たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
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ミニツーリング

2011年10月30日 | Weblog
為 皆様と闘病中のさくらんぼさんへ ※写真の拡大はクリック

昨日は絶好のバイク日和でしたが、日曜日が雨との予想でもあったので車で帰省しました。

だけど写真はバイクでツーリングしたと思って見て下さい。


国道153号線も秋真っ盛り。山の木々達は緑の服装から色とりどりの服装に着替えました。

さあ、僕の後ろからしっかり手を回して振り落とされないよう注意してタンディムだ





この先は、僕が一番好きな景色だ。










まだまだ続くよ。








向うに見えるのは、南アルプス山脈(通称赤石山脈)だ



トンネルを抜けると、一気に伊那谷だ




これから飯田市の郊外へはいります。










親戚付き合いはしていないが、血がホンの微かに繋がっている遠縁の店で一休み。

菊がきれいだった。








サア、僕の実家まであと少し。













お墓

2011年10月30日 | Weblog
(^_^)昨日は母が眠るお墓を訪ねた。

(^_^)昔は、お墓は単に亡くなった人を葬る場所と捉えていましたが、今は母や祖母と出会う場所の様に思います。

(^_^)昨日は母や祖母に、家族を守る誓いを伝えて来ました。

(^_^)母は黙ってうなづき、祖母は自分が生き抜いた人生を語ってくれました。

2011年10月30日 | Weblog
帰省する度に母の笑顔を思い浮かべて十年以上過ぎたが、今回も母が若かった頃の笑顔と言葉が思い出された。

田舎では今の時期は、市田柿の収穫に忙しい。

昔は我が家でも、母が干し柿を出荷していた。

母は人一倍丁寧な仕事をする性格で、出荷する干し柿の箱詰めも丁寧できれいだと自慢していた。

母は買って食べて頂くお客様に、少しでも美味しくといい思いで箱詰めをすると話していた言葉が思い出される。

母が詰めた箱を持っていくと、農協の検査員は母の顔を見て、殆んど検査無しで受け取ってくれた様子の自慢を、嬉しそうに家族に話していた笑顔は今も思い出されます。

母は本当に、清らかで優しく真面目で正直な人でした。

僕が時々このブログで母の話をするのは、母が生きていた証を少しでも残してあげたいからです。

僕がブログが出来なくなれば、おそらく母の話をする人は居なくなります。

それは仕方ない事です。
また涙が溢れてきてしまいました。

年金の基金は、本当に流用使用していないか!?

2011年10月30日 | Weblog
そもそも年金制度が出来た理由は、戦費調達の為に出来たと言われているが、戦争が終わってもこの制度は続いた。

世の中が平和になると、この制度は名前の通り年金目的の制度に変わった用だが、年金の積立金に対する国の見方は、本当に純粋に年金基金だけの見方をしていたんだろかと、僕には疑問に思える。

バブル期のある議員発言に、集めた年金基金は他に流用しても、まだ今後に集める基金で補えるという様な発言に見られる様に、国政や行政には、年金を準戦費使用目的の様に捉えていたフシがある。

事実年金問題を語る時に、制度が始まってから今日迄の、年金の収支表なるものを見た事がない。

ただ我々国民に対して発表される事は、少子化が進み高齢社会に入ると年金制度が揺らぐという事だけです。

確かにそれは大きな問題ではありますが、年金支給年齢を遅らせたり支給額を縮小し始めた時期は、少し早すぎはしないだろうか?
そして年金崩壊が危惧され始めたのも、早すぎはしないだろうか?

計算上は何百兆残っている筈の年金積立基金の、実際にその額を確める術は無い。

この投稿は、僕の早とちりであって欲しいと願う。

爪の垢を煎じて飲め!!( その2)

2011年10月30日 | Weblog
(^_^)田淵寿朗(1890~1974)という名前を知らない人は多いと思いますが、名古屋市の100メートル道路を知っている人は多いと思います。

(^_^)彼は、その道路の生みの親と言うべき人です。
(^_^)東大工学部を卒業して内務省の役人だった田淵寿朗は、戦災で焼け野原になった名古屋市に、100メートル道路を計画して実行しました。

(^_^;)彼の考え方を理解出来ない人間は、名古屋市内に飛行場でも造るのかと陰口を叩いた人もいた様ですが、名古屋市はその道路を中心として発展しました。
(^_^)リニア駅が我が町高森に出来る可能性が強いのですが、リニア駅へのアクセス道路は、是非とも田淵寿朗先輩を見習い、出来る限り十分な広さを持ったものにして貰いたいものだ。
(^○^)上下四車線とは言わず、6車線を確保した上で、自転車専用車線と6メートル以上の歩道を上下に設置した計画にして欲しいものだ。
(^_^;)2チャンネルで上下四車線以上の道路を書いたら、飯田市の人間から反対意見を言われたが、コンパクトシティを誤って解釈している飯田市民は、もう一度考え方を見直して貰いたいものだ!

爪の垢を煎じて飲め!!

2011年10月30日 | Weblog
(^_^;)福島原発事故の直後、【想定外】等という馬鹿げた言葉が飛び交いましたが、今日はそう言った言葉を使ったおバカさんに二人の人を紹介します。

(^_^)一人は徳川家康公です。

(^_^)名古屋市はどんなに日照りが続こうが、木曽川の流れが干上がらない限り水不足はありません。

(^O^)その訳は、名古屋市は、江戸時代から続く木曽川の水利権があるからです。

(^_^)その昔名古屋市に木曽川から水を引くように命じたのは、徳川家康公だと聞いています。

(^O^)当時は人口が少なかったので、もっと近くの水源地からの飲料水確保で十分に賄われた筈ですが、家康公は多大な資金を必要とする、木曽川から水を引くように命じました。

(^_^)その後名古屋市は人口が増えたのですが、どんな日照りが続こうが、水不足になった事が無いとの事です。

(^O^)事実 何年か前の水不足の時でも、知多半島辺りは厳しい水不足に陥りましたが、名古屋市は対面上節水対策は発表したものの、節水制限は全くありませんでしたし、する必要はなかったのです。

(^_^)三百年続く江戸幕府の基礎を作った徳川家康公は、流石に先見の目があると言わざるを得ません。

(._.)地震国でありながら、分かっていても、満足な津波対策をしなかった何処かの国の政府や電力会社のトップは、日光東照宮へのお百度参りをして、家康公の爪の垢を煎じて飲みなさい!


(^○^)次回は、田淵寿朗をご紹介します。