たーさんの世界(意地悪じーさん)

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キムチ

2010年12月30日 | Weblog
^)この時期になると思い出す、韓国クラブのママの手作りのキムチ。

(^o^)彼女の名前は、パククーンスーン。(僕は、彼女をスーンと呼んでいて、彼女は自分は僕の妹だと言っていた。)

(^o^)純白のチマチョゴリを着た彼女の美しさ(錦で一番きれいだった)は、今でも僕の脳裏に焼き付いています。

(^o^)それだけでなく、ママは韓国民独自の自尊心がつよく、美しさだけでなく凛とした存在でした。

(^_^;)ここで断っておきますが、僕はママの手も握った事はないし、彼女は乾物屋の愛人である事も僕は知っていました。

(^o^)ママはキムチを仕込む時期になると母国に帰り、キムチの材料を買ってきて自分で本場のキムチを作ったのです。

(^o^)そして僕にも、ビニール袋に一杯のキムチをくれました。

(^o^)そのキムチを我が家に持ち帰ると、女房はそれを首を長くして楽しみにしておりました。

(^_^;)全くおめでたい女房です。

(^.^)普通の女性ならば、旦那が夜の仕事の女性から手作りキムチを貰ってくれば、多少なりとも素行を疑うのが当たり前だと思いますが、私の女房は疑う素振りをしない処か、別のスナックのスミ子の愛犬のシーズが赤ちゃんを産んだら僕にくれる事を話したら、女房は喜んでいました。

(^_^;)また彼女のマンションに生まれたばかりの仔犬(コロ)を一人で見に行っても、何も疑う様子は見せませんでした。

(^o^)話しは韓国クラブのママに戻りますが、彼女は今は店をたたんで結婚したと人伝えに聞きました。

(^o^)子供も出来たと聞きましたが、彼女は元気に暮らしているだろうか?

(^_^;)僕が事件に巻き込まれた時、ママは凄く心配していてくれました。

(^_^;)事件が終わり店に行きママに元気な顔を見せましたが、それが彼女と会った最後でした。

(^o^)今日、鶴橋のキムチを食べて、久しぶりにママの事を思い出しました。
(^0_0^)また思い出しましたが、スーンは僕が入院した時に見舞いに来てくれました。

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