その名も、まめちゃん。-虹色流星号-

日本一ダメダメ男、まめぞの日記。
...今日もトホホな一日を過ごしました。
 *旧「その名も、たぁちゃん」

入院5週目、鬱を希望に変えて~(全5話完結編)

2008-03-15 12:43:50 | 潰瘍性大腸炎-入院日記3-
【前回のつづき(5話目)】

とりあえず、今回の投稿で終わりにしたいと思う。また大きな進展や、退院が決まったら、新たに書いていきたいと思う。


一向に良くならないまま5週目に入った。ペンタサ注腸が始まり、小さな希望もでてきたが、不安の方がずっと高い。

ペンタサ注腸初日は前回書いたようにとてつもない苦痛だった。更に、その夜から朝までの怒涛の腹痛劇といったら、筆舌に尽くしがたいものがあった。

先生は基本的に、朝昼晩と顔を出した。ほかの先生は朝だけとか夕だけなのに対し、とてもマメな先生だ。だけど病状が一向に変わらない僕にとっては、「どうですか?」的な言葉を毎日かけれるのは苦痛であった。

また、母親は入院してから毎日顔を出していたが、具合はどうかと毎回聞いてくるのもストレスだったので何度か遠まわしに毎日来なくていいと伝えた。が分かってくれないようなので、3週間が過ぎたころハッキリ言った。母親には気の毒だが、こちらの精神状態はもっと深刻だった。

さて、5週目のスタートを切った僕のところへ、いつも通り先生はやってきた。ちょうど夕日が沈みかけていて、先ほどまで西日が明るく照らしていた部屋をどんよりと暗くしていた。

貧血のせいだろうか、なんとなく体を起こす気力が沸かず、ベッドに横たわって話を聞いた。


「輸血しなきゃならないかもしれないね。」

あまりにも突然で、内容も内容だけに驚いた。と同時に、そこまで貧血が深刻なこと、そこまで潰瘍性大腸炎の症状が悪いこと、そして、良くなっていないことが脳裏を横切った。
とても胸が苦しくなって、言葉がでなかった。多分、言葉が出たとしても、上に書いたような分かりきったことを聞いて、さらにへこむ結果になっただけだろう。

自分以外の血液が体にはいるのも抵抗がある。増血剤で何とか回復しないものかとも考えつつ、心の中は鬱の文字でいっぱいになった。


「このまま良くならなければ手術をするしかない。」

続けて先生から予期しない言葉が出た。鬱の文字で満たされた心の堤防が崩れるのが分かった。一瞬、一瞬だけだが頭の中が白くなり、戻ったと同時に涙が出た。

潰瘍性大腸炎との長い付き合いで手術など考えたことはなかった。なぜか僕の頭には「末期」という単語が浮かんでいた。「もう終わりだ」「もうだめだ」

先生は、このまま出血が続くことの危険、プレドニンを飲み続ける将来的な危険、繰り返すことでの仕事への負担などを説明に加えた。

手術した方の良かったという声も多いとも付け加えた。

先生が説明してくれている間も部屋が徐々に暗くなった。先生の表情もよく見えない。先生と僕を囲む小さく仕切られた空間だけは、やけに闇を強調していた。

僕の中では、「大腸がなくなるなんてイヤだ。」という気持ちしかなかった。

「手術はしたくないです。」
ようやく口が動いた。全く力のない震えた声だ。

先生は改めて、今の治療を続けていく将来的な危険性を説き、あくまで最終的な方法として、考えておいてほしいとのことだった。とりあえずは、プレドニンの40mgは維持しつつ、ペンタサ注腸で様子を見ていきましょうということだ。

先生が帰ったあと、一人になった小さく仕切られた部屋は、完全に暗くなった。電気を付けるためにベッドから起きあがる気力もないし、今は暗くてよかった。暗いベッドに潜って少し泣いた。

いっぱい泣きたかったけど、案外泣けなかった。改めて先生の話を考えると、手術した方がやはり楽な気がしてきた。

怖いのとイヤなことは、大腸がなくなることだけ、今のまま病気を背負って生きていく方が、ずっと恐怖なのかもしれない。

この日以来、腹痛と排便の回数が少し減った。ペンタサ注腸が効いているのかもしれない。1日5回前後だ。回数が減って1回あたりの腹痛下痢下血は重くなった感じだが、今は回数が減ることが回復していることとしての実感であり、明日はもっと良くなるという自信につながっている。


これを書いている今日は、入院生活32日目。ここは天気がいいのに富士山だけが姿を隠す、大自然のイリュージョン。貧血がもっと良くなればもう少し気分がいいんだけどなぁ。


全5回に分けて入院生活1ヶ月を書いてきました。思ったよりも長いものになってしまい、マジメに読んでくださった方はさぞかし大変だったことでしょう。
僕自身、これを携帯で書くというのには大変骨を折りました。(ただでさえ骨粗鬆症の危険もあるのに)なんて冗談を抜きにして、書いていることが心を癒やしてくれるのでした。

当初、憂鬱を吹き飛ばすため、明日への希望を持つためと書いたわけですが、見事に成功したと思います。ここ数日おなかの調子がいいのも、もしかしたらこれを書いているからなのかもしれません。

まだまだ治療は続きます。退院しても続きます。僕は今、大きくなった頑張ろうの気持ちをさらに育てて乗り越えていきたいと思います。


全部読んでくださったみなさま、誠にありがとうございました。これからも声援のほどよろしくお願いいたします。

【完】

入院4週経過まで(まだ僕の靴ひもは切れちゃいない)

2008-03-14 10:37:51 | 潰瘍性大腸炎-入院日記3-
【前回のつづき(4話目)】


「潰瘍性大腸炎」で入院して、早4週間がすぎた。

入院当初より、薬の量も増えて、療養の仕方も大分変わった。

が、イマイチ病状が良くならない。今までの入院経験から、1ヶ月程で退院できると考えていたし、入院して出された計画書にも、3~4週間となっていた。

いいまだに下血も続いているため、貧血の数値も増加し、増血剤の点滴が追加された。

入院生活4週間が過ぎた現時点の僕を表現するなら…


「一向に良くならない体に宿るたぁちゃん、振り出しより悪いところに佇む。」


「佇む」というより「うずくまる」か「立ちすくむ」あたりが適語かも知れない。

では、入院時から4週間経過までを書いていきたいと思う。


【入院時の療養内容(1日)】

●禁食
・ラコール200mlx4本

●点滴
・ビーフリード500mlx1本

●薬
・プレドニン…4粒(20ml)
・ペンタサ…8粒
・ムコスタ…3粒
・セレキノン…3粒
・ラックビー…3包
・ガスロン…2粒
・ザンタック…2粒

入院1週間はこの内容で様子見。下痢の回数が減ってくれるといいのだが…というのが第一の目標だ。

しかし、一向に下痢下血は改善されない。そこでビオスリーという大腸に善玉菌を作る薬が1日3錠追加された。

2週目最初に、内視鏡の検査があった。前回の検査から約3ヶ月ごのカメラである。
その日のうちに先生と家族を交えての話になった。
まず、今日の結果だ。
写真を見て僕は真っ先にはっとした。
「ヒドい」
3ヶ月前と比べてあからさまに悪い。それだけではない。今まで見てきた中でも最悪なのが分かった。今までの入院時の写真もまるでホラー映画のワンシーンのような様相を呈していたわけだが、それを遙かに凌ぐグロテスクな写真だった。

ヒドい状態にも驚いたし、3ヶ月での変化にも驚いた。

「薬を飲んでいて、こんなに進行してしまうなんて、かなわないなぁ。」

今後の治療方針の話になる。副作用のリスクを伴うが、プレドニンの量を増やさざるを得ないとのこと。まずは2週間だけプレドニンを8粒(40mg)に増やすことになった。場合によっては期間を伸ばすことになるし、パルス療法を用いることもあるとの話もでた。副作用のひとつである骨粗鬆症予防のため、ワンアルファというカルシウムの吸収を助ける薬も追加された。

それに加え、下痢の回数が減れば、ペンタサ注腸を復活させるとのことだ。

そうして始まった2週目だったが、一向にに下痢の回数が減らない。新たに追加されたビオスリーの量が2倍の1日6錠になり。食事の代わりに飲んでいたラコールを廃止し24時間点滴になった。

飲まないことによって楽になる気がした。だから僕はラコールを止めたかったし、その話がでたとき二つ返事賛成した。

3週目。症状変わらず。下痢下血は1日平均8回、悪いと10回を越えた。今度はラックビーという粉薬の量も2倍の1日6包になった。

4週目。プレドニンを増やして予定の2週間が過ぎたが一向に変わらない。プレドニンの量を維持していくことになった。
毎週行っている採血の結果、貧血の値が悪くなっているため、増血剤の点滴が追加された。
確かに立ちくらみを覚えることが多くなっていた。立ちくらみなんて普段からするから大して気にもとめていなかったが、考えてみればクラクラし過ぎだし、血圧も下がり気味で、1日が怠惰でみるみる悪くなってる。

4週目の最終日、病状変わらず。ここで、ペンタサ注腸が始まった。現状でやるのはキツいとは言われていた。我慢出来ないかもとも。もともと下痢の回数が落ち着いたらやる予定の治療だったが、強引にやることになった。

その日の夜、久しぶりのペンタサ注腸をしてみると、苦しい。ものすごく苦しい。こんなに苦しいのは初めてだ。体を動かせない。液を出したい衝動にかりたてられる。
やはり、辛かった。現状でやるには過酷な治療かもしれないと思った。でも直接的な治療であり、これしかないと僕も焦っているし信じている。

こうして入院生活4週間が経過した。


【現時点の療養内容(1日)】

●禁食

●点滴(24時間)
・ビーフリード500mlx5本
・増血剤

●薬
・プレドニン…8粒(40ml)
・ペンタサ…8粒
・ムコスタ…3粒
・セレキノン…3粒
・ラックビー…6包
・ガスロン…2粒
・ザンタック…2粒
・ビオスリー…6粒
・ワンアルファ…1粒

●ペンタサ注腸


といった内容である。

良くなってるという実感がないので、まだスタートを切った気がしない。だけど、「今日から良くなる」と毎日信じてやってる。「今日からスタートだ」と思える。

毎日毎晩、苦痛に襲われ、不安にくじけそうだけど、まだくじけてない。


・「僕のまだ僕の靴ひもは切れちゃいないさ」

・「もう少しあと少しだよまだまだ僕はダメにはならないさ」


僕の大好きな曲、CHAGEandASKAの「NO PAIN NO GAIN」の中のフレーズ。

今、
僕は、
歌に支えられている。

歌は凄い。
歌に出逢えて良かった。

先にも書いたが、恐らく振り出しより悪い場所かも知れない。まだスタートを切っていないかも知れない。
だから退院も更に1ヶ月以上先になるだろう。

だけど今は、前向きに頑張ろうって思ってる、いや、前向きに頑張ってる。

負けそうなとき、
勇気づけてくれる歌、
いっぱい連れてきたんだ。

歌に出逢えて良かった。


次回は、入院5週目に突入した決意や気持ち、新たな方針等を書きたいと思う。


【次回につづく】

入院にいたるまで

2008-03-13 14:42:26 | 潰瘍性大腸炎-入院日記3-
【前回からのつづき(3話目)】

では、3回目の入院になるまでのいきさつを書きたいと思う。

【入院にいたるまで】

2回目の入院は、約6年前だった。3ヶ月の入院で完治したといってもよい完璧な状態で退院した。
もちろん、この病気には完治なんてものは存在しないのだが、先生の意向で完璧な状態で退院になった。というのは、入院中にステロイド剤の副作用で1ヶ月近くも地獄をみたこともあり、少しの妥協もない状態で退院させることになった。もちろん、僕を含め家族も賛成だった。

その後も外来でステロイド剤やらペンタサやらの薬を続けていた。ステロイド剤も順調に減っていった。


それがいつしか、やめていた…。


「や~めたっ!」ってやめたわけではない。「全然悪くもならないし飲まなくても平気なんじゃ?」確かにそう感じるが、それでやめた訳でもない。

いつも膨大な薬をもらっていて、しかも3ヶ月分となると、飲み忘れ分がたまりにたまってくる。3ヶ月分がゆうに4ヶ月分になる。それが更にたまって、病院に行かなくても十分な量になって…。飲み忘れることも多くなった。そのまま、飲むこと自体がなくなってしまった。

病院の診察も受けてない。

約4年前、再燃した。出血しだした。それから1年近く放置した結果、頻繁に血混じりの下痢をするようになり、慌てて病院にいった。2度の入院前よりも明らかに悪いからだ。

もちろん怒られたし、ステロイド剤を急にやめたことの危険性を説かれた。それで薬を3ヶ月分処方してもらったのだが、その金額、約25000円。それまでは特定疾患の受給証があったから負担は少なかったのだが、病院にすらいってないので更新もしていないのだ。

大きな負担ではあったが、生活に支障をきたすほど病状が悪く、まじめに飲み続けた。時間はかかったが、症状は良くなった。

そして、完全に良くなった訳でもないのに薬を飲まなくなった。理由は前回と一緒である。

記憶は定かではないが、今から1年前の時点で下血していた。下痢はしていなかった。

去年5月、父親の大腸がんが発覚。横行結腸がんで、大腸の管を突き破る間近まで大きくなってしまっていた。
6月に手術をし、今のところ転移は確認出来ていない。

そんなこともあり、僕は内視鏡を受けることにした。予約が一杯で10月になった。もちろん25000円の薬セットも処方してもらい、病状もそれほど悪くないから安心していた。

が、内視鏡の検査を待たずして病状は著しく悪化した。薬を飲み始めて悪化したのではと疑いたくなるほど、勢いよく悪化した。

頻繁に水下痢をするようになった。下血の量も明らかに増えた。腹痛もよく襲いかかってきた。トイレに間に合わないことも多くなった。

今までで一番悪い…。

仕事中を含め、生活全体に支障をきたしていた。排便回数も1日に10回近くになる。恐らく入院レベルだ。

でも、入院したら最低でも1ヶ月は出られないし、経済的にも痛い。

そこで9月は勤務日数を減らしてもらった。基本週5日だったのを週4日にした。シフトを管理している直属の上司には、病気のこと、病状のことを話した。入院レベルだが、入院したくないのでと減らす理由を伝えた。

週4日になって体は楽になった気がする。相変わらず、水下痢を頻繁にするのだが、症状は少し軽くなった。

で9月の終わりに10月のシフトの件で面談をする。
10月後半には、内視鏡の検査があるので、検査前日から、検査後まで最低3連休が必要。前回の検査では、麻酔が効きすぎて、検査した翌日に意識を取り戻したものの、更に翌日までフラフラだったこともあり、できれば4連休が欲しいと告げる。
病状の方は少し落ち着いたが、10月も週4日ペースでお願いした。

「具合が悪いので、お休みをください。なんて、新人アルバイトのする事だよ。」

思いも寄らない言葉が返ってきた。

「仕事を長くやっていれば、責任感も出てきて、具合悪くてもそうは休まないけどね。」

更にイヤミを突きつけてきた。

この人は、病気のことも病状のことも全然理解していないと感じた。

この言葉、屈辱は今でもハッキリと覚えている。

とりあえずもう一度、入院レベルだが入院したくないのでと理由付けてお願いした。

「具合が悪いので、お休みをください。なんて、新人アルバイトのする事だよ。」

別の日にもこう言われ、僕はこの人を今でも軽蔑している。

確かに病状が良くなっている実感があった。内視鏡の検査結果も良くはないが、ものすごく悪くないようだった。入院したくないので先生には、病状も軽く伝えた。
引き続き薬を続けようということになった。

11月から週5日ペースに戻した。病状がいいからではない。イヤミをいわれて悔しかったからである。

それが悪かった。

あれよあれよという間に病状が悪化。今年1月には、生活に耐えうる程の腹痛と下痢、出血。排便回数はゆうに10回を越えていた。

例えば排便回数12回ならば、24時間を割れば分かるが、約2時間に1回激しい腹痛が襲いトイレに駆け込むということだ。これには昼夜関係ない。寝てても約2時間に1回襲いかかってくる。まとまった睡眠がとれないのは当たり前で、かつ、夜は判断力やら体の動きが鈍い為、間に合わないことが多い。

そうなると、片付け等に膨大な時間がかかり、なおさら睡眠時間かなくなる。やっと片づけ終わって布団に入るやいなや腹痛に襲われるという最悪なパターンもよくあることだ。

診療予約が2月末だが、我慢できずに病院に行った。ステロイド剤を増量し、1週間で改善できなければ、入院となった。

1週間後。

入院が決まった。採血の結果、栄養値が下がり、貧血にもなっていた。

正直ほっとした。生きている心地のしない現実から抜けれる。これで楽になる。

こうして僕は3度目の入院になったのである。


次回は、4週間の入院治療について書きたいと思います。


【次回につづく】

潰瘍性大腸炎ってどんな?

2008-03-12 21:27:04 | 潰瘍性大腸炎-入院日記3-
【前回のつづき(2話目)】

で、たぁちゃんの体を蝕む潰瘍性大腸炎ってどんな病気なのか?

何かしらの文献を調べて書いたものではなく、僕の頭の中に入っている記憶を頼りに書いているので、間違えている箇所もあるかもしれない。

とりあえず書いてみる。


●原因不明

食生活の欧風化によるもの、細菌によるもの、ストレスによるもの、などいろいろ説があるが、これといった原因は解明されていない。

よって、必然的に特効薬なんていうのもないわけだ。

●難病

不治の病。完治はしない。再燃と緩和を繰り返す。

●症状

大腸、特に直腸やS状結腸といった肛門に近い方で炎症を起こし出血もする。

よって、排便そのものが下痢、水下痢になりやすく、下血もする。腹痛も伴う。残便感を感じることもある。

●治療

一般的には、内科的治療をとる。ステロイド剤や、ペンタサの服用。場合によってはペンタサ注腸等。

外科的治療として、大腸を取って、小腸から直腸に繋げる手術もある。


んなところだろうか、僕の知識は。大分昔の記憶なので、間違えているかもしれないが。

で、肝心なたぁちゃんの病状を書かないわけにはいかない。


【たぁちゃんの病状(入院直前編)】

・排便は下痢、ほぼ水下痢のみ。
・ほとんどに出血を確認できる。(トイレが真っ赤になる)
・粘液と血だけの排便もある。
・排便時激しい腹痛が襲う。
・1日の排便回数は10回以上。昼夜問わずなので、まとまった睡眠は全くできない。
・残便感がある。(腹痛がひかないことも・立ちくらみがする。
多い)
・水分(温かい飲み物でさえ)を採ると、すかさず腹痛、トイレに行く羽目になる。
過度に体を動かすと状態が悪化する。


んなところだろうか。
これを普段の生活に当てはめてみると…


【たぁちゃんの1日(入院直前編)】

まとまった睡眠が取れず、なんとなくめまいを感じて起きる。まず血混じりの排便を確認。その下血の量で、その日のテンションが決まる。
食事をするが、水分は採らない。薬を飲む時で十分だからだ。
朝は薬の量が多いから必然的に水分の量も増える。そして、飲んだ直後、激しい腹痛に襲われ、水下痢をする。この腹痛が治らず遅刻を覚悟したことも何回かある。

家をでる前に、不安ならトイレに行く。原付に乗り10分ちょっと、そこから駅まで早歩き5分。待ち時間等を含め、電車で25分程度。そこから徒歩5分で職場。
余裕を持って出勤すればいいのだが、朝の理不尽な腹痛でいつもギリギリになる。よって、家から職場までにトイレにいかなければならない状態は極力避けたい。

で、たぁちゃんの仕事は、こともあろうにパチンコホールのスタッフ、しかも遅番。体を使う仕事だ。そして、好き勝手にはトイレいけない。
これは、体の方が気を使ってくれるらしく、理不尽な痛み方はしない。その代わりあとでそのしわ寄せが必ず、必ず襲いかかる。

だから、ホールのタイミングを見計らってうまくトイレに行く時間を作る。トイレで抜け出してばかりというのは気が引けるので、こっそりダッシュで行くことも多い。

食事休憩1時間。体を使う仕事だから喉も乾く。が、体の望むように飲めば、間違いなく後悔する。休憩中に何度もトイレにいくならいいが、ホールに戻ってからの怒涛の腹痛劇なんて地獄である。
だから、極力飲まないし、飲むのは温かいお茶だけだ。

あと15分休憩がある、いわゆる一服休憩だ。パチンコホールは閉店間際が忙しい。体力も一番使うし、汗もかく。そのための水分補給もこの時間にしなければならない。が、僕の体には蓄えておくことができないので、飲まない。
だから、閉店間際の僕は、脱水症状の方も戦わなければならなかった。

仕事が終わると、気を利かせてくれていた体の緊張が抜け、激しい腹痛と激しい水下痢が襲いかかる。
飲んでないのに水下痢。体の水分が足りなくなっているのが、異常なほどの口の渇きでわかる。飲みたい。でも…

特に電車が怖い。帰りは終電間際の電車になるので、途中下車は極力避けたいし、単純に乗車中に腹痛に襲われるのも恐怖だ。

駅でトイレに寄るか寄らないか、原付置き場までにあるコンビニでトイレを借りるか借りないか、毎晩お腹と相談して帰る。

帰宅後、1日ほとんど飲めなかった水分をとる。腹痛、トイレ。飲む、腹痛、トイレを繰り返す。そして、眠れぬ睡眠をとる。

と、毎日こんな生活をおくっていた。

この所々に、トラブルが発生する事は珍しくない。トラブルというのは、トイレに間に合わず漏らすということだ。

大概が水下痢で、激しい腹痛から排便までの猶予が、まず1分たりともない。10秒程度しかないこともある。だから歩けないほどの腹痛でも低空姿勢でトイレに駆け込む。

途中で漏れ出すと、全く抑えが効かないのが水下痢の厄介なところで、こうなると、後片付けの過酷さは想像を絶する極みである。

先にも書いたが、ちょっと調子良かったりすると、必ずあとでしわ寄せがやってくる。だから、1日たりとも平穏な日々など無かったのである。


次回は、入院にいたるまでを書きたいと思う。興味があれば是非一読お願いします。


【つづく】

たぁちゃん入院中@潰瘍性大腸炎

2008-03-12 09:21:06 | 潰瘍性大腸炎-入院日記3-
久しぶりの投稿である。

なぜか?

入院しているからである。

いや、そんなのは理由にならないか(^o^;)

さて、僕は越谷市にある、とある病院の一室にいる。ここは南西向きの部屋で、天候次第で富士山を一望できる。

この光景の素晴らしいところは、富士山だけが見え隠れするところである。富士山の周りに見える低い山々は多少の曇りでも、深緑なのか群青なのか黒に限りなく近い影を見せている。その向こうに雪をかぶった富士山だけが見え隠れをする。
今窓から眺めてみると、先ほどまでくっきりと姿を見せていた富士山は、まるではさみで切り取ったように、まるでそこにははじめから無かったように姿を隠している。

大自然がなせるイリュージョンだ。


さて、僕の病気について話しておこう。

99%良くなっても100%治らな病気い、すなわち「不治の病」とも「難病」ともいわれる病気のひとつを抱えている。

その名も、潰瘍性大腸炎。である。

一概に難病といっても、その中ではランクの低い方である。薬を服用し続けることで再燃をある程度押さえることができる。

全く症状がない状態が続くと、どうしても薬を続けられず、再燃を繰り返してしまう。挙げ句の果てには、外来での投与では間に合わず、入院しなくてはならないほどにまでになってしまう。

つまり、今回もそれである。

病気自体も「難」だが、僕自身の中にも、カルテには書かれない「心の難」が潜んでいて、たぁちゃん困っちゃうのである。とカッコチョよく書いてみたが、ただ単にだらしなく、懲りないだけのことで、今回は、ほとほと観念している次第である。


潰瘍性大腸炎が発症したのは、およそ9年前。今回で3度目の入院である。

実は今日で入院生活29日目。5週目に突入した。退院の見通しはまだない。病状もまだまだとても悪い。


こうして、およそ1ヶ月の入院生活が経った今、病気、入院を打ち明けるのには、それなりに訳がある。

めげそうなのを耐えるため。
これからだという前向きな決意。


何回かに分けて、今の自分の体、心を書いていきたいと思う。

携帯電話からの投稿なので幾分読みづらい点もあろうかと思いますが、どうぞお付き合い下さい。そして、支えてください。


【つづく】