木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

上口龍生さんのブログ

2013年03月23日 | 日常雑感
赤坂のマジックバーを経営するプロマジシャンに上口龍生さんという方がおられる。
上口さんを知ったのは江戸の手妻(手品)を描いている「こんちころ」という小説を書いているころだった。
上口さんのことは、江戸の名奇術師・初代柳川一蝶斎が得意にした胡蝶の舞という日本の伝統奇術を見事に演じるところから知った。
新参者の質問にもこころよくお答え頂き、いろいろと御教示頂いた。
その上口さんは、ほとんど毎日のようにブログを更新されている。
その内容は、驚くほど濃い。
記事の内容は九分九厘がマジックに関するもの。
研究熱心な上口さんの性格がよく分かるだけでなく、考え方まで分かる。
その中でも特に印象に残っているのは、「頑張りと踏ん張り」の違いだ。

アマチュアは頑張ればよい。
プロは頑張るだけではなく、踏ん張らなければならない。

泳ぎをプールで練習している人間も、いざ大海に泳ぎ出たなら、「頑張る」だけでは駄目なのだ。
プールだったらいつでも立てる。
海に行ったらそうはいかない。
溺れれば、死ぬことになる。
プールで泳いでいるのがアマ、海に出たのがプロだ。

練習と稽古も違う、とも書いておられた。
練習とは鏡の前でひとり行う所作。
稽古とは人前で実際に演じて、相手の反応をフィードバックすること。

いくら練習だけしていても、稽古をしなければ本当の進歩は得られないと語られる。
人前でやみくもに実践しているだけでも、相手の反応を確かめなければ、これまた進歩は得られない。

小説に関していえばどうなのだろう。何が練習で、何が稽古なのだろう。
自分に関していえば、練習として、以前は名人と呼ばれる人の文章を写したり(志賀直哉や海老沢泰久)、ストーリーの再現を行ったり(1ページ写し、次の1ページは自分で考えて書いてみる)していたこともある。
けれども、私ももう「頑張る」ではなく、「踏ん張」らければならない(=結果を出す)時期に達している。
そういった意味では練習とは資料読みであろうか。
文章やストーリーテリングには才能による部分も多いが、資料集めに才能は関係ない。
どんな内容を書くにしろ、その小説の周辺にある知識はいくら多くても邪魔にならない。
資料読みは地味で大変な作業だけれど、そこにどれだけ時間を費やせるか、ということがマジックにおける練習と似ているような気がする。
練習のいいところは、他人のために行うのではなく、自分のために行うという点だ。
練習量の多さは自信に繋がる。

次に、稽古。
これは、他人に読まれることを意識して書く以外にない。
独りよがりになっていないか、分かりやすい文を書いているか、金を払ってもらってまで読まれる価値があるかどうか、などを意識して書くことだ。
稽古とは他人の目を意識することに他ならない。

話は随分飛んでしまったが、上口さんのブログを読むと、マジックに対する思い入れとか愛情といった感情がストレートに伝わってくる。
ここまで書いてしまっていいのだろうか、と思うような内容も多い。
マジックをやる人は必見、そうでない人もとても勉強になるブログである。

RYUSEIブログ

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