいたかったです。それだと最初からあきらめてもいいよと教えているようで矛盾が生じるのでしょうか。

唱歌は教科書と連動して教えられたということです。そうであれば、訓育的であることは唱歌の宿命であったでしょう。昭和の初期になって現れたみじめなほど「愛国的」な歌がありますが、それに比べればはるかにまともだと思います。小著にも書いたように、人は自分の生まれ育った土地に自然に愛を感じるものだと思います。大きくいえば「故郷」のテーマはそこにあると思います。
 この歌詞は志を実現しない者には帰るべき故郷がないという言っているでしょうか。「いつの日にか帰らむ」は「できたら帰りたいものだ」でもあるでしょう。「わが胸の 燃ゆる思いに くらべれば 煙はうすし 桜島山 」を「お前は馬鹿か」というのは勝手ですが、詩とはそういうものであるはずです。「そうありたい」を「そうだ」と断定する表現は普通にあります。
 これも小著に書いたことですが、ほとんどの人は夢は果たせず、故郷に錦を飾ることもなかったはずです。にもかかわらずこの歌が人気があるということは、そのように望郷の念を持ちながら、夢が果たせなかったことを、自分はダメな人間だったと否定するのではなく、自分なりに夢を抱きながら精一杯生きたという思いをこの歌詞の中に見出したからではないでしょうか。
 私は「故郷」に訓育的な匂いは十分にあるとは思いますが、成功者を讃え、非成功者を否定して苦しめる意図はなかったと思うし、結果としてもこの歌を教えられたから苦しんだということはなかったと思います。
2015.5/10
コメント (1)
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崎山言世氏のコメント15.5.6

2015-04-02 18:51:23 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』

2015年5月6日に崎山言世様から以下のコメントをいただきました。

 高野作詞岡野作曲が通説というのは事実ですが、その通説が楽譜など物的証拠によって裏付けられているのかといえば、まったくそれがありません。ただ伝聞によってのみ形づくられた説ですから、通説であっても俗説なのです。吉丸先生はこうおっしゃっています。尋常小学唱歌は合議である以上、特定の作詞者作曲者を云々すること自体が大きな誤りである。歌詞担当委員5人のうち学校唱歌を本格的につくった経験者は自分だけであること、そしてベテランの武島羽衣さんと鳥居忱さんを委員から外した湯原校長の意図を汲み取ってほしい、とのことです。一連の証拠については『編纂日誌』と『歌詞評釈』を総合的に読み解くようにとのことです。
「故郷」という唱歌は、旋律は秀作なのに歌詞は凡作だと私は思います。印象としてほとばしるものがありません。それと訓育的な要素が強すぎて小学6年生に教えるにはまだ早いと当初から教育現場に異論があるからです。「志を果たしていつの日にか帰らん」。人生に志をもつことはとても大切なので、それを歌詞にするのはいい。ですが、本当に人生の教育者であるなら、その志が実現できようができまいが、帰るべき故郷はなおそこにあると書いてもらいたかったです。それだと最初からあきらめてもいいよと教えているようで矛盾が生じるのでしょうか。以上、十分な答えになっていないかもしれませんが、より具体的なことはすべて拙ブログ*で事実に基づくフィクションとして記していますのでご笑覧ください。

*言世と一昌の夢幻問答
http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama
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「故郷」の作家について

2015-04-02 15:25:58 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 4月28日に崎山言世様から「唱歌ふるさとの生態学」について以下のようなコメントをいただきました。私は「あとがき」に書いたように、生態学ではなく歌についての感想をもらいたいと思っていたので、ありがたいことでした。

 「生態学の部分については素晴らしい見方で納得します。が、唱歌故郷という歌を「高野作詞岡野作曲」とみてしまうことが、こうした新聞記事で取り上げられ、誤謬を深めていくことを危惧します。音楽教育史の新しい知見では、尋常小学唱歌は合議で作られたため、「高野作詞岡野作曲」は否定されていて、俗説にすぎないとみられています。また、この歌が当初は現場教師の間で不評を買ったという事実をしっかり読み解かねばなりません。唱歌の歴史と文化は自然と同様に相当深いのです。」

 これについて私の考えを書く前に一般論として書評や意見についての考えを述べておきます。私は、書評・意見は評者の名前を明記したうえで、意見の違いがあろうがなかろうが、あるいはプラス(同意)にせよマイナス(異論)にせよ建設的な精神で書かれているかどうかが必要条件だと考えます。無記名や非建設的なものには答える意味も必要もなく、無視すればよいとい考えています。

 さて崎山様のご意見はもちろん記名であり、全体的には建設的であろうと感じました。
 ご指摘の最大のポイントは、作者についてのようです。最近の知見は高野作詞、岡野作曲が俗説とされているとのことですが、寡聞にして出典を存じません。ぜひご教示ください。これについて3つのことを考えます。
 1)これについての「正解」を証拠だてるにはどうすればよいのでしょうか。本人の書いた歌詞原稿や楽譜があればよいのでしょうが、ない場合にそれを否定するには別人の書いたものを提示しないといけないはずです。合議制といいますが、歌を作るというのは合議ではできないはずで、合議といえども、原案をだれかが発想し、それを修正するという手続きがとられるはずです。そういう証拠は当時の文部省は残していないでしょう。そうなると「あやしい」とはいえても、別人であることを立証できたとはいえません。磯山様は「俗説」と断定されますが、通常は「通説」とされています。それを覆すのは相当強い根拠が必要で、どのような証拠と論拠で覆されたのかは十二分に理解する必要があります。
 2)高野、岡野でないだれかが作ったとして、私の伝えたかったことが無意味になるかどうか。事実として「故郷」は国民的に人気のある歌です。それは歌詞もメロディーもすばらしいからです。そのすばらしい歌をだれかが作った。その作者が通常言われている人とは違うかもしれない。そうだとするとこれについて書くことは、2つに分かれます。ひとつは、作者不明の歌のことを書いてはいけないということ、もうひとつは、作者について言及した部分を訂正または削除すればよいということです。私は後者だと思います。高野が長野出身であること、岡野がキリスト教徒の家庭に育ったことは事実だが、彼らは本当の作者ではなかったかもしれない。作者が不明であってもすばらしい歌があって、国民に人気があるという事実は不動であろうと思います。
 私が言いたかったのは、この歌をうたう土壌が、これまでの日本社会と現代、そして将来では違うものになる可能性が大きいということで、そのこと自体は作者がだれであっても主張できることです。
 もし別人がこの歌を作っていたとすると、私は-もちろん意図的ではなく-事実でないことを書いたことになります。人には過ちはあるもので、それは潔く修正すればよいだけのことだと思います。ただ、上記のとおり、これまで信じられていることを否定するには、それ相応の証拠による立証はさけられません。私としては本当の作者を知り、その人がどういう生い立ちで、どういう故郷観をもっていたか、なぜあの時代にあのようなメロディーを思いついたかを知ることができればよいのです。もし再版の機会があればぜひそうしたいと思います。これまで信じられていた高野、岡野が否定されたとすれば、そう信じられたのはなぜか、否定された根拠な何か、これだけでも十分に知る価値のあることといえるでしょう。
 3)崎山様のコメントに「高野作詞岡野作曲とみてしまうことが、新聞に紹介されて誤謬を深めてしまうことを危惧します」とあります。くりかえしますが、これが誤謬であるかどうかは慎重に立証しなければ、さらなる「誤謬」を生みます。私は事実誤認は当然是正すべきだと考えますが、私にとって重大な問題はそのことを超えて、仮に誤謬であったとしても、「故郷」は名歌であり、その歌詞の意味を正しく理解できないほどに里山が変化することの意味を考えて欲しいということ、その延長線上には偏狭な愛国主義を超えた、自分の生まれ育った土地を愛することの意味を考えて欲しいということにあるということを確認させてもらいたく思います。
 そのうえで、私から崎山様に質問ですが、仮にこれが俗説で誤謬であるとして、いかなる問題が生じるのでしょうか。高野、岡野以外の作家がいることが立証され、それらの人の著作権の問題があるというようなことでしょうか。そうであれば大問題であり、いくら私が寡聞であったとしても、通常の情報収集でヒットしないというのは不思議な気がします。
 崎山様が指摘されたもうひとつは、「故郷」は当時の現場の教師には不評だったということです。私は想像で、あの歌を聞いた親は感動しただろうと記述しました。教師には言及しませんでしたが、当然すばらしい歌として紹介したと思っていたので、これは驚きました。これも出典と、不評であった理由をお知らせください。
 どういう意味で不評だったのか。故郷のことを思い出すことにあまり問題はないように思いますので、あるいは「志を果たしていつの日にか帰らむ」という立身出世を強要することを重苦しく感じるということはあったかもしれません。でも、あの時代に育った私の両親のことを思うと、ごく素朴に故郷の人たちに恥ずかしくない人生を送りたいと思っていたとしか考えられず、この歌を教える現場の先生に評判がよくなかったことがよくわかりません。これについても、多くの先生がそうであったとしたら重要なことなので、そうコメントされる根拠を示してもらいたいと思います。
 もうひとつありえるのは、「小学6年生に教えた歌だが、歌詞は卒業した人(大人)が追想するものだから、小学生自身は内容を実感をもって理解できない」と教師が感じたということです。しかし私は上記と同じ理由でそう感じた教師が多数派とは思えません。子供は大人が考えるよりずっと想像力があり、おとぎ話でも外国の中世の話でもそれなりに感じ取ります。
 これについて重要なのは「当時の教師」という表現です。つまり、その後は問題がなかったということでよいのでしょうか。もしそうなら、当時は不評で、その後は好評という興味深い「事実」を説明しなければなりません。何よりも重要なのは結果としてこの歌が愛された名曲であることが実証されたということです。

 最後の「唱歌の歴史と文化は・・・相当深いのです」は、私が唱歌の歴史と文化を深くないと考えていれば妥当なコメントですが、私は深いと思うからこそこの本を書いたのであり、コメントは妥当とは思えません。この一文からは、高槻よりも崎山様のほうが唱歌についてよくご存知だということを伝えたいように思えます。それはいうまでもないことのようです。「あとがき」に書いたように、音楽にしろうとの私に専門の方がご意見をくださることはむしろ期待していたことであり、感謝こそすれ、反論する理由はありません。その意味ではこの一文はやや建設的でない気がします。建設的であるのなら、高槻は唱歌の歴史と文化をこう考えているが、そのように浅いものではなく、このように深いのだと崎山様の知見を具体的に書いてもらう必要があります。

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唱歌「故郷」をめぐる議論

2015-04-01 10:34:33 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
唱歌「故郷」の作者について
「ふるさと」の作者について
崎山言世氏のコメント15.5.6
高槻の考え 2015.5/10
唱歌の合議制について 2015.5/11
崎山氏のコメント 2015.5/11 
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西野嘉章

2015-02-07 07:50:11 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』

 先生の文章はこころの深いところから発せられたことばとして、実に美しく響きます。 大学人として、あるいは行政的な、あるいは学術的な文章ばかり書いていると、「死んだことば」の羅列に終わってしまって、一見それらしくは見えて も、人のこころを捉えられない。そんなことに日々悩んでいる僕には、実に羨ましいような語り口と受け止めました。「ふるさと」への着眼も、見事だ と感じました。イスラム国の件で、後藤さんの帰国を願う人たちが集まって「ふるさと」を合唱したというニュースを見て、よけいにそう感じた次第です。

2015.2.7

文章の達人の西野先生から過分な評価をいただき、恐縮しながらも、すなおにうれしく思いました。ありがとうございました。
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日本農業新聞

2015-02-07 07:46:15 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
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成島悦雄

2015-01-19 07:42:19 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』

『唱歌「ふるさと」の生態学』、一気に読み終えました。
「ふるさと」の作曲者は先生と同郷ですね。ご著書により里山生態学を親しみやすく、わかりやすくお教え頂けたと思います。
 一時代前まではあたりまえであった自然に生かされ、命のつながりを感じるという感性が現代日本では通用しなくなっていることを再確認させていただきました。それ故に、これからの日本の動物園がよって立 つところはどこなのかを考える大きなヒントを頂けたと思います。

高槻:ありがとうございます。先日、孫をつれて貴園にうかがいました。園長みずから解説しておられたので、お邪魔にならないように話しかけませんでした。そうですね、動物園は子供が動物に興味をもつ入り口としての機能をもっているので、よい展示が大きな意味をもっていると思います。

2015.1/19

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中野景介

2015-01-13 07:33:03 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 正月休みに『唱歌「ふるさと」の生態学』を拝読しました。共感しつつ、ページを繰るのがもどかしいほどだったり、熱い思いとともに考え込んだまま前に進めなくなったりでした。しばらく動けないほどの読後感というのは何十年かぶりです。ありがとうございました。このようなヤマケイ新書、ヤマケイ文庫をこれからも待っております。読者の一人が大変喜んでいたと高槻さんにもよろしくお伝えください。

2015.1/13
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前田雄一

2015-01-07 07:37:55 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 唱歌「ふるさと」の生態学。分かりやすいのと、テンポの良さでスーッと読めました。兎や鮒がいなくなったのも、鹿や猪が増えたのも人の生活が変わり過ぎました。マツやナラ枯れも同じ構図ですね。3番の歌詞(都会で成功して故郷に錦を飾る)を見ていると、現代の状況を予言していたように感じました。欧米の列強に追いつこうと、しゃかりきになっていたことが伺われます。
 しかし、欧米は農業も強いですよね。以前、フランス人に聞いたら農作物の自給率は130%以上だと言っていました。欧米は、ポイントはしっかりと押さえています。戦後の日本はどんどん自給率が減少して現在は数10%でしょうか。里山で活動する人は激減です。炭や薪に依存しなくなった現代社会では「ふるさと」のような時代に戻ることは無いでしょうが、少なくとも農業に携わる人が、これほど減少しなかったら、里山の現状は違ったものになっていたと思います。政策が先を見越していないのでしょうか?
 原発も同様の事がいえそうです。世界の地震発生頻度の色分け図を見ると、原発国のフランス、ロシアは穏やかな色合いで、地震の発生はなさそうです。東海岸に原発の多いアメリカも、東海岸には地震がなさそうです(西海岸は地震が多い)。最低限、自分の国の事は考えています。一方、地震が異様に多い日本の濃い色を見て愕然としました。全く先の事を考えていないことが分かります。無責任ですねえ。話が飛びました。現在の里山・・少しでも人が関わるようにすれば、新たな形の里山ができると思います。それには多くの人に、里山の現状を(科学的に)知ってもらう事、関心を持ってもらう事が大切だと思いました。勉強になりました。



高槻:たいへん、ありがたい感想をありがとうございます。テレビなどでフランスの農家の豊かさを見ると、「産み出す」ものをもつ国と消費する国の自力の違いを感じないではいられません。震源分布の地図をみて、改めてショックを受けました。

2015.1/7

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植原彰

2015-01-03 07:24:28 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 唱歌に目をつけたところがさすがです。
 文部省唱歌とは,1910年(明治43年)の『尋常小学読本唱歌』から1944年(昭和19年)の『高等科音楽一』までの教科書に掲載された楽曲のこと。簡単にいうと、昔の小学校の音楽の教科書に載っていた、文部省お墨付きの歌です。今の音楽の教科書にもそのいくつかが載っているんですよ。たとえば,小学校1年生の「うみ(♪うみはひろいな)」「かたつむり(♪でーんでんむーしむし)」、2年「春がきた」「虫のこえ」、3年「春の小川」「ふじ山」、4年「まきばの朝」「もみじ」、5年「こいのぼり」「冬げしき」、6年「おぼろ月夜」「われは海の子」などです。いずれも日本の昔ながらの風景や季節感があふれている歌だと思いませんか?
 ぼくは「観察会や小学校での環境教育はこれらの歌をきっかけにできるよ」と提案しています。たとえば、初秋・夕方の観察会で「♪あれマツムシが…」で始まる「虫のこえ」には5種類の鳴く虫が登場するけど、そのうち聞いたことあるのは?…といった感じです。
 高槻さんが本を出されたことで,あらためて「ふるさと」(高槻さんは本のタイトルだけひらがなの「ふるさと」で、本文は「故郷」と表記していますが、小学校学習指導要領には「ふるさと」とあるし、高槻さんご本人も書いておられますが,「故郷」だとどうしても「こきょう」と読んでしまうので,ここではひらがな表記にします)の歌詞をよく読んでみて、驚きました。長い年月、多くの人といっしょに、自然とじかに関わりながら、その中で「関係性(いろいろな意味があります。気候と植物との関係、植物と動物の関係、動物と動物の関係、それら自然と人間(社会)との関係、そして、その関係性の時系列的な変化)」を探ってこられた高槻さんのよう
な方にとって、「ふるさと」は、まさに当時の自然・当時の生態系が閉じ込められたタイム・カプセルです。このタイム・カプセルを掘り出して紐解き、現状と比べることによって、高槻さんには保全生態学上の課題が見えてきます。高槻さんはそれを目次で表現されています。6章が異質なものに見えるかもしれませんが,これについて
は後述します。
  1章 「故郷」を読み解く
  2章 ウサギ追いし-  里山の変化
  3章 小ブナ釣りし-  水 の変化
  4章 山は青き-    森林の変化
  5章 いかにいます父母-社会の変化
  6章 東日本大震災と故郷
  7章 「故郷」という歌
  8章 「故郷」から考える現代日本社会

 ところで、皆さんはウサギを追いかけたことがありますか? ぼくはノウサギを見かけたことがある程度で、「(子どもが)追いかける」対象の動物だとはとても思えません。ところが、高槻さんは「ウサギはどこにでもいた」といいます。ウサギの棲息地は茅場です。茅場つまり乙女高原みたいなところが減少したことが、ウサギの減った原因だと述べています。そして、茅場の減った背景には日本の人々の生活様式の変化に伴う里山の変化があったといいます。「ウサギ追いし」からどんどん話が発展し,他のことにつながっていく様は,まるでミステリーのよう。「ウサギ追いし」から今のウサギの減少までを説明するのに、ウサギの生態・生息場所の説明、茅場の説明、茅場のある里山の説明、里山の現状の説明など,説明しなければならないことがいっぱいあるのですが、これら全てを説明するのに高槻さんくらい適役の人をぼくは知りません。
 さて、目次を読んで違和感のあった「東日本大震災と故郷」です。いくらご自分の調査フィールドだったところが被災したからといって、感情的に「ふるさと」と東日本大震災を関連づけるのは無理があるだろうと、読む前は思いました。でも、以下の文章を読んで「うーむ」とうなってしまいました。言われてみれば、その通りです。
原発事故後の福島の里山で起きたことは、原発事故というきわめて特異なできごとによる特殊なことであるには違いない。しかし、里山に人がいなくなると何が起きるのかという意味では、現在過疎化が進んでいる日本中の里山に共通の課題を先取りしたことでもあり、その意味では普遍性をもつできごとでもあった。
 東日本大震災と「ふるさと」の関係性までも探り当ててしまったのは、やはり東北で四半世紀を過ごした生態学者である高槻さんだからこそだと思います。
 以上,述べてきましたように、この歌は高槻さんに出会うために生まれた歌なんじゃないかと思えるほどです。これから高槻さんに会うたびに、高槻さんが「ふるさと」(の化身)に見えてしまいそうで、コワイです(笑)。
 最後に、この歌がタイム・カプセルとして高槻さんに紐解かれて本当によかったと思いました。大げさに聞こえるかもしれませんが,この本には、「ふるさと」から導き出された、ぼくらのこれから進むべき道も記されています。高槻さんだから、タイム・カプセルだったから、掘り起こすことができましたが、もう少し後だったら,「ふるさと」は化石になっていたかもしれません。いや、もしかしたら、もうすでに…。

もったいないような文をありがとうございます。著者としてこういう感想を聞かせてもらうことほど嬉しいことはありません。植原さんとは乙女高原(山梨県)でススキ群落の調査をしているので、茅場の話題はつながりがあります。動植物にはなんでも興味あり、で通じ合うものがあります。

2015.1/3

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読後感想

2015-01-01 09:28:33 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
末次優花
平塚 明(岩手県立大学)
庭野三省(新潟市)
三谷雅純(兵庫県立大学)
田村俊和(元立正大学)
辻村東國(元山形大学)
林良博(国立科学博物館館長)
植原 彰(乙女高原ファンクラブ)
前田雄一(鳥取市)
中野景介
成島悦雄(井の頭自然文化園園長)
日本農業新聞
西野嘉章(東京大学総合研究博物館館長)
伊藤文代(前小平市教育委員会委員長)
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林良博

2015-01-01 09:21:45 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
高槻成紀 先生

あけましておめでとうございます。
『唱歌「ふるさと」の生態学』を拝読しました。
これまで仰っておられたことに日本文化の特性を織り交ぜ、簡潔な文章で纏めておられますので、多くの人びとに感銘を与えることと存じます。
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辻村東國

2015-01-01 09:19:34 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
「ウサギおいしい」よりも「ウサギ老いし」この頃・・。拝読後に、今夏読みました江戸初期の仮名草子の一節を思い出しました。
「紀の河の大きな鮒を 山家なる人はこれをや鯉と言ふらん」
 伊勢物語のパロディー本で、本物と違って文章至って俗なのですが、俗が却って普通な身の回りを教えてくれるようで、私は気に入っております。この内容が本当だとしたら、500年前も(は)鮒がそれだけ身近だったいうことで、貴兄の本のおっしゃる通りだと思いました。
 また、パロディー、本物(1500年前!)両方に、罪人を捕まえるために野原に火をつけようとするシーンもありました
「武蔵野は今日はなやきそ浅草や 妻もころべり家もころべり」
「武蔵野は今日はな焼きそ若草の 妻もこもれり我もこもれり」

これは茅場ですかね・・・・

高槻:茅場だと思います。
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田村俊和

2015-01-01 09:16:47 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
<総論的感想>
 里山の景観とそれを作り維持してきた農業システムについて、秣場とウサギの関係から説き起こして、勘どころを具体的に示し、そのシステムが、背後にある伝統社会とともに、まさに崩壊しているという指摘は、きわめて重要と考えられる。その崩壊を導いた、より大きな社会変動にも言及する意義は十分あると思われるが、近代化開始期の熱気(?)からグローバリゼーションまでいろいろと筆を走らせた結果、一見口あたりのよい常識論あるいはそのように誤解されやすい論調に流れた感のある部分(たとえば、農村での長男相続慣習(近世までは必ずしも一般的ではなかった らしい)など)か)やや無批判に混在し、精粗さまざまといった感がある。そのような一見常識的俗論の中に貴重な指摘が埋没し見過ごされてしまうとすれば、まことに残念。また、里山創出・ 維持行動の根源の探索を「自然への畏敬の念」で止めているのは、今西錦司の議論がどこかで日本人の土着的倫理観に安住している(ように私には思われる)のを連想させる。「畏敬」の奥にある「自然」の特質、およびそれとその「利用」との関係をもっと抉り出すべきではないか。なお、「保全生態学」として、里山崩壊の圧倒的動きに抗する論理(の発端)および手立ては提示しなくてもよいのか。たとえば、いわゆる「市民」による里山復(?)の動きや、断片的に紹介されている多摩丘陵での田極さんらの実践等に対して、何らかの評価や批判をするのかしないのか。

<質問を含む各論>
1 里「山」は、人家や田畑のすぐ近くにある「林地」であって、秣場等の草地を含むが、草地だけがひろがっている空間を里「山」とは言わないのではないか。田畑そのものも、モザイク状に里山に入り混じっていることはあっても、それを積極的に里山に含むことはないと思われるが。
高槻:里山は定義がまだまだ混乱しています。私は農耕地を積極的に含む立ち場で、その理由は本書に書きました。
2 里山の特徴は、限られた空間における植生の多様性にあり、それに適応した独特の動物相が成立している(いた)ことが、わかりやすく述べられている。その多様性を助長するものとして人為の(適度の)介入があり、そのような介入を許容した(あるいは必要とした)生産・生活様式、 それを包み込んだ社会(当然家族関係も含む)、そこで育まれた自然観が、里山の特徴を形成し維持してきたことがよくわかる。それに加えて、そういう環境および環境利用を可能あるいは容易にしたフィジカルな「場」の条件があるはずで、そのうち、気候については言及されているが、 地形的条件(の多様性)への注目が足りないのではないか。
高槻:正論です。しかし私の地形についての知識は「日本は山国だ」くらいのもので、動物にとっての日本の自然環境の特徴を考えると、雨が多いことにより、植生が豊かであり、遷移が速いことをいえば6、7割は説明がつくのではないだろうかと思います。火山国で山が多ければ、大陸とは谷が違い、沖積地が違うことは想像しますが、改めて書くほどの力はありません。地形学のご専門からすれば物足りないことは十分わかりますが、ご容赦ください。
3 上記の社会的背景の変化、すなわちいわゆる「近代化」(さらにはグローバリゼーション)は、 遅速の違いはあれ、まさにグローバルに進行している現象とみてよいが、それがなぜ日本では「里山の喪失」のような形をとったのか。欧米に起源を持つ近代化~グローバリゼーションと、日本 列島の多くの地域での(おそらく弥生時代頃以来の)土地利用傾向(いわゆる伝統)との「相性」の問題があることは確かだが、その追求が「自然への畏敬の念」に向かうのは、やや安易で、スジが少し違うのではないか。
高槻:これも私の力に余る課題です。もしこれに言及すれば、さらに拡散すると思います。「自然への畏敬」に向かったのは自然の流れだったように思っていましたが、よく考えると確かに安易であったかもしれません。
4 原発事故による里山(システム)の破壊は、日本における里山喪失過程を時間的に圧縮して具現化しているというようにとれる指摘は、まさに「時宜を得た」もので、重要と思われる。一方で、最近 30 年間くらいのいわゆる「里山ブーム」(?)(その中で里山の語義が拡散し、類語・派生語が続出した)は、敢えて無視したのか?
高槻:いわゆる「里山ブーム」は本物だとは思っていません。都会人のリゾート感覚ではないでしょうか。自然観察をする場ではなく、生産活動をする場としての里山がもどって来なければ本当の里山復活にはなりません。その意味では、田村さんのいう意味でのブームについては無視したといってよいでしょう。生き物を通してみると里山はこう見えるということを言うのが私の役割かと自認し、それは書いたつもりです。

<小さな誤りあるいは不正確な点>
・ 「メダカの学校」は「唱歌」ではなく「童謡」。
・「金肥」とは、農家が金銭を払って購入する肥料の総称で、少なくとも近世に(とくに都市近 郊で)は下肥がその重要な構成要素であったが、同時に油粕や干鰯なども貴重な「金肥」であっ たはず。近代化の中では化学肥料が金肥の中心に取って代わっていったのではないか。
・「アルプス以南の地中海は降水量が 300~400mm 程度」というのは、年降水量を指しているとすれば、イベリア半島南東部など一部を除き、実態よりかなり少ない。
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三谷雅純

2015-01-01 09:12:52 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 「日本列島に生きた里山の人びとは、どのような人生観、どのような自然観を持っていたのか」。高槻さんの目を通じて見えて来たこと、感じてこられたことを、咬んで含めるように教えていただいた気がします。
 すらすらと流れるような文章は、さすがたと思いました。それでもいくつか、筆禍かったところがありました。
 そのひとつに「家」の概念がありました。例えば130ページから132ページになけて、林家の育てる木の生長と、抽象的、象徴的な「家」制度やその崩壊が描かれてます。しかし、歴史的には、大多数の人びとに「家」概念は存在しなかったように思っていました。高槻さんが描かれた「家」概念が成立したのは近世になってからではなかったでしょうか?私は歴史にはまったくの素人ですが、素人なりに、そんなことを思いました。
 ふたつめは、日本列島に生きる人びとの呼称です。現在のように日本は単一民族で構成されているという考え方は、明治期になって創作されたものだと思っていました。それまでは、例えば東北であればアイヌなどのシベリアから続く分布を持つ人びとと(必ずしも平和に共生していたというつもりはありませんが)、言うなら「混住」していたように思います。また日本列島の中でも、地域によって、また通行手段の発達ー普通は船、あるいは舟だったと思いますーによって、文化圏が独立し、幾重にも重なったものがリージョナルに独立を果たしていたように思っておりました。
 通行手段の発達ではー高槻さんも言及されておられたように思いますし、また島根県の出雲も含まれますがー、環日本海文化圏、いまふうに言い直せばロシアも含む東アジア文化圏のような、国境には縛られない文化圏が成立していた。それが、明治期以後の国策によって文化圏は否定されて現在に至っている。そのような気がしています。高槻さんのイメージされる日本列島の概念より、わたしのイメージしている概念は、文化的に、よりモザイックであるのかもしれません。

高槻:本書で私が対象としたのは近世以降のつもりです。この本を読んで東アジア文化圏や民族構造にまで言及されるのはややポイントがずれると感じます。
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