ますのすし本舗 源 ますのすしミュージアム@ 富山県富山市南央町【2024弥生 北陸の旅#6】

「富山きときと空港」から移動すること約5分。開場時間5分前にシャッター&ポール。

先月の旅で訪れた浜松の「うなぎパイファクトリー」同様、オリジナル商品があり、かつ無料で工場見学ができる施設。

入館すると「福野夜高祭」の山車がドーンと目の前に。

売店には、ここならではの数量限定商品が数種類。ミュージアム見学の前に「ますのいぶしずし」と「海鮮美食」を購入し、店内でお取り置きしてもらうことにした。

ミュージアム内には「駅弁」というものが始まってからの、時代時代の容器を展示しているスペースがある。しかしワタシがそそられるのは、そのバックに掲示してある「エル特急 雷鳥」の在りし日の姿。両親の故郷が北陸にあるワタシは、子供時代に親に連れられ、また自分一人で北陸の「田舎」との往復に何度もこの列車を利用した。もっと言えば、481系〜485系が主流になる前の、457系交直両用急行形電車による「急行 ゆのくに」「急行 立山」が主流だった頃の記憶も明確にある。

そんなだから、凸型スタイルのディーゼル機関車が旧型客車を牽引する列車なんかも、無茶苦茶懐かしく思える。子供の頃、京都駅から乗って山科駅で降りる列車はそのほとんどが「米原行き」か「野洲行き」の113系電車ばっかりだったのだが、ごく一部にあった「草津線経由柘植行き」というのがこの凸D旧客スタイルだった。「ますのすし」は、昭和時代の駅弁文化の中で事業を広げて行ったが、新幹線でさえ車内販売というものが無くなった今、「駅弁」に郷愁を感じる世代は今後高齢化していく一方で、もはや庶民の日常から消え去りつつある絶滅危惧種なのかもしれない...と、ふと思った。なぜなら、例えば「琺瑯看板」。およそ20年前ごろまでは、地方を旅すれば結構な頻度で出くわすことができるものだったが、今は滅多に見ない。それと同じようなことが「駅弁」の世界にも日に日に訪れつつあるような気がする...。ここ「ますのすしミュージアム」を訪れて、意外にも痛感したのはこのことだった。

工場見学の順路は、ここから先が撮影禁止となっていたが、その工場内の様子は滋賀の「ラ・コリーナ近江八幡」や浜松の「うなぎパイファクトリー」のように「小麦粉」から作るものに比べ、ナマモノで、サカナを扱う生産ラインの様子は独特のものがあると見学していて思った。というわけで、滞在したのはおよそ30分ばかりだったが、なかなか興味深い施設ではあった。




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