木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

鬼平の嘘つき~花火編

2008年06月16日 | 大江戸○×クイズ
問い:江戸時代の打ち上げ花火は丸かった。ウソ? 本当? 答えは、文末に。   

花火というと、TV[鬼平犯科帳」のエンディングにもジプシー・キングの哀調を含んだ演奏をバックに鮮やかな玉が上がっているのが見える。まず、これは全く嘘である。鬼平のいた寛政あたりでは、このような花火は存在しなかった。
では、どんな花火があったかというと、まず、立花火。これは、長い木の先に今で言うドラゴンなどの吹き出し花火をつけたものである。花火の語源も、「花」ではなく棒の先を示す「端」であるという説もある。次に流星。昼のものを流勢といい、夜のものを流星という所もある。これは、今で言うロケット花火である。このロケット花火をばかでかくしたものが流星と思って貰ってもいい。現代でも、秩父や静岡の草薙、滋賀の米原などで、伝統的に揚げられている。写真で見ると、ぱっとしないのだが、間近で見ると凄い迫力である。花火というより、ロケットの打ち上げに近い。
それでは、現代でいうところの花火=打ち上げ花火がいつ頃登場したかというと、文化・文政の頃と言われている。しかし、これにしても、色は和火と言われる橙色のもので、鮮やかな色が出せるようになったのは、明治以降である。また、花火が丸く開くようになったのも明治以降と言われている。江戸の花火は、柳と言われる火の尾が長く後を引くものであったり、星がその場その場で単発的に開くものであったと思われる。この辺りのことは、なにせ写真がなかった時代のこと、浮世絵から想像するしかないのだが、写実的とは言えない浮世絵からでは、想像の部分が大きくなってしまうのも仕方がない。
答え:× (と思われる)


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