NHKの大河ドラマ「光る君へ」を毎週楽しみに観ている。
清少納言と紫式部
むかしから日曜日の夜8時は、NHKの看板番組「大河ドラマ」に人気がある。
しかし、過去の当番組はほとんど観たことがなかった。
それが二作前の「鎌倉の13人」を、ときどき観るようになった。この時間帯に他に観たい番組がなかったこともあるが・・・
もともと鎌倉時代には興味があった。貴族の時代から武士への時代へ大きく舵を切った源頼朝。
律令制という中央集権的な官僚支配体制から開墾地主(関東武士)による封建領主制へ
一つの所(土地)に命を懸ける。という、この時代の「一所懸命」という言葉はそれを象徴している。土地とはもちろん田畑のこと。
以上は余談だが、そんな流れからこの「光る君へ」は最初から観つづけている。
言うまでもなく「光る君」とは源氏物語の主人公「光源氏」のことである。テレビドラマ「光る君へ」は歴史に基づいて脚本されているらしい。
平安時代にはあまり興味はなかったけど、源氏物語という世界最古の小説が外国でも人気があるという。
ドラマを観ているうちに「源氏物語」に興味がわいた。原文の本は読んでもたぶん無理だろう?理解できそうもないから
現代訳した小学生でも読めそうな優しい源氏物語を読むことに・・・。
本は、光源氏の出生からはじまる。桐壺帝と桐壺更衣の間に誕生するが、産後まもなく桐壺更衣が亡くなる。桐壺更衣は左大臣の娘であったが、すでにその父親が死んでいる言わば没落貴族。
一方ドラマでは、一条天皇と中宮定子の間に親王が生まれる。が、ほどなく定子は病で亡くなる。定子の親は、関白の藤原道隆で身分には申し分なかったが定子が入内して間もなく水飲み病(糖尿病?)で死去する。
また、定子の兄弟が花山上皇に弓を射るという事件に関わり左遷されるという、これまた没落貴族。
一条天皇は源氏物語作者のまひろ(紫式部)に「桐壺帝とは朕のことか?」とドラマのなかで聞いている。
もちろん、まひろは否定するが、あまりにも酷似している。
左大臣藤原道長の娘、彰子が一条天皇に入内し中宮藤壺となる。
藤壺は亡き定子が産んだ敦康親王を育てる。この敦康親王が光源氏のモデルなのか?
なんとも状況が小説とそっくりなのだ!
一条天皇は敦康親王を東宮にさせたかった。が、左大臣の藤原道長の反対に遭う。
桐壺帝も光源氏を東宮にさせたかったが、母親の桐壺更衣が没落貴族の出であり、かつ桐壺帝には弘徽殿女御との間に皇子(東宮)が存在していた。
この時代、天皇の子であっても母親の身分が皇子の出世に大きく影響する。更衣は女御より身分が下なのである。
ドラマでは一条天皇が崩御する。
小説も桐壺帝が崩御しその東宮が朱雀帝として即位する。
小説にも桐壺帝の女御としての藤壺が存在する。この藤壺に親王が生まれるが、光源氏にそっくりだったという。成長した光源氏はこの藤壺と密通していたのだ。
ドラマでも敦康親王が御簾を破り藤壺と接触しようとする場面がある。藤壺は狼狽するが「大丈夫です。私は光る君とはちがいます。」と言う・・・
それを聞いた道長が中宮藤壺を諫める場面もあった。(10月27日放映分)
きょう(28日)現在、小説「源氏物語」の方がちょっと先行しているが、ドラマ「光る君へ」を並行して観ていると、
どちらがどちらか?事実なのか創作なのか?歴史なのか小説なのか?混同してしまう。
いずれにしても、これからの進展が楽しみである。