僕がここでトヨタの悪口を書くのは、本当はトヨタに良い車を作ってもらいたい気持ちも半分はあるのです。
はっきり言って、トヨタのコンパクトカーには全く興味が湧かないのです。
昭和50年以前は、一に日産で二がトヨタでした。
当時はマツダも奮闘してロータリー車やファミリアという乗用車もよく売れていたのですが、ホンダや三菱やスバルという車はあまり売れていませんでした。
昭和50年以前のトヨタのスポーツカーのエンジンはヤマハの製品で、トヨタの技術は二流でした。
しかしトヨタは社内を豪華に見せたりクッションを柔らかくしたり(本当は柔らかでないほうがいい車ですが、素人はにはあのフアフア感が好まれた)して、車に高級感をつける努力をしたり、販売網を拡げたり営業の社員教育を徹底したり、今と違って値引きも思い切ってしたりして、販売台数を伸ばして行ったのです。
(思い切った値引き商法は、今までのマツダと似てました。)
しかし昭和の50年頃になると、トヨタは排ガス対策にレーザーエンジンと呼ぶ独自のエンジンを作り、それを大々的に宣伝し販売を拡大して行きました。
それに対し日産はチョット遅れてプラズマエンジンなるものを宣伝していましたが、トヨタは買って戴く姿勢に対し、日産は売ってやるという姿勢が治らないまま時間が過ぎたのです。
当時の日産の足回りには定評があり、トヨタのやぐい足回りに対し日産はキビキビした足回りでしが、日産のインテリアはトヨタよりも劣っていたのは事実です。
内装の下請けさんでも、日産の下請けは出来てもトヨタの下請けは出来ないと言われ、トヨタは例の下請け泣かせでもある看板方式の生産方法を確立して行きました。
今でも残っているトヨタの80点主義は、その頃の考え方だったように思えます。
日産は今までの技術にアグラをかいていましたが、トヨタは生産システムと販売方法に対しては地道な努力をコツコツ続け、いつの間にか日産を大きく引き離す企業に成長したのです。
しかしトヨタは当時から今まで下請けを泣かし、また見えない部分で手抜きをした車作りをしていたのですが、未だにその社風が治らずというよりも、トヨタのビッツやアクアなどにも見られるように、今では見える部分まで安っぽく面白くもない車を消費者に押し付けているように思えてならないのです。
けれども販売を拡げたトヨタは国民に信頼されトヨタブランドを築き上げ、今ではそのようなコストダウンの塊みたいな車でも値引きに渋くなり、莫大な営業利益を上げるに到りました。
トヨタの莫大な営業利益はトヨタの企業努力の結果なので僕がここでとやかく言いませんが、トヨタは危険予知支援装置の標準装備に対しては一番遅れているのです。
また内装を重点的に見るあまり、本来はハンドブレーキとかサイドブレーキと称される補助ブレーキを足元に移動して、ブレーキの解除まで足ふみにしてしまったのです。
これは極めて急な坂道発進には危険きわまりないのです。
説明は難しいのでしませんが、知りたい方は、急な坂道で前後に車が止まっているときに試してください。
僕がトヨタ車が嫌いな理由は、見栄えばかりに重点をおいてきたトヨタは、今では利用者の安全性までも犠牲にしている車作りをしているからなのです。
確かに燃費も良いし故障の少ないよい車を作っているのは認めますが、トヨタに要求できるのならしたい事は、もっと利用者の安全に重点をおいた装置を標準装備し、安全までもコストダウンしない車を作って欲しいという事です。
スバルやマツダが面白くてよい車作りを始めたのでトヨタもアグラをかいてるとは思いませんが、これほどの大企業ならば、もっと消費者の立場に立った車を作ってもらいたいのです。
正直、僕はこんなトヨタが嫌いで、貧乏ながらもコツコツまじめに車作りをしてきたマツダを応援したくなっています。