木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

今日は、フルーツ記念日?

2008年08月01日 | 大江戸○×クイズ
問い:今日、8月1日は、フルーツ「はっさく」の記念日である。ウソ? 本当? 答えは、文末に。

今日は8月1日。早いもので、今年も半年を折り返して一ヶ月が経った。本当に月日の過ぎ去るのが早く感じる。
さて、昔は8月1日のことを八朔と言った。「朔」というのは、ついたちのことである。萩原朔太郎は11月1日に生まれたので「朔太郎」である。
旧暦で言う8月1日は、新暦では8月末頃であるから、早いところでは米の収穫が終わり、祝い事が行われる時期である。農民だけでなく、広い層に八朔が祝い事として伝わったのは、南北朝以降のことだと言う。
さらに、小田原を平定した徳川家康が秀吉の命を受けて、天正18年(1590年)8月1日(新暦8月30日)に江戸城に入ると、江戸時代において八朔は幕府にとって、重要な記念日となった。
「日本の年中行事」によると、

将軍は白帷子(しろかたびら)に長袴をつけて、白書院、大広間に出て、総出仕の諸大名、旗本、御用達町人の祝賀を受けました。諸大名らの服装も白帷子に長袴です。

とある。
また、この日は、吉原においても、白装束のおいらんが町内を練り歩いた。
これについては、

この日、仲之町を道中する遊女は白無垢を着る。これは元禄年中、江戸町一丁目巴屋抱の遊女高橋の病臥中、馴染客が八朔紋日約束で仲之町へ来たのを、白無垢を着て、高橋が迎えに出たのに由来する。その姿が非常に可憐だったので年中行事に取り入れたという 「遊女」

この文章中、紋日というのは、吉原のイベントデーみたいなものであり、ピーク時には年間90日くらいあった。この紋日は、遊女の値が安くなるのかと思うと、全く逆で、高くなった。おまけに、八朔のような特別の紋日だと、遊女が着る白無垢の衣装代も旦那持ちだったというから大変である。
江戸庶民は、この日に特別なことをした訳ではないが、年中行事の一つとして、八朔が来ると、そろそろ訪れる秋の気配を感じたことではないだろうか。
一方、フルーツのはっさくであるが、歴史は意外に浅く、広く食されるようになったのは1860年頃というから幕末のことである。
広島の僧侶が庭になっていたはっさくを配り、これが好評であったので広まったという。「八朔のころから食べられる」ということから、この名前が付いたそうである。
はっさくも、現代ではかつての65%くらいまで生産量が落ちているということだ。フルーツの世界の栄枯盛衰を感じる。
答え:×

「日本の年中行事」塩田勝編(金園社)
「遊女」西山松之助編(近藤出版社)
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