その名も、まめちゃん。-虹色流星号-

日本一ダメダメ男、まめぞの日記。
...今日もトホホな一日を過ごしました。
 *旧「その名も、たぁちゃん」

作詞恐怖症 ~空と海を分ける線のように...

2007-08-12 05:28:44 | その名も、たぁちゃん。
これは、長年の悩みなのだが、僕には作詞のセンスがない。
こう書くと作曲のセンスがあるといっているようだが、それもあんまりない。
「ない」とハッキリ言わないところがいやらしいが、自己満足なレベルではある。

ところが、作詞となると、「たぁちゃん、困っちゃう。」頻発するほどセンスがないのである。


そもそも「センス」とは何か?


...今、そう、まさにたった今まで、「センス」とは何か?と書いてしまったことで、いろいろと考えて文章にしてみたのだが、何行にも渡って書いた文章は、2行の空欄(つまり、ボツ)にすることになった。

なので、「センス」とは「扇子」のことではない。という結論で話を進めたいと思う。

センスがないから詞が書けない
詞が書けないから曲も作らない
曲を作らないから、ピアノやシンセサイザーやその他機材が埃をかぶる始末だ。


部屋全体が散らかっているのはこれとはおそらく関係がないのだが、センスがないというのは、やっぱり「たぁちゃん、困っちゃう。」なのである。


このセンスがないということに拍車をかける人がいる。


 僕らは夏の肌が消えるように別れた
 僕らは夏の肌が消えるように別れた

 僕らは愛の色を伸ばしながら通り抜け
 絵の具が切れたとこにたたずんでいた

 空と海を分ける線のように...


これは、CHAGE&ASKA「no doubt」という楽曲の歌詞で、ASKAが作詞したものだ。(全くの余談だが、こんなに素晴らしい楽曲がシングルではないんです。もっと多くの方に聞いてもらいたい。)

この歌詞を書くのに、どれだけの時間がかかったかは知らないけれど、僕には一生かかっても書けないと思う。いくつもの比喩を組み込んで、「僕ら」を正確に表現している。その比喩の表現はまさに「センス」がなければ書けないものだ。

最後のフレーズ「空と海を分ける線のように」とあるが、僕にとって「水平線のように」という比喩が浮かぶことですら難しいことである。僕に限らず、作詞をかじっている人にとっても同じだろうが、水平線のようにという比喩を書いたら大満足するはずだろう。が、ASKAは「水平線」という言葉をそのまんま使わず「空と海を分ける線」と表現した。そのことによって、より「二つが分かれていること」強調しているわけである。

これが、センスなのである。


僕は、こんな歌詞を書くASKAが好きだから、作詞恐怖症なのである。


【リンク】

「no doubt」
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=F00339
↑「うたまっぷ.com」より「no doubt」の歌詞のページです。