木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

オーケストラ

2010年06月10日 | 映画レビュー
ロシア映画「オーケストラ」。

共産主義下のソビエト。
ユダヤ人の排斥を拒んだ主人公はオーケストラを追放されてしまう。
それから30年後。
ふとしたきっかけから、主人公の指揮者はパリで復活を遂げる。
ハリウッド映画だったら「ロッキー」のようなサクセスストーリーにするところをロシアの映画はコメディタッチに仕上げた。

この映画のどこがよかったのか考えていると取りとめもなく、理屈っぽくなってしまった。
この映画の最大のポイントは理屈とは対極にあるのに。

主人公の指揮者と話をしていて、若い女性ソリストは嫌悪感に近い反感を抱いてしまう。
説得され、同じ舞台に上がったものの、挑発的な演奏を始めるソリスト。
その演奏が段々と指揮者に同化していく。
ばらばらだった楽団も、それにつれて至上のハーモニーを奏でる。

最後の場面のチャイコン(チャイコフスキーのバイオリン協奏曲=世界一美しい旋律)では、不覚にも泣いてしまった。
主人公が言葉を尽くしても説得できなかった人たちが、指揮を通じて主人公を完全に理解した。
昔「それがしという人間は、それがしの剣が説明してくれる」と語った武士がいたが、この映画では指揮棒を振ることで団員がみな主人公を理解した。
主人公の生き方が本物だったからである。

この映画のキャッチコピーでは、「寄せ集め楽団が奏でる奇跡のシンフォニー」(協奏曲だからシンフォニー=交響曲ではないと思うのだが)、主人公を天才指揮者と表現している。
そうだろうか。
奇跡と言うと、どんな不思議、偶然も正当化されてしまうので、安易に使いすぎだ。
奇跡とは、本人にとっては必然と思っていることに、ほんの少しの偶然が重なったものを他人が評価したに過ぎない。
天才とは、最後まで諦めの悪い人の総称に過ぎない。

華やかだった過去を懐かしみながら背筋を丸めて歩くという選択も主人公にはあった。
だが、この主人公はどこかで背筋を伸ばしながら生きて来たのだろう。
人生のどの時点で問いかけられても答えられるだけの生き方をしていたいものだと思った。

名古屋では新栄の名演小劇場にて上演中。

オススメ度★★★★★(クラシック好きな方)
       ★★★★ (クラシック好きでない方) ★5つが満点





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コメント (2)
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