2015年5月6日に崎山言世様から以下のコメントをいただきました。
高野作詞岡野作曲が通説というのは事実ですが、その通説が楽譜など物的証拠によって裏付けられているのかといえば、まったくそれがありません。ただ伝聞によってのみ形づくられた説ですから、通説であっても俗説なのです。吉丸先生はこうおっしゃっています。尋常小学唱歌は合議である以上、特定の作詞者作曲者を云々すること自体が大きな誤りである。歌詞担当委員5人のうち学校唱歌を本格的につくった経験者は自分だけであること、そしてベテランの武島羽衣さんと鳥居忱さんを委員から外した湯原校長の意図を汲み取ってほしい、とのことです。一連の証拠については『編纂日誌』と『歌詞評釈』を総合的に読み解くようにとのことです。
「故郷」という唱歌は、旋律は秀作なのに歌詞は凡作だと私は思います。印象としてほとばしるものがありません。それと訓育的な要素が強すぎて小学6年生に教えるにはまだ早いと当初から教育現場に異論があるからです。「志を果たしていつの日にか帰らん」。人生に志をもつことはとても大切なので、それを歌詞にするのはいい。ですが、本当に人生の教育者であるなら、その志が実現できようができまいが、帰るべき故郷はなおそこにあると書いてもらいたかったです。それだと最初からあきらめてもいいよと教えているようで矛盾が生じるのでしょうか。以上、十分な答えになっていないかもしれませんが、より具体的なことはすべて拙ブログ*で事実に基づくフィクションとして記していますのでご笑覧ください。
*言世と一昌の夢幻問答
http://blogs.yahoo.co.jp/kotoyo_sakiyama
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