その名も、まめちゃん。-虹色流星号-

日本一ダメダメ男、まめぞの日記。
...今日もトホホな一日を過ごしました。
 *旧「その名も、たぁちゃん」

入院日記ex-6

2009-07-20 22:02:39 | その名も、たぁちゃん。
潰瘍性大腸炎で入院54日目ex-6(7/20)

-霞んだ虹編-


40日目の日記(6/7)、ちょっぴり中断っ(汗)

勢いで入院日記復活させたけど、40日目の日記が全然書き終わらね~(汗)

書き終わるのに、あとどのくらかかるんだよぉ(涙)

今のところ5+9の14篇。

平均半角1500字で書いているから、14×1500で約半角21000字分書いた。

精神病について無駄に熱く語っているのがいけないんだけど…。

疲れたなぁ。


しかも今、自分の暗い過去を書いてるけど、気分が思いっきり滅入ってきて、進まない…。

あぁ、ピンチ~(汗)

でも、心の奥にこびりついている、闇を打ち明ける辛さを乗り越えれば、新しい自分が生まれるような気がするんだよね。

強い自分、ポジティブな僕、カッチョいい俺。

すべては、ダンディズムにコーヒーを飲む《未来》のために。

…はい、バカでした~(笑)

そうだ、昨日の夕方、南の空に微かに見えた《虹》の写真で癒されよう。

もっとくっきりかかってくれれば良かったのになぁ。

僕の未来も霞んでるみたいじゃないのっ(怒)


あぁ、入院日記40-6シリーズ、マジで公開できっかなぁ……。

とりあえず今ハッキリしてることは、イビキのうるさいオヤジがウザいってこと。

明日は3連休明けの激動の一日になる。《眠剤》飲んでさっさと寝ちゃおうっと。

支離滅裂な乱文で失礼しました。

入院日記40-5-9

2009-07-20 17:02:58 | その名も、たぁちゃん。
潰瘍性大腸炎で入院40日目第5-9話(7/6)

-うつ病と家族編-


彼女(妹)とは中高校の時から、まともに話したことがなかった。今でも彼女が帰省してきても挨拶程度しかしない。

僕は土日仕事で、昼に起きて深夜に帰る仕事だから大して顔を合わさないのだ。

彼女は昼間でも一人で部屋に閉じこもっている事が多いから、挨拶すら交わさず、一度も顔を合わさないこともあった。

それも、今考えると妙に納得がいく話だ。

病んでいたのだ。母親はそれを知っていたから、子供を預かり、彼女をそっとしておいたらしい。


さらにずっと謎だった疑問が解けた。

数年前に突如現れた『「うつ病」のすべて』という、マジメくさったでかい本のことだ。しかも、いつも台所のテーブルの上に置かれていて、「読んでいる」もしくは「読みなさい」とアピールしているようだった。


「いったい誰がうつ病なのか」
「誰が買ったのか、読んでいるのか」
「なぜ見える位置に置いてあるのか」

読んでいるのは母親に違いなかったが、いったい何のために。

父親の大腸がんが見つかったり、母の姉が亡くなったりと不幸が続き、大変沈んでしまった母親が《鬱》を患っているのか。

家族と全く会話をしないし、すぐ部屋に引きこもる僕を理解するために読んでいるのか。むしろ、僕に読まそうとさりげなく置いているのか。


実は、妹が「私、うつ病だから」と母親に買い与えたのだ。そのときに、一人で抱えてきた自分の過去を話したようだ。


僕は妹の事を何一つ知らなかった。

そして、彼女も僕の事を何も知らない。

今度は、僕が話す番だ。

入院日記40-5シリーズ(妹の心の闇)は終了。次回から、入院日記40-6シリーズ(僕の心の闇)になる。

マジメな話が続きます。


【つづく】

入院日記40-5-8

2009-07-20 14:43:31 | その名も、たぁちゃん。
潰瘍性大腸炎で入院40日目第5-8話(7/6)

-カイホウ編-


【解放】

その彼女(妹)が精神科のあるクリニックに行ったのは、子供ができ、結婚して、離婚して、県営住宅に引っ越して、子供とふたりの生活で育児ストレスに参っている時だった。

精神科のクリニックに通っている方との出会いが転機になった。


「典型的なパニック障害ですよ」

その言葉を聞いてホッとしたという。

気のせいとか、気の持ちようとかじゃない。病気だった。間違いなかった。


【快方】

薬を飲み始めてから症状はすぐに快方へ向かった。

薬を飲んでいれば、パニック障害の緊張や恐怖、不安がでないそうだ。

ただ、飲み忘れると、人混みが怖くて仕方なくなり、自分のよく知らない、逃げ場がない所も恐怖でダメになるらしい。

先日、母親と子供を連れて親戚の家(栃木県)に行ったが、薬を持っていき忘れたために、ずっと恐怖で仕方なかったという。泊まる予定だったが、急遽母親に泣きついて、真夜中に帰ったという。

また、夜になると何とも言えない孤独が襲いかかってきて眠れないらしく、睡眠薬も毎晩飲んでいるということだ。

現在は、月一回の通院で、薬の量を調節しているという。

たった今クリニックでもらってきた薬を見せながら、彼女は丁寧に教えてくれた。


【開放】

自分の心の闇を話す彼女には、一点の曇りも感じさず開放的に話していた。話すことが《苦》ではなく《快》なのだ。


【快報】

今はとても充実している。彼女の話は、僕にとって、快報以外のなにものでもなかった。


【つづく】

そういえば、昔バイトしてたコンビニに、海宝さんって方がいたっけな。関係ないけど…(汗)

入院日記40-5-7

2009-07-20 12:05:20 | その名も、たぁちゃん。
潰瘍性大腸炎で入院40日目第5-7話(7/6)

-精神科=キチガイ編-


今では診療所やクリニックも増えてきて、精神科にも随分気軽に入りやすくなった。

が、僕らにはどうしても抵抗がある。みんなも同じく抵抗があると思うだろうが、僕らにはちょっと違う理由がある。

僕らの通った中学校のそばに、南埼玉病院(略して『ナンサイ』)がある。当時では珍しかった精神科を備えていた。

《精神科に通う人=キチガイ・変人》

これが、僕らの中学校での絶対的な公式だった。

中学生ならではの偏見だが、問題は校内でのイジメ言葉だった事だ。

《バカ=ナンサイ》

「オマエ、ナンサイなんじゃねえの?」

「ナンサイに行ってろよ、バ~カ!」

「ナンサイは黙ってろよ#」

などなど。何かある度に「ナンサイ」という言葉で罵(ののし)ったのだ。

だから、僕らの中学校に通った人は皆、病院のそばを歩くことすら恐れていた。そして、精神科自体が近寄りがたい存在として、心に焼き付いてしまった。

そう、今でも「精神科に行く=キチガイ」の公式が消えず、みんなからバカにされるような気がしてならないのだ。

これも《トラウマ》のひとつだと言ってもいいかもしれない。

これは二つ年下の彼女(妹)も全くの同意見だった。

だから、自分がパニック障害であると知っても、彼女はなかなか病院の門を叩くことができなかった。

かくいう僕は、未だにそのトラウマ的なものから抜け出せずにいるわけだが。


【つづく】

入院日記40-5-6

2009-07-20 09:49:54 | その名も、たぁちゃん。
潰瘍性大腸炎で入院40日目第5-6話(7/6)


-「心理学」輸入と流行編-


そのあとだ。

「阪神淡路大震災」や、オウム真理教の「地下鉄サリン事件」の後遺症に焦点を当てられ、《トラウマ(心的外傷)》、《パニック障害》、《フラッシュバック》、《PTSD(心的外傷後ストレス障害)》といったものが騒がれ出した。

「心理学」が注目を集めだし、精神病の研究が日本に輸入されてきたのだ。

その証拠にというか、流行りをもろに受けたのが大学だった。

「心理学科」がまだ少なかったこともあり、僕が大学受験の時の心理学科の競争率はキチガイなほどの数値を叩き出していた。
(僕は心理学科を目指していたわけじゃないけれど)


さて、高校を卒業しトリマーの専門学校に通う彼女は、テレビのドキュメンタリー番組でパニック障害を知る。

「あ、私と、同じだ」

自分と同じ悩みを持って苦しんでいる人がいるんだ、たくさんいるんだと、安心したそうだ。

常に付きまとう恐怖、原因不明の吐き気、すべてが幼い頃のトラウマから繋がっている、パニック障害という病気なんだ。決して「気のせい」だとか「気の持ちよう」なんてものじゃない。
その証拠に、薬だって存在する。

「病気なんだ」

《病気》だということが何よりも嬉しかったと彼女は言った。


今では診療所やクリニックも増えてきて、精神科にも随分気軽に入りやすくなった。それでも、精神科に診てもらうには、どうしても抵抗がある。

特に、僕らの持つ精神科のイメージは、他とは強烈に違っていたため、ことさら精神科の門を叩くことができなかった。

何が他と違うのかというと、《イジメ》が当たり前に存在する中学校で、僕ら(生徒全員)は《偏見》を強烈に植え付けられたのだ。


【つづく】

入院日記40-5-5

2009-07-20 06:52:36 | その名も、たぁちゃん。
潰瘍性大腸炎で入院40日目第5-5話(7/6)

--太田胃散編-


「オヤジくせーの持ってるなぁ…」

彼女(妹)は、常に太田胃散を持ち歩いていた。しかも、超特大サイズの缶に入っているもの。

そんなビッグな太田胃散にビックリだし、女子高生が持つアイテムでは決してない。

全然口なんか聞かないから、彼女の苦悩なんて知る余地もない。僕は傍らから見て、ただ「オヤジくせーなぁ」と思っていた。


この時だってまだ「精神病」なんてメジャーではなく、彼女自身も全く知らなかった。

だから、この吐き気の原因を単純に胃が悪いからだと思っていた。吐き気を催したら胃薬を飲む。

一度は内科(胃腸科クリニック)に診てもらうも、胃薬を処方されるだけで何の解決にもならなかった。

今なら、精神病の可能性もあるという診断もできるだろうが、当時は無理だろう。

だから、彼女は効きもしない太田胃散を気休めで持っていたわけだ。

《心の拠り所=太田胃散》


【つづく】

入院日記40-5-4

2009-07-20 04:37:06 | その名も、たぁちゃん。
潰瘍性大腸炎で入院40日目第5-4話(7/6)

-PTSD(心的外傷後ストレス障害)編-


彼女(妹)は高校生になった。

この頃には、パニック障害の方も大分落ち着いていた。

ところが、小学生の時に作られた《トラウマ》という名の心の闇は、消えることも小さくなることもなく、しっかりと潜んでいたのだ。

何気ない平凡な一日、仲のよい友達とお弁当を食べていた。体調が悪かったのか、たまたま気持ちが悪くなったのだ。

《みんなの前》で《吐き気》を催す。

その瞬間に《フラッシュバック》を起こしてしまったのだ。

この日以降、集団の場にいると、極度の緊張と恐怖、吐き気を催すようになってしまった。

つまり、彼女は再びパニック障害に悩まされることになったのだ。

《PTSD(心的外傷後ストレス障害)》だ。

こうして、みんなと食事をする事のみならず、集団で行動することができなくなった。

放課後、友達に遊びに誘われても恐怖ばかりが募り、何かと理由をつけては断り続けた。

高校生が遊びを断るほどの理由なんて、そうそうあるもんじゃない。

「犬の散歩に行かなくちゃいけないから…」

果たして誰が納得できるのか、一番使ったのはこんな嘘だったそうだ。

当然、友達からは次第に誘われなくなり、女子高生という青春時代を孤独に過ごした。

それはそれで、精神的には楽だったというが。


【つづく】

入院日記40-5-3

2009-07-20 01:26:49 | その名も、たぁちゃん。
潰瘍性大腸炎で入院40日目第5-3話(7/6)

-パニック障害編-


小学3年になり担任の教師が変わった。

給食を食べれないことへの嫌がらせはなくなり、給食の時間の校内放送を聞いても、吐き気を催さなくなった。それから少しずつ食べれるようにもなってきた。

その後、心の病は順調に快方に向かっていた。

ただどうしても消えない《不安》が彼女の心にあった。

集団が怖い。

みんなの前で散々な目に遭わされてきたことが、《パニック障害》として心に闇を作ってしまった。

またみんなの前でいじめられる…。
突然吐き気が襲ってきたらどうしよう…。
いくら給食を食べれるようにはなっても、みんなで食べる事が恐怖で仕方なかったし、いつ吐き気が襲ってくるかが不安でならなかった。

その恐怖《パニック障害》が著しく表れたのが、遠足などで逃げ場がないときである。

逃げ場とはトイレのことだ。気持ち悪くなったことを考えると、不安で冷や汗が大量に出るという。ひとりになれる場所としてもトイレの存在はでかかった。

特に恐怖だったのは、林間学校や修学旅行だ。班単位でも、クラス単位でもなく、学年全体での食事だ。不安で吐き気が襲うも、トイレにいくタイミングがなかったりする。

本来なら楽しいはずの食事を、何一つ楽しめなかったという。

それでも、このパニック障害も徐々にかるくなっていった。


…のだが。


【つづく】