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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

「唱歌『ふるさと』の生態学」の感想

2015-01-01 08:15:11 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
伊藤文代

 「唱歌『ふるさと』の生態学」を正月の三が日に読み終えました。
いつかもお話したかメールに書いたかもしれませんが、大抵の本を速く読む癖のある私ですが、高槻さんのご本は自然とゆっくりと読むのです。そうさせる何かがあるのでしょう。
「ふるさと」の作詞者が長野県出身、作曲者が鳥取県出身なんて、高槻さん!奇遇ですね。
 私は昭和28年生まれの長野県育ちですから、兄や姉と山へ登って隠れ家を作ったり、沢蟹の動きをじっと見つめたり、夕焼けをずっと眺めていたり、近所の人たちにかわいがられたり、と本当に良き豊かな子ども時代を過ごしたと思います。60歳を過ぎて、なおのことそのことが宝物のように思えてきました。
 そんな子ども時代を思い出しながら、一方でこの数年で行ったヨーロッパの風景を思い浮かべ、また、30年間通い続けている長野県長和町の別荘周辺の変化をたどりながら、「そうだ、そうなのよ」と頭の中で叫び、呟きながら読み進めました。
 「これをオレが書かないで誰が書くんだ」と考えられたとのことですが、まさにご専門の学問とお人柄からして、高槻さんしか書けないものだと思いました。
 私の若い知り合いは「うさぎおいし」を「うさぎ老いし」と思っていたといいますが、結構そういう人は多いかもしれません。しかし、高槻さんのうったえたかったことは、歌の言葉が正しく理解されることのもっと先にある大事なものだと思います。それこそ、薄っぺらな扇情的なナショナリスムなどではない、本当に自分たちの場所と自分たちの来し方、行く末を見つめた、この国への愛だと言えると思います。

 また、この本を読んで「目から鱗」だったことがあります。それは、日本の自然がいかに豊かで多様性に富んでいるかということです。
 「赤ずきん」のくだりはなるほどと思いました。というのは、以前ストーリーテリングを図書館などでしていたころ、「赤ずきん」は私の持ち話のひとつでよく語りましたが、いつも日本の子どもたちって「森」ってどう想像するのだろうか、それに日本の「森」の中なんてこんな風に歩けないよ、と実は頭の片隅で思いながら語っていたものです。でも、森の中を歩いておばあさんの家に行く、森の中にはきれいな花がいっぱい咲いてる、それらを素敵だなあとも正直思ったものです。
 昨年の6月にイギリスを旅行したときも、あおあおとした牧草地や農地にはあまり雑草もなさそうで、ハイキングした山でも邪魔になるような、たくましい低木や草花もなく、そのことをまた素敵だなあと思いました。そして、日本の野山にはいろんな草木があってときにかっこ悪いとさえいう思いが恥ずかしながら自分の中にあったと思います。
 でも、ご著書で意識が変わりました。北ヨーロッパの自然がむしろ弱く多様性に欠け、日本の自然はいかにたくましく多様性があるかと。
 そして自分自身の思いから、やはり次に教育のことを考えました。日本の子どもたちに本当にこの国の自然のことが伝わっているだろうか、気づきを促しているだろうかと。移動教室などの場でも、この国の自然に対する見方も教えられたらいいのではと、思いました。

 短絡的な部分もあるかもしれませんが、感謝を込めて以上のような感想を送らせていただきます。
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庭野三省

2015-01-01 07:33:51 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 本屋さんでおもしろい本がないかと、追いかけるように書棚に視線を動かしていくと、この本がすぐに目にとまった。書名の『唱歌「ふるさと」』が私をつかまえたのだ。
 私は副題「ウサギがなぜいなくなったのか?」が気になった。新潟県十日町の片田舎に生まれ育った私は、冬になると真っ白になった野ウサギをよく見た。また鉄砲撃ちの型が射止めたノウサギを食べたこともある。さらに家でもほかの家畜とともにウサギを飼っていて、ウサギは身近な動物だった。ウサギはツブしてその肉を食べることだったからウサギがされる場も幾度となく見た。
 子供の頃、たしかに「故郷」の歌のように追いかけた。雪の上をすばやく走る姿は今も脳裏に鮮やかである。ウサギを沢にできた雪のトンネルに追いつめたり、針金でワナをかけたりして遊んだ。ただし、私が中学生の頃になるとこういうすっかり遊びはなくなっていた。
 本書にはウサギの林業被害のことが書いてある。それがある時代から被害が減る。それは野生のウサギが減ったからだということを、著者は専門の立場からデータを示して説明している。それはウサギの生息地である茅場が減ったからだという。こんなことは今まで考えたことがなかったので仰天した。私の子供の頃に住んでいた家は茅葺きで、屋根の葺き替え工事も見たし、茅場で作業の手伝いもした。その茅場に亡き父がスギを植えたので、確かに茅場は消滅している。

 各章のタイトルは唱歌「故郷」の歌詞のキーワードを示しながら、環境の変化をにつながることを示唆する。

2章 ウサギ追いし 里山の変化
3章 小鮒釣りし 水の変化
4章 山は青き 森林の変化
5章 いかにいます父母 社会の変化

 6章の「東日本大震災と故郷」を読むと、涙が溢れてしまう。著者は里山を「壮大な作品」と書いている。

 私の眼前には田んぼがあり、その一枚一枚に石垣が築いてあった。ここに住んでいた先祖の人たちが、どれだけの時間をかけて、どれだけの重労働をして、重ねた石であろうか。豊かな里山の自然は、ありのままの原生自然ではない。農地は農作物を作るために、雑草を刈り、手入れをして作られたものであるし、丘の雑木林は炭焼きのために管理されてきたものであるし、谷のスギ林は材木のために植林したものである。そこには、みんなが協力して農作業をし、祭をするというおだやかな生活があった。子供の笑う声がし、農作業のあいまに田んぼの畦に腰をおろして世間話をし、子供の成長をよろこび、家庭の平和を祝いあう生活があった。

 山に向かう途中、石垣が積まれた田んぼを見ることがあるし、登山道の脇に炭焼き後を見ることもある。先人の苦労を想像できる。著者の里山が作品だという考えに共感した。

 この里山が東日本大震災でどうなったか。阿武隈山地のある春の里山風景の描写を読み、それを書き写しながら胸に込み上げてくるものがあった。

 私は小高い丘に登った。そこから見える阿武隈の里山は実に美しかった。民家の脇にはサクラが咲いており、すぐうしろの山には濃い緑色のスギ林があり、背後の山々は淡い新緑に被われ、その緑も濃さや色合いがさまざまで、淡い水彩画のようだった。ここは避難地域ではなかったから、農業がおこなわれ、牧草地はすでに濃い緑色で、山のうす緑とコントラストを見せていた。農家は新緑の山に抱かれるようにその麓にあり、その山の東側には同じような集落があるに違いない。そこは福島原発に近いため、今人が住めなくなっている。台風も地震もそのほかの天災も乗り越えてきたこの里山に、原発事故は人が住むことができないという理不尽なことをしたのだ。

 私の場合、雪が消えれば山菜採りで里山の風景を見ることができる。「緑の濃さや色合いのさまざま」は、まちがいなく里山が創り出した作品である。しかし福島原発近くの里山は、行くことすらできないのだ。動物が犠牲者だということにも同感した。
 本書の結びは次のようになっていた。

 私が本書で考えたことではっきり言えることがある。それは、里山を構築した伝統の底に流れる、自然と対峙するのではなく、自然に寄り添い、生き物を畏敬せよという先人の精神を正しく継承すべきだということである。日本人の自然観は、少なくとも二〇〇〇年の歴史の中で洗練され、不適切なものは淘汰されてきたものである。それは、物やエネルギーを粗末にするなと正しく教えて来た。それを旧弊として捨て去ってきたこれまでの愚かさを見直す、それが我々に課された最低限のつとめであるように思われる。
 私は「故郷」にうたわれた動植物や山川について考え、その意味を読みとろうとした。そしてその底流に見いだしたのは、すばらしい自然の中で暮らしてきたわれわれの祖先の生きる知の深さに気づくべきだということであった。


 私は趣味の山歩きを通じて、自然に寄り添う姿勢がいくらかわかるようになってきた。確かに日本人は山を神様と敬い、山岳信仰の歴史を持っている。山に感謝できる感性を日本人はもっていると思う。
 私は偶然にも里山で生を受けた。中学3年まで田舎暮らしをした。ウシやウサギに食べさせる草を刈った。皆で田んぼに入り、田植もした。川遊びもした。そして冬には近くの里山で白ウサギが駈けるのを見ていた。「故郷」にうたわれた内容そのものの体験をしたわけだ。そういう環境の中で生活できたことに、今は感謝しなければならない。そういう日本人の心を大切にしなければいけないと思った。
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平塚 明

2015-01-01 07:29:07 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
 平塚です。ご著書『唱歌「ふるさと」の生態学 ウサギはなぜいなくなったのか?』を本日、盛岡で二番目ぐらいに大きな本屋で購入しました。新書コーナーで見つからず困りましたが、登山コーナーでようやく見つけました。(まさか、釈由美子の隣にあるとは)
 先ほど読み終わりました。題名から受ける印象が似ていた「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」(内山節)が、途中からあらぬ方向に流れてしまったのとはちがい、さすがに生態学の本道を行く内容でした。
 ご存じのように、遠野高校には100年以上の歴史を持つ行事「ウサギ狩り」がありますが、1979年を最後にウサギを見かけなくなりました。現在は、着ぐるみを着た生徒がウサギ役を演じています。講座にいる卒業生から教わりました。
また、岩手県の学校林について少し調べたことがあり、昔、地方では自分たちの学校を支援するために、将来を見据えた森づくりをしていたことを知りました。現在は多くが廃れてしまいましたが、環境教育林として再利用している場合もあります。環境基本計画に「田園」と冠している町の生物多様性地域戦略作成にかかわっていますが、高槻さんの御本をヒントに、今一度考えてみようと思っています。
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末次 優花

2015-01-01 07:24:16 | 『唱歌「ふるさと」の生態学』
末次 優花
はじめまして。私、2年前から建設コンサルタントに勤務しております、末次と申します。私は高校生3年の時、先生の著書『野生動物と共存できるか』を読ませていただき、非常に感銘を受けました。
 私は幼少から「野生動物と一緒に住める社会をつくりたい」と思い、獣医師になろうと受験勉強に励んでいた時のことでした。先生の著書を読むまで、私にとっての野生動物保全は、野生動物を直接治療する獣医師の道しか考えがありませんでした。しかし、先生の著書を拝読し、野生動物を治療することも大事だけれど、野生動物が傷つかないような環境や社会の仕組みづくりも大事だと気付くことが出来ました。
 そのため、鳥取大学農学部に進学し、保全生態学に取り組む研究室で野生動物(オオタカ)の研究をさせていただき、2年前にコンサルタントに就職いたしました。また個人的に、大阪府野生動物リハビリテーターという団体で微小ながら野生動物のリハビリ活動にも参加しております。
 私が、この道に進み、野生動物に対して保全生態学からのアプローチを行おうと決心したのは、先生の著書を拝読したおかげです。本当に、ありがとうございます。
 私も先生に負けないよう、一生懸命勉強して、野生動物と良い関係を保てる社会をつくる一助となれるよう、今後もがんばっていきたいと思います。
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