【前回のつづき(5話目)】
とりあえず、今回の投稿で終わりにしたいと思う。また大きな進展や、退院が決まったら、新たに書いていきたいと思う。
一向に良くならないまま5週目に入った。ペンタサ注腸が始まり、小さな希望もでてきたが、不安の方がずっと高い。
ペンタサ注腸初日は前回書いたようにとてつもない苦痛だった。更に、その夜から朝までの怒涛の腹痛劇といったら、筆舌に尽くしがたいものがあった。
先生は基本的に、朝昼晩と顔を出した。ほかの先生は朝だけとか夕だけなのに対し、とてもマメな先生だ。だけど病状が一向に変わらない僕にとっては、「どうですか?」的な言葉を毎日かけれるのは苦痛であった。
また、母親は入院してから毎日顔を出していたが、具合はどうかと毎回聞いてくるのもストレスだったので何度か遠まわしに毎日来なくていいと伝えた。が分かってくれないようなので、3週間が過ぎたころハッキリ言った。母親には気の毒だが、こちらの精神状態はもっと深刻だった。
さて、5週目のスタートを切った僕のところへ、いつも通り先生はやってきた。ちょうど夕日が沈みかけていて、先ほどまで西日が明るく照らしていた部屋をどんよりと暗くしていた。
貧血のせいだろうか、なんとなく体を起こす気力が沸かず、ベッドに横たわって話を聞いた。
「輸血しなきゃならないかもしれないね。」
あまりにも突然で、内容も内容だけに驚いた。と同時に、そこまで貧血が深刻なこと、そこまで潰瘍性大腸炎の症状が悪いこと、そして、良くなっていないことが脳裏を横切った。
とても胸が苦しくなって、言葉がでなかった。多分、言葉が出たとしても、上に書いたような分かりきったことを聞いて、さらにへこむ結果になっただけだろう。
自分以外の血液が体にはいるのも抵抗がある。増血剤で何とか回復しないものかとも考えつつ、心の中は鬱の文字でいっぱいになった。
「このまま良くならなければ手術をするしかない。」
続けて先生から予期しない言葉が出た。鬱の文字で満たされた心の堤防が崩れるのが分かった。一瞬、一瞬だけだが頭の中が白くなり、戻ったと同時に涙が出た。
潰瘍性大腸炎との長い付き合いで手術など考えたことはなかった。なぜか僕の頭には「末期」という単語が浮かんでいた。「もう終わりだ」「もうだめだ」
先生は、このまま出血が続くことの危険、プレドニンを飲み続ける将来的な危険、繰り返すことでの仕事への負担などを説明に加えた。
手術した方の良かったという声も多いとも付け加えた。
先生が説明してくれている間も部屋が徐々に暗くなった。先生の表情もよく見えない。先生と僕を囲む小さく仕切られた空間だけは、やけに闇を強調していた。
僕の中では、「大腸がなくなるなんてイヤだ。」という気持ちしかなかった。
「手術はしたくないです。」
ようやく口が動いた。全く力のない震えた声だ。
先生は改めて、今の治療を続けていく将来的な危険性を説き、あくまで最終的な方法として、考えておいてほしいとのことだった。とりあえずは、プレドニンの40mgは維持しつつ、ペンタサ注腸で様子を見ていきましょうということだ。
先生が帰ったあと、一人になった小さく仕切られた部屋は、完全に暗くなった。電気を付けるためにベッドから起きあがる気力もないし、今は暗くてよかった。暗いベッドに潜って少し泣いた。
いっぱい泣きたかったけど、案外泣けなかった。改めて先生の話を考えると、手術した方がやはり楽な気がしてきた。
怖いのとイヤなことは、大腸がなくなることだけ、今のまま病気を背負って生きていく方が、ずっと恐怖なのかもしれない。
この日以来、腹痛と排便の回数が少し減った。ペンタサ注腸が効いているのかもしれない。1日5回前後だ。回数が減って1回あたりの腹痛下痢下血は重くなった感じだが、今は回数が減ることが回復していることとしての実感であり、明日はもっと良くなるという自信につながっている。
これを書いている今日は、入院生活32日目。ここは天気がいいのに富士山だけが姿を隠す、大自然のイリュージョン。貧血がもっと良くなればもう少し気分がいいんだけどなぁ。
全5回に分けて入院生活1ヶ月を書いてきました。思ったよりも長いものになってしまい、マジメに読んでくださった方はさぞかし大変だったことでしょう。
僕自身、これを携帯で書くというのには大変骨を折りました。(ただでさえ骨粗鬆症の危険もあるのに)なんて冗談を抜きにして、書いていることが心を癒やしてくれるのでした。
当初、憂鬱を吹き飛ばすため、明日への希望を持つためと書いたわけですが、見事に成功したと思います。ここ数日おなかの調子がいいのも、もしかしたらこれを書いているからなのかもしれません。
まだまだ治療は続きます。退院しても続きます。僕は今、大きくなった頑張ろうの気持ちをさらに育てて乗り越えていきたいと思います。
全部読んでくださったみなさま、誠にありがとうございました。これからも声援のほどよろしくお願いいたします。
【完】
とりあえず、今回の投稿で終わりにしたいと思う。また大きな進展や、退院が決まったら、新たに書いていきたいと思う。
一向に良くならないまま5週目に入った。ペンタサ注腸が始まり、小さな希望もでてきたが、不安の方がずっと高い。
ペンタサ注腸初日は前回書いたようにとてつもない苦痛だった。更に、その夜から朝までの怒涛の腹痛劇といったら、筆舌に尽くしがたいものがあった。
先生は基本的に、朝昼晩と顔を出した。ほかの先生は朝だけとか夕だけなのに対し、とてもマメな先生だ。だけど病状が一向に変わらない僕にとっては、「どうですか?」的な言葉を毎日かけれるのは苦痛であった。
また、母親は入院してから毎日顔を出していたが、具合はどうかと毎回聞いてくるのもストレスだったので何度か遠まわしに毎日来なくていいと伝えた。が分かってくれないようなので、3週間が過ぎたころハッキリ言った。母親には気の毒だが、こちらの精神状態はもっと深刻だった。
さて、5週目のスタートを切った僕のところへ、いつも通り先生はやってきた。ちょうど夕日が沈みかけていて、先ほどまで西日が明るく照らしていた部屋をどんよりと暗くしていた。
貧血のせいだろうか、なんとなく体を起こす気力が沸かず、ベッドに横たわって話を聞いた。
「輸血しなきゃならないかもしれないね。」
あまりにも突然で、内容も内容だけに驚いた。と同時に、そこまで貧血が深刻なこと、そこまで潰瘍性大腸炎の症状が悪いこと、そして、良くなっていないことが脳裏を横切った。
とても胸が苦しくなって、言葉がでなかった。多分、言葉が出たとしても、上に書いたような分かりきったことを聞いて、さらにへこむ結果になっただけだろう。
自分以外の血液が体にはいるのも抵抗がある。増血剤で何とか回復しないものかとも考えつつ、心の中は鬱の文字でいっぱいになった。
「このまま良くならなければ手術をするしかない。」
続けて先生から予期しない言葉が出た。鬱の文字で満たされた心の堤防が崩れるのが分かった。一瞬、一瞬だけだが頭の中が白くなり、戻ったと同時に涙が出た。
潰瘍性大腸炎との長い付き合いで手術など考えたことはなかった。なぜか僕の頭には「末期」という単語が浮かんでいた。「もう終わりだ」「もうだめだ」
先生は、このまま出血が続くことの危険、プレドニンを飲み続ける将来的な危険、繰り返すことでの仕事への負担などを説明に加えた。
手術した方の良かったという声も多いとも付け加えた。
先生が説明してくれている間も部屋が徐々に暗くなった。先生の表情もよく見えない。先生と僕を囲む小さく仕切られた空間だけは、やけに闇を強調していた。
僕の中では、「大腸がなくなるなんてイヤだ。」という気持ちしかなかった。
「手術はしたくないです。」
ようやく口が動いた。全く力のない震えた声だ。
先生は改めて、今の治療を続けていく将来的な危険性を説き、あくまで最終的な方法として、考えておいてほしいとのことだった。とりあえずは、プレドニンの40mgは維持しつつ、ペンタサ注腸で様子を見ていきましょうということだ。
先生が帰ったあと、一人になった小さく仕切られた部屋は、完全に暗くなった。電気を付けるためにベッドから起きあがる気力もないし、今は暗くてよかった。暗いベッドに潜って少し泣いた。
いっぱい泣きたかったけど、案外泣けなかった。改めて先生の話を考えると、手術した方がやはり楽な気がしてきた。
怖いのとイヤなことは、大腸がなくなることだけ、今のまま病気を背負って生きていく方が、ずっと恐怖なのかもしれない。
この日以来、腹痛と排便の回数が少し減った。ペンタサ注腸が効いているのかもしれない。1日5回前後だ。回数が減って1回あたりの腹痛下痢下血は重くなった感じだが、今は回数が減ることが回復していることとしての実感であり、明日はもっと良くなるという自信につながっている。
これを書いている今日は、入院生活32日目。ここは天気がいいのに富士山だけが姿を隠す、大自然のイリュージョン。貧血がもっと良くなればもう少し気分がいいんだけどなぁ。
全5回に分けて入院生活1ヶ月を書いてきました。思ったよりも長いものになってしまい、マジメに読んでくださった方はさぞかし大変だったことでしょう。
僕自身、これを携帯で書くというのには大変骨を折りました。(ただでさえ骨粗鬆症の危険もあるのに)なんて冗談を抜きにして、書いていることが心を癒やしてくれるのでした。
当初、憂鬱を吹き飛ばすため、明日への希望を持つためと書いたわけですが、見事に成功したと思います。ここ数日おなかの調子がいいのも、もしかしたらこれを書いているからなのかもしれません。
まだまだ治療は続きます。退院しても続きます。僕は今、大きくなった頑張ろうの気持ちをさらに育てて乗り越えていきたいと思います。
全部読んでくださったみなさま、誠にありがとうございました。これからも声援のほどよろしくお願いいたします。
【完】