1983(昭和58)年5月26日の昼、秋田県沖を震源とするマグニチュード7.7の日本海中部地震が発生した。秋田県ではこの日を「県民防災の日」として、今も訓練や犠牲者の追悼が行われている。
しかし、35年も経って全国的には知らない/忘れた人も多いだろうし、26日の秋田魁新報によれば、(高齢化が著しい中でさえ)秋田県民も4人に1人が地震を経験していない世代になったそうだ。
この地震で秋田県、青森県、北海道で104人が亡くなっていて、うち100人が津波によるもの(秋田県では83人中79人)。
当時は日本海側には津波は起きないという俗説があったそうだし、警報発表やその通知体制が未熟だったこともあるのだろう。(一方で昼どきなのに火災が1件も起きなかったのは、消火意識が徹底されていたからとされている。)
中でも、学校行事で男鹿市の海岸を訪れていた、合川町立合川南小学校(現在は市町村合併と学校統合により北秋田市立合川小学校)の児童のうち13人が、津波で亡くなったのは、衝撃であった。
合川南小学校の教訓と慰霊は、現在も現地や統合後の学校で継承されているし、当時を知る県民も忘れることはない。
秋田朝日放送ニュースサイトより
1992年開局で地震当時は存在していなかった、秋田朝日放送(AAB)でも、おそらくテレビ朝日が保存する当時の映像も使って、しっかりと報道している。
上の静止映像は、今年の遺族による慰霊の模様で、赤い水筒は遺品とのこと。
さて、例によって些細なことで申し訳ないのですが、このことを伝える報道について。
上記では、あえて「“学校行事”で男鹿市の海岸を訪れていた」と表記したのだけど、当時を知る皆様は、それがどんな「行事」だったか、ご記憶だろうか。
上記のAABのサイトにもあるように「遠足」だと思うかたが大多数だと思う。僕もそうだった。
ただ、今年まで全校(全学年)で同じ場所に訪れていたのかと思いこんでいたが、実際には4年生と5年生だったとのこと。
報道でも「遠足」で来ていたとするのが圧倒的多数。2018年でも民放各局、確認した限りの地方紙・全国紙各社が「遠足」としている。
そんな中、唯一の例外があった。
それが、NHK秋田放送局。
「社会科見学の途中」
「社会科見学の途中」とするのは、今年に始まったことでなく、昨年かそれ以前に気づいた。
今年は3月5日の「(東日本大)震災7年を前に(男鹿市の)保育園で防災教室」というニュースの中でも、「社会科見学の途中」としていた。
2013年5月24日の「NHKニュースBOT」ツイッターより
また、2013年には「社会科見学の途中」としている原稿と、「遠足で」としている原稿の2つが存在したようだ。その頃が“転換点”か。
遠足と社会科見学。
時代や地域によって解釈は異なるのだろうが、一般的には「遠足」はレクリエーション的要素が強く、「社会科見学」は施設見学に重きを置く行事だろう。遠足=社会科見学ではない。
合川南小では、2つの学年だけとはいえ、カリキュラムが異なる学年の合同で社会科見学をするのは、考えにくいし、合川から男鹿まで来て何を社会科見学するのか想像できない。水族館とか地形を見に来たのだとすれば、それは「“社会科”見学」ではないのではないか。
「遠足」が死語になって通じないから、NHKの判断で言い換えたのかとも思ったが、今も充分通じるだろう。言い換えだとすれば「校外学習」「校外活動」辺りにしたかったのを、言い換え間違えたのか?
北秋田市のホームページを見ても、合川南小学校は「遠足」で訪れていたとするものが圧倒的。
ただ1つだけ、「社会見学中の合川南小学校の児童が遭難」との記述があった。
2005年3月発行の旧合川町の「広報あいかわ」最終号(No.560)の「合川町50年を振り返って」という年表内の記載。
ということは、合川町の沿革史のような記録の一部には、何らかの理由で遠足でなく「社会見学」と記載されているのかもしれない。
また、2014年に北秋田市の市議会議員が「北秋田(旧合川南小学校)社会見学の小学生達が」とツイートしている。
これらは、NHKの「社会“科”見学」ではなく「社会見学」。両者は微妙にニュアンスが違うとも言えよう。
いずれにしても、35年前も、現在の北秋田市やNHK以外の報道各社も「遠足」としているのに、現在のNHKだけがなぜか遠足とは呼んでいないのが現状。
北秋田市に尋ねたり、NHKに質問すれば解決するのだろうが、そこまでするのも気が引ける。でも、気になる。
この程度のことは、誤って継承されたとしても大勢に影響はない。
だけど、どうせ残すなら極力正しくするべきだと思う。あえて違う言葉に置き換える意味はない。“セリオンタワー”と同じように。
NHKの地方局では、初詣のニュースのように、毎年ほとんど同じ原稿だったり、秋田公立美術大学附属“高校”のように、過去の誤りを繰り返したりするケースが散見される。社会科見学も、何らかの理由で使い始めた言葉で、以降、考えずに使いまわし続けているだけのような気もしなくはない。
若手が多かったり転勤があったりして、記者がその土地のことを充分に知らずに、過去の例に従ってしまったり、間違いを見落としたりしてしまう事情もあるのだろうが、視聴者としては受信料を払って、一定の信頼を寄せる放送局なのだから…
【2021年5月26日の報道について追記】
2021年もNHK秋田放送局はかたくなに「社会科見学」。民放3局と秋田魁新報は「遠足」。
26日付魁のコラム「北斗星」では、合川南小の一行が、加茂青砂海岸を訪れる前に、秋田県庁を見学していたことが述べられていた。(北斗星内では、一般的な学校行事として「社会見学」が軸の話で、「遠足」のフレーズは出てこない。)
このことが、NHKが社会科見学を使う理由かもしれないが、それだったら、我々の昔の遠足だって県立博物館とか蚶満寺とかを見学したが、遠足は遠足。
※その後、新たな事実も判明した2023年の記事。
日本海中部地震の自分の記憶。
当時も秋田市にいた。秋田市は震度5(現在と異なる震度階級、測定地の気象台も現在と別の場所で、人による観測)。
小学校に入学したばかりで、体調不良で学校を休んだ日であった(当時は虚弱だった)。
いくぶん体調が良くなって、起き上がってぼーっとしていると、突然ものすごく揺れた。【29日追記・幅が大きく、短い周期の横揺れと記憶している。】それまで地震というもの自体、はっきりと認識したことはなく、何が何だか分からなかった。
その後に経験したどんな地震よりも激しい揺れ(小さかったとか体調が悪かったとか、そういう理由ではないと思う)で、まさに動けなかった。【6月2日追記・恐怖とか身の危険にまで考えは及ばず、とにかく揺れに戸惑うことしかできなかった。】大人も近くにいたけれど、やはり動けない。
揺れが収まり外を見ると、近所のおじさんが家から道路を渡った駐車場へ飛び出していた。我が家では家具が倒れるといったことはなかったはず(考えてみれば不思議。向きなどが幸いしたのか)。
停電もなく、テレビのニュースを見ていると、市郊外に住む知人のおじさんが血相を変えて訪問。外出先で地震にあって逃げこんで来たのだった。
すると、また、揺れた。大人が「ヨシンだ」と言う。「余震」を知った。
11時59分の本震後、当日中に最大震度3(秋田市)の余震が何度も起きている。
秋田市では、市中央部でも塀が倒れたり、百貨店「本金」のタワーが倒壊して死者が出たりしたそうだが、当時の記憶はない。
覚えているのは、どこかの道路に大きな亀裂が入った写真と、やはり合川南小学校の津波被害。
あと、身内が借りていて地震発生時に無人だったアパート4階の室内では、側面を壁に寄せていた食器棚の角が、石膏ボード(?)の壁をこするように動いたらしく、長さ10センチほどの穴が開いた。穴が開いたことで(穴にひっかかって)、食器棚が倒れるのを食い止めたのだろう。
その後、学校では、定期避難訓練以外に明確な防災教育を受けた記憶はないけれど、合川南小のできごとだけはしっかりと刻みこまれた。
通っていた小学校では、3年生の遠足で男鹿方面へ行くのが恒例で、地震前は男鹿水族館へ行っていたのが、地震後は海岸へは行かなくなって、寒風山へ変更されたはず。ただ、4年生では、山形の十六羅漢や象潟海岸へ行ったから、直接的に海を避けていたというわけでもない。
しかし、35年も経って全国的には知らない/忘れた人も多いだろうし、26日の秋田魁新報によれば、(高齢化が著しい中でさえ)秋田県民も4人に1人が地震を経験していない世代になったそうだ。
この地震で秋田県、青森県、北海道で104人が亡くなっていて、うち100人が津波によるもの(秋田県では83人中79人)。
当時は日本海側には津波は起きないという俗説があったそうだし、警報発表やその通知体制が未熟だったこともあるのだろう。(一方で昼どきなのに火災が1件も起きなかったのは、消火意識が徹底されていたからとされている。)
中でも、学校行事で男鹿市の海岸を訪れていた、合川町立合川南小学校(現在は市町村合併と学校統合により北秋田市立合川小学校)の児童のうち13人が、津波で亡くなったのは、衝撃であった。
合川南小学校の教訓と慰霊は、現在も現地や統合後の学校で継承されているし、当時を知る県民も忘れることはない。
秋田朝日放送ニュースサイトより
1992年開局で地震当時は存在していなかった、秋田朝日放送(AAB)でも、おそらくテレビ朝日が保存する当時の映像も使って、しっかりと報道している。
上の静止映像は、今年の遺族による慰霊の模様で、赤い水筒は遺品とのこと。
さて、例によって些細なことで申し訳ないのですが、このことを伝える報道について。
上記では、あえて「“学校行事”で男鹿市の海岸を訪れていた」と表記したのだけど、当時を知る皆様は、それがどんな「行事」だったか、ご記憶だろうか。
上記のAABのサイトにもあるように「遠足」だと思うかたが大多数だと思う。僕もそうだった。
ただ、今年まで全校(全学年)で同じ場所に訪れていたのかと思いこんでいたが、実際には4年生と5年生だったとのこと。
報道でも「遠足」で来ていたとするのが圧倒的多数。2018年でも民放各局、確認した限りの地方紙・全国紙各社が「遠足」としている。
そんな中、唯一の例外があった。
それが、NHK秋田放送局。
「社会科見学の途中」
「社会科見学の途中」とするのは、今年に始まったことでなく、昨年かそれ以前に気づいた。
今年は3月5日の「(東日本大)震災7年を前に(男鹿市の)保育園で防災教室」というニュースの中でも、「社会科見学の途中」としていた。
2013年5月24日の「NHKニュースBOT」ツイッターより
また、2013年には「社会科見学の途中」としている原稿と、「遠足で」としている原稿の2つが存在したようだ。その頃が“転換点”か。
遠足と社会科見学。
時代や地域によって解釈は異なるのだろうが、一般的には「遠足」はレクリエーション的要素が強く、「社会科見学」は施設見学に重きを置く行事だろう。遠足=社会科見学ではない。
合川南小では、2つの学年だけとはいえ、カリキュラムが異なる学年の合同で社会科見学をするのは、考えにくいし、合川から男鹿まで来て何を社会科見学するのか想像できない。水族館とか地形を見に来たのだとすれば、それは「“社会科”見学」ではないのではないか。
「遠足」が死語になって通じないから、NHKの判断で言い換えたのかとも思ったが、今も充分通じるだろう。言い換えだとすれば「校外学習」「校外活動」辺りにしたかったのを、言い換え間違えたのか?
北秋田市のホームページを見ても、合川南小学校は「遠足」で訪れていたとするものが圧倒的。
ただ1つだけ、「社会見学中の合川南小学校の児童が遭難」との記述があった。
2005年3月発行の旧合川町の「広報あいかわ」最終号(No.560)の「合川町50年を振り返って」という年表内の記載。
ということは、合川町の沿革史のような記録の一部には、何らかの理由で遠足でなく「社会見学」と記載されているのかもしれない。
また、2014年に北秋田市の市議会議員が「北秋田(旧合川南小学校)社会見学の小学生達が」とツイートしている。
これらは、NHKの「社会“科”見学」ではなく「社会見学」。両者は微妙にニュアンスが違うとも言えよう。
いずれにしても、35年前も、現在の北秋田市やNHK以外の報道各社も「遠足」としているのに、現在のNHKだけがなぜか遠足とは呼んでいないのが現状。
北秋田市に尋ねたり、NHKに質問すれば解決するのだろうが、そこまでするのも気が引ける。でも、気になる。
この程度のことは、誤って継承されたとしても大勢に影響はない。
だけど、どうせ残すなら極力正しくするべきだと思う。あえて違う言葉に置き換える意味はない。“セリオンタワー”と同じように。
NHKの地方局では、初詣のニュースのように、毎年ほとんど同じ原稿だったり、秋田公立美術大学附属“高校”のように、過去の誤りを繰り返したりするケースが散見される。社会科見学も、何らかの理由で使い始めた言葉で、以降、考えずに使いまわし続けているだけのような気もしなくはない。
若手が多かったり転勤があったりして、記者がその土地のことを充分に知らずに、過去の例に従ってしまったり、間違いを見落としたりしてしまう事情もあるのだろうが、視聴者としては受信料を払って、一定の信頼を寄せる放送局なのだから…
【2021年5月26日の報道について追記】
2021年もNHK秋田放送局はかたくなに「社会科見学」。民放3局と秋田魁新報は「遠足」。
26日付魁のコラム「北斗星」では、合川南小の一行が、加茂青砂海岸を訪れる前に、秋田県庁を見学していたことが述べられていた。(北斗星内では、一般的な学校行事として「社会見学」が軸の話で、「遠足」のフレーズは出てこない。)
このことが、NHKが社会科見学を使う理由かもしれないが、それだったら、我々の昔の遠足だって県立博物館とか蚶満寺とかを見学したが、遠足は遠足。
※その後、新たな事実も判明した2023年の記事。
日本海中部地震の自分の記憶。
当時も秋田市にいた。秋田市は震度5(現在と異なる震度階級、測定地の気象台も現在と別の場所で、人による観測)。
小学校に入学したばかりで、体調不良で学校を休んだ日であった(当時は虚弱だった)。
いくぶん体調が良くなって、起き上がってぼーっとしていると、突然ものすごく揺れた。【29日追記・幅が大きく、短い周期の横揺れと記憶している。】それまで地震というもの自体、はっきりと認識したことはなく、何が何だか分からなかった。
その後に経験したどんな地震よりも激しい揺れ(小さかったとか体調が悪かったとか、そういう理由ではないと思う)で、まさに動けなかった。【6月2日追記・恐怖とか身の危険にまで考えは及ばず、とにかく揺れに戸惑うことしかできなかった。】大人も近くにいたけれど、やはり動けない。
揺れが収まり外を見ると、近所のおじさんが家から道路を渡った駐車場へ飛び出していた。我が家では家具が倒れるといったことはなかったはず(考えてみれば不思議。向きなどが幸いしたのか)。
停電もなく、テレビのニュースを見ていると、市郊外に住む知人のおじさんが血相を変えて訪問。外出先で地震にあって逃げこんで来たのだった。
すると、また、揺れた。大人が「ヨシンだ」と言う。「余震」を知った。
11時59分の本震後、当日中に最大震度3(秋田市)の余震が何度も起きている。
秋田市では、市中央部でも塀が倒れたり、百貨店「本金」のタワーが倒壊して死者が出たりしたそうだが、当時の記憶はない。
覚えているのは、どこかの道路に大きな亀裂が入った写真と、やはり合川南小学校の津波被害。
あと、身内が借りていて地震発生時に無人だったアパート4階の室内では、側面を壁に寄せていた食器棚の角が、石膏ボード(?)の壁をこするように動いたらしく、長さ10センチほどの穴が開いた。穴が開いたことで(穴にひっかかって)、食器棚が倒れるのを食い止めたのだろう。
その後、学校では、定期避難訓練以外に明確な防災教育を受けた記憶はないけれど、合川南小のできごとだけはしっかりと刻みこまれた。
通っていた小学校では、3年生の遠足で男鹿方面へ行くのが恒例で、地震前は男鹿水族館へ行っていたのが、地震後は海岸へは行かなくなって、寒風山へ変更されたはず。ただ、4年生では、山形の十六羅漢や象潟海岸へ行ったから、直接的に海を避けていたというわけでもない。
26日のNHKは、当然「社会科見学」でした。
「遠足」は死語ではないですよね。躍起になって言い換える必要も思いつきません。
26日を前にしたニュースが続くなか、AKTは「遠足」も併用(?)されていることを確認しました。
●5月23日「AKT ライブニュース あきた」
子どものうちから防災意識を
保育園で津波防災訓練
【原稿】・・・今月26日は「県民防災の日」です。36年前のこの日,日本海中部地震が発生し津波によって,男鹿市に遠足に来ていた・・・。
21日の慰霊碑清掃のニュースでは「社会科見学」でした。
AKTニュースサイト掲載の21日の原稿は読点が「、」で表記され、スタジオでアナウンサーが読んだもの、今日の防災訓練のものは「,」(半角コンマ)で表記され、現地でアナウンサーがリポートしたものであったことから、両ニュース原稿は別の人が書いたのではないかと思われます。
おそらく今日の現地リポート分はリポートしたアナウンサーの方が自ら書かれたのかもしれません。
また、AABは引き続き「遠足」としていました。
●5月23日「AAB 情報ニュースショー トレタテ!」
日本海中部地震から36年
男鹿の園児が避難訓練
【原稿】男鹿市では遠足に来ていた児童らが・・・。
このニュースをABSテレビでは「遠足」と伝えていました。
海岸自体が見学先とは考えにくく、昼食場所としていたようですから、「社会科見学の途中」とすれば、話はつながりそうですが…
26日にはどう報道されるでしょうか。
●5月21日「AKT ライブニュース あきた」
日本海中部地震からまもなく36年
小中学生が慰霊碑清掃
【原稿】・・・このうち社会科見学で男鹿市の海岸を訪れていた・・・。
また、同日のニュースでNHKも引き続き「社会科見学」との表現を使っていました。
●5月21日「NHK秋田 ニュースこまち」
日本海中部地震の慰霊碑清掃
【原稿】・・・社会科見学の途中で立ち寄った男鹿市の海岸で・・・。
NHKは「社会科見学の『途中で立ち寄った』」と踏み込んだ表現をしており、目的地(社会科見学先)が別にあったことを示唆しているのではないかと思いました。
雄和に行くようになったのは、秋田空港や県立中央公園ができた後なんでしょうかね。それ以前は行くべき施設などなさそうだし。
小学生では、先輩後輩はさほど意識しないでしょうが、だからこそ、異学年と交流するのは難しかったり、逆にいい経験になったりしそうですね。
個人参加の催しですが「AKT少年の船」にも、通じるものがありそうです。
今は、学習要素を多くしているので、やや趣向が異なるかもしれませんが。
子ども会連合の宿泊は、世話人やっている親御さんの子息子女辺りが主に選抜されているので、知らない方は知らないと思います。その子息子女が年齢的に参加できない場合や本人が強硬にいやがる場合などは、対象年齢に入っている子どもを代わりに投入するケースがあって、その場合に声がかけられることもあるそうです。
たまたま近い人で5年生の時に岩城少年自然の家にいったとかで、5年生の宿泊部屋の中に6年生が1人放り込まれていて、6年生からの面倒見がよかったと聞いています。
逆に、6年生が孤独に陥ることもあるでしょうね。
秋田市外へ行くということ自体、我々の時は少なかったです。あと、選択するというのも。
どうせなら、全部自分の目で見たほうが、百聞は一見にしかずのような気もしますが、人数制限や教育上の都合があるのでしょうね。
>Unknownさん
子ども会の合同行事は、我々はなかったと思います。
中学校では、生徒会役員や部活動のキャプテンが、青年の家(現・青少年交流センター ユースパル)で宿泊研修する行事がありました。
そのような、学校全体でない宿泊では、秋田市立学校でも大森山以外を使っていたの傾向がありそうです。
参加対象の学年は1学年に固定されていなくて、上の学年の方もいた記憶があります。
今では、個人情報の問題とか、性(同性間の二次性徴における個人差の大きさなど)の問題とかもあるので、かつてのようにはいかないでしょうけど(後者については、数十年も前から全くなかった訳ではないとは思いますが、保健の授業で外見の変化については、いじめに繋がるからと、ここ何年かではかなり強化されて来たとは思いますが)。
自分は鍛冶屋を選びました。
ちなみにJRとAKTが同じなのはJRがフジテレビの堺正幸氏ということで、FNN式のアクセントを採用してるのかもしれません。
前橋のアクセントですが、NHKアクセント辞典では、以前は「ま」にアクセントを置いたものが第一表記で、「え」にアクセントを置いたものが第二表記だったようです。
しかし、2016年の改訂版では第一表記と第二表記が入れ替わり、「え」にアクセントが第一表記になっています。
時代とともにこういう変化もあるんだなと思いました。
時間の読み方も、年配のアナウンサーだと「まもなく、11時『にじっぷん』になります」などと、「に」にアクセントを置く方がいますが、若い方だとほとんどが「にじゅっぷん」と「じゅっ」にアクセントを置いているのも世代による変化?と思いました。
地名の読み方(アクセントというかイントネーションというか)はとても難しいですね。
他の単語と違い、地名は基本的にその土地だけで使われる言葉です。だから、地元の人が聞いて違和感がない読み方が正解のように思いますが、そうもいかないのでしょうかね。
JR東日本の新幹線・特急の車内自動放送は、わりと違和感がない読み方をしていると思います。大館はAKT式です。
>あんなかさん
前橋のアクセントは考えたこともなかったです。愛知県の岡崎などもそうですが、よそ者には分からないんですよね。
本金も大町でしたし、日本海中部地震では、あの一帯が被害があったのは、偶然なのでしょうか。今は地下トンネルがありますが、ちょっと心配です。
小学校で酒屋の見学ですか!
僕の時は、5年生は大森山宿泊研修があるからという名目で、十六羅漢・象潟まで行った4年生より近場である、岩城少年自然の家(日帰り)でした。
田沢湖も十和田湖も学校では行かなかったです。修学旅行は仙台でしたが、その数年前までは十和田湖だったようで、日本海中部地震の時、まさに旅行途中だったそうです。
>Unknownさん
秋田市ではどうもそうらしいですね。
仮に「遠足」が使ってはいけない言葉になったとか、意味を知らない人が大部分になったとかなら、別ですが、現状では言い換える必要はないと思うのですが…
ただ、当時は遠足としていったはずなので、本来的には遠足と言わないと齟齬が生じるのは確かですね。
NHKのアクセントで気になる地名が前橋です。
地元では平坦なアクセントですがNHKはまにアクセントを置く方が多いみたいです。
日本海中部地震は痙攣するような揺れでしたね。
同じ日本海で起きた北海道南西沖地震も似た揺れでした。
三陸沖の地震とは明らかに違います。
日本海中部地震では市営バスが通常運行していて大町の一部の道路が陥没して迂回してました。
小学生時代の社会科見学は秋田火力発電所と秋田プライウッドや高清水、雪印が定番でした。
遠足は小学3年の時が男鹿でした。
小学5年が田沢湖でしたがついに修学旅行も含めて
十和田湖に遠足で行くことは無かったです。
このため十和田湖は遠い特別の観光地と刷り込まれました。
以前アナウンスの訓練を受けたことがありますが、同じ県内でも局によって地名の読み方が微妙に違っていることを思い出しました。
例えば「大館」は、秋田放送では、平板(「お」から「て」まで同じ音の高さ)で「おおだて」、秋田テレビでは、頭高(「おお」にアクセント)の「おおだて」とされていました。
「大館アメッコ市」など、同じようなニュース原稿でも局によって読みのアクセントが違っていて面白いです。
我々の数年下の学年はたけや製パンへ行き、他校では河辺のコカ・コーラへ行ったと聞き、純粋な工場見学経験がない者として、うらやましかったです。
3年生の1日がかりで弁当持参で社会科見学した時は、給食費相当分のお菓子セットが支給されたこともありました。
我々も、遠足では2年の秋田空港や3年の県立博物館と、社会科見学的な要素もなくはなかったですが、毎年ではなかったですね。
雨に当たったのは2年生だけ。「山水荘」という雄和町の施設に行ったようですが、名前しか記憶にありません。
昨年夏の大雨では、東京のアナウンサーが峰吉川(神宮寺も?)をヘンに区切っていました。地名は難しいですが、プロの腕の見せ所でしょう。
6月以降、ニュースに登場する機会が多くなりそうな、「新屋」なんかは初歩ですね。
前者は岩城防災センター、蚶満寺、象潟海岸(雨で古い旅館)。
見学は御所野事業所、旧八橋リサイクルセンター、下水道部。
後者は給食戻りがありました。
ただ、90年代もなると遠足がもう学業の社会科見学になります。
6月で5年間、修学旅行もいれ6年全て雨で室内or車内飯になる悲劇的な遠足。
2年は秋田空港、3年は卸売市場といなふく米菓と博物館、5年は大潟村農業施設と五城目の製造業と朝市。
すべて帰った翌日からレポート書き。
修学旅行も義務教育ではそんなんでした。
話は変わりますが、NHKで秋田の味にしみたアナかどうかを見分けるようなのが豪雨でわかりました。
下新城、仁井田、後は大仙の峰吉川、がしっかり言えるアナかそうでないか。
青森から来た宮崎アナや仙台の真下、堀アナ、東京のアナも変なアクセントでした。
秋田来て長めになってる福井アナや坂本キャスターがきちんと言えてました。
学校行事の名称も、この数十年で変わっているようですね。遠出しても何かしら「学習」することが重視され、昔ほど「遠足」はしなくなったのでしょうか。
一方、先日、新橋駅前で神奈川県の高校生が集団過呼吸になる騒動がありましたが、それは「遠足」だったとのこと。我々は中学でも高校でも遠足はなかったですが、土地によっても変わるようです。
遠足も社会科見学もまとめた、現在の無難な表現としては「校外学習」辺りなのでしょう。
でも、仮にNHKが「校外学習」と言ったとしても、やはり少し引っかかります。固定観念かもしれませんが、「遠足」で充分な気がします。
ご遺族や地元にとって違和感がない表記であることは必要ですが、その点ではどうなのでしょうかね…
昭和末の秋田市立小学校では、遠足と別に2~5年生で何度か社会科見学をしました(当時は1年生から理科と社会がありました)。校外学習や体験学習は、そういう言葉からしてなかったと思います。
見学地は駅、郵便局、卸売市場、各ライフラインの供給施設などでしたが、3年生では丸1日かけて「市内めぐり」と称したバスツアーで、大森山で昼食を食べました。
この地震の時、私はまだ生まれていませんでしたが、秋田にいたころ、毎年県内ニュースで見ていましたので、「遠足で」というニュース原稿のフレーズと一緒に記憶していました。
今回の東北のニュースで、アナウンサーが「遠足」ではなく「社会科見学」と読んだのに、私も違和感というか、あれっと思いました。
その時は「内陸の学校の人が沿岸に海を見に来た遠足のことを、社会科見学と表現したのかな」、とか「仙台局発のニュースだから『遠足』という表現をしなかったのかな」と思いました。
しかし、紹介されているNHK秋田のニュース原稿と、NHK仙台から東北地方向けに放送したニュース原稿は、読み手が仙台局のアナウンサーになっただけで、同じものだと思います。
改めて考えてみると、「遠足」は、私が小学校低学年(約25年前)くらいまでは普通に言われていた表現だと思いますが、その後は「体験学習」や「校外学習」などの表現が多くなった気がします。
(自分が成長したからそう感じるだけで、今でも小学校低学年くらいまでは「遠足」と言うのかもしれません)
「社会科見学」は、自分の学校生活の中で使った記憶はありませんが、近年バラエティー番組などで「コンビニおにぎりの製造工場を社会科見学!」などのように使う印象があります。
普段生活している地域では触れることのない海についての見識を深める体験で、小学校低学年では社会科という科目がないので「遠足」と表現し、社会科という科目がある学年は「社会科見学」と表現する意図であれば、4年生と5年生、という点との整合性もある気がしました。
気になるのは「社会科見学の途中」という表現。「遠足」や「社会科見学」だと、海岸が目的地のように思えますが、「途中」となると、目的地は別で、途中、お昼を食べようと海岸に寄ったようにも思えます。
「正確な情報を」とも思いますが、内容が内容でもあり、なかなか放送局には聞きにくいです。
「秋田魁年鑑」などにはどう記載されているかな、と思いました。