Lab通信

「勝手にドッグラン」のブログです。

那須の想い出

2021年11月14日 16時25分39秒 | メモリアル
唐突な話題だがこの11日、義理の弟の墓終いのため福島県の白河市に行ってきた。

朝の6時に千葉を出て現地に着いたのが10時半。
さっそく石材屋さん立ち合いのもと、お坊さんに魂を抜くお経をあげてもらい全員が焼香して儀式は完了。
あとは石材屋さんに墓石の解体そして撤去を後日してもらう・・・
儀式は一時間ほどで終了したが時刻はまだ昼前。

せっかくここまで来て「そのまま帰るのはもったいない!」と、妹が事前に那須にホテルを予約していた。

15時のチェックインまでには時間がある、白河の南湖公園に寄ることにした。
ここは寛政の改革で有名な松平定信の白河小峰城。
その南に位置していることから南湖と呼ばれたらしい・・・

南湖。11月にしては汗をかくほどの天候だった


ここは標高が高くないのでまだ紅葉がのこっている


平日で貸しボート屋もヒマそうだ


通りすがりの道々で・・・

車を止めてしばし撮影タイム

某企業の研究センターの敷地内で・・・


道草を食いながら走りホテルへ・・・14時30分

ここは陽光ゴルフクラブと併設されているホテル

レストランからゴルフコースがのぞめる


5階の部屋からも・・・北コース9番ホール


夕食はコース料理。お腹がいっぱいになった


翌12日。レストランにて朝食


食後はすぐにチェックアウト。ウォルトと何度も訪れた那須高原へ

つつじ吊り橋。紅葉はすでに終わって久しい・・・

枯葉の中に見つけた可憐な花?かな


つつじ園の展望台より。左、茶臼岳。右、朝日岳

ウォルトと、またラブともこの展望台で写真を撮ったっけ!

そして、ロープウェーで茶臼岳山頂駅に


突然、上空が暗くなる。

風も強く歩くのはあきらめて下山

途中雨に降られながら、いつもの道の駅「那須高原友愛の森」へ・・・

ここで昼食をとり休憩。
雨が去り晴れがもどった13時30分、那須インターから東北道をはしり帰途へ・・・。

過去、ラブそしてウォルトと数えきれないほど訪れた那須高原。
それももうこれが最後かな?

茶臼岳を登りロープウェーで降りたラブ。マウントジーンズでゴンドラで上がりドッグランで遊んだウォルト。
南ヶ丘牧場、つつじ吊り橋、どうぶつ大国、那珂川河畔公園などなど、いっしょに歩きいっしょに遊んだ・・・
そして、泊まったドッグコテージやペットと泊まるホテルも数えきれない。

いまなお、那須の想い出は限りなく・・・



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5回目の夏

2018年07月30日 11時44分08秒 | メモリアル
今年も暑い夏が来ましたね・・・

ラブを亡くしてから5年が経ちました。

2013年の7月27日も暑い暑い一日でした。もし、生きていたなら17歳。
そう17歳は、まだまだ元気に生きているワンコたちもたくさんいるのに・・・

憎っきガンには勝てませんでした。でも決して12歳は早死にではありませんね?
そう、考えるようにしています・・・

5年も経ち、最近はお線香を上げることもなくなりました。手を合わせることもなくなりました・・
だんだん記憶からも遠ざかっていきます。
でも命日の7月27日はラブを偲び、そしてブログに残したい!と、そう思っています。

ちょっと遅れちゃったけど・・・

2001年8月20日、生後66日目のラブ


写真の右下にラブがかじったらしきキズがついています


同8月28日、初めての芝生歩き


犬毛の浜での散骨はまだあきらめていません。

思い出いっぱいの犬毛海岸に、いつか帰してあげるつもりです・・・


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最後の夏

2017年07月25日 12時02分41秒 | メモリアル
ラブを失ってから4回目の夏をむかえました。
ラブが亡くなったのは7月27日。蒸し暑い一日で午後から雷雨がありました。

いまでも蒸し暑い日の雷雨があると、あの日のことを思い出します。

ちょうど土曜日で休みの日でした。

朝から苦しそうな息づかいでしたが、家族を見つめる目はしっかりとしていました
何かを訴えるような目でした。何かを求めているような目でした。

そんな目を見るのがつらくて、ラブに背を向けテレビを見ていたのです。

早朝にシュンタが来てくれました。チェリーままも来てくれました。
みんな心配してくれていたのに・・・

そして、午後2時30分。大きな息を最後に呼吸が止まりました。

いまにして思えば、あの目は「ありがとう!」と言っていたにちがいありません。

ずーっとそばにいて、最後まで頭を撫でてあげればよかった。
からだも撫でてあげればよかった。たくさん話しかけてあげればよかった。
そして、「楽しかったよ!」「ありがとう!」と言ってあげればよかった・・・

いつになっても、後悔は尽きません・・・

夏が過ぎたら、ラブの大好きだった稲毛の海に散骨しようと思います・・・

2007年7月。緑内障から復活した最初の海


左目が大きくちょっと緑色でしょう



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鷹ノ巣山へ・・・

2017年01月09日 13時35分23秒 | メモリアル
鷹ノ巣山へ・・・年末の30日、去年と同じ快晴でした



観ていただき、ありがとうございました・・・
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奥多摩へ

2017年01月01日 14時02分03秒 | メモリアル
恒例になっていた年末の奥多摩行き、ことしも30日に行ってきた。

毎年、兄と二人で歩いていたが、去年初めて甥も参加、三人で奥多摩の石尾根を歩いた。
その去年と同じ30日、石尾根の鷹ノ巣山に登った。でもことしは一人旅・・・

いや、そんなことはない!兄との思い出と二人連れ・・・だ!

早朝4時、家を出た。一度も休憩をとらず順調に走り奥多摩へ・・・

実は、3時に起きて支度をしていたらウォルトが起きてきた。「どこに行くんだ!」と、そばから離れない。
「ごめん!きょうは連れて行くわけにはいかないんだ!!!」

兄が亡くなって9ケ月。病いの床で「最後の奥多摩を見たい!」と懇願していた。
しかしそれは叶わぬままにこの世を去った。

その最後の願いを代わって果たそう!・・・

歩きなれた尾根道で、富士山を望む稜線で、そして、ぬけるような青空の下で、兄と思い出ばなしをしよう?
そう思っていた。だからウォルトを連れて行くわけには・・・

去年と同じ真っ青な空だった・・・


↓夜明け前の奥多摩湖。6時20分


↓奥集落の登山口に車を止める。7時ちょうど


身支度を整え、7時10分スタート!。浅間尾根を登る・・・↓途中の浅間神社。


植林帯の急登を・・・途中、木々の間から富士山が顔を出す


↓鷹ノ巣山唯一の水場付近で・・・もう少しで鷹ノ巣山避難小屋だ!


そして、石尾根縦走路にある避難小屋へ。9時5分


避難小屋内の寒暖計、マイナス3℃ぐらいかな?


小休憩のあとは小屋前の広場から切明けを登る


途中、ふり返ると去年三人で歩いた日陰名栗峰が目の前に・・・右のピークが日陰名栗峰↓(望遠で撮ったので近くに見えるが・・・)


↓南方向に、登ってきた浅間尾根と遠くに富士山が望める


避難小屋から急登を35分ほど登れば、あと少しで鷹ノ巣山山頂だ!


↓遠くに雪を被った南アルプスが・・・


そして山頂へ・・・9時45分。右の人、カップ麺を食べていた。

ここ山頂で本日初めて登山客に出会った。それくらいの静かな山道だった・・・

↓鷹ノ巣山山頂。1736.6m

山標(正式な呼び方が分かりません)があたらしくなっていた。
去年までは木製の道標に標高が書いてある質素なものだったが、あたらしいそれは石製の立派なものになっていた

山頂から・・・富士山


同じく山頂から・・・北岳と間ノ岳


↓去年の5月、休憩した同じ場所で昼メシ。10時30分


いつもと同じ、カップ麺に餅を入れたもの


↓去年もここで眺めた同じ風景を・・・

食後のコーヒーを飲みながら思い出します。

時刻はまだ11時15分だったが、この時季は日没が早い、また何が起こるかわからない!早めに下山することに・・・
復路は登りと反対側の水根山方向に下り、倉戸山方向分岐点で巻き道に下りて避難小屋まで戻ることにした

↓避難小屋前着、11時45分。やはり巻き道は早い・・・


避難小屋からは朝来た道、浅間尾根を下りる


浅間尾根の中腹かな?12時30分、やはりちょっと早すぎた・・・
なので、ここで大休憩。このベンチで寝そべって青空を見上げ休むことに・・・

陽が当たり風もなく、気持ちのよい至福のひととき・・・

↓そして、奥集落に2時帰着。


奥多摩湖周遊道路を走り、対岸の「数馬の湯」へ・・・

去年もここで温泉に入り、釜めしを食べた。
ことしも同じように温泉に浸かり、そして釜めしを食べようとしたらメニューから釜めしが消えていた。
残念!なんで?・・・しかたなく「とんかつ定食」を・・・

前年の5月、この鷹ノ巣山に兄と登った。その日も天気は良く富士山や南アルプスを望むことができた
なにひとつ変わっていない山並みや青い空・・・

「兄貴!奥多摩に来たぞ!鷹ノ巣山山頂だぞ!最高の天気だぞ!」と、小さくそう叫んでいた

「ここで休んだよな?」「ここでカップ麺を食べたよな?」「ここから雄大な富士を眺めたよね?・・・」

・・・そんな会話をしながらの山旅だった・・・



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浅間山

2016年11月15日 08時12分19秒 | メモリアル
4月の納骨のとき以来の墓参り。

12日、土曜日は前日の雨から一転、秋晴れとなった。
朝の散歩から戻り、10時ちょうどに出発。レインボーブリッジを渡り順調に走行していたら
「中央高速道路情報」「事故渋滞、国立府中まで120分」の電光表示。「仕方ない!新宿で首都高速を降りよう・・・」

新宿からは青梅街道を走ることになる。

私事、高校を出て働き始めたのがマツダのディーラー。この青梅街道沿いの荻窪に営業所があった
二十歳のころ中古の車を買って、住まいのあった江戸川区から車通勤した。青梅街道はその通勤道。

街並みはずいぶん変わったけど、その営業所はあった。しかし建物はあたらしくなってディーラー名も代わっていた

確か?ここに喫茶店があったはず。ここには床屋が・・・そして出前をとった中華や日本そば屋が・・・
なつかしいそれらはすべてなくなっていた

近くの善福寺公園へは新車の試乗や修理後の試運転で毎日のように行った。今回は寄らなかったけど
たぶん、ここだけは変わってないだろうナ? また、そうあって欲しい・・・

青梅街道から小金井街道を走りJR武蔵小金井駅を過ぎると、ほどなく目的地の多磨霊園だ。
JR中央線、いまは高架になっているが当時は踏切だった。

武蔵小金井駅のそれは「開かずの踏切」と呼ばれるほど有名だった。
なにしろ朝の通勤時間帯では踏切の開いている時間が1時間で3分ほどしかなかったのだ・・・
全国でも1~2を争うほどの「開かずの踏切」だった。

イライラして渡っていたあの頃が思い出される・・・

多磨霊園に隣接して「運転免許試験場」がある。18歳のときここで普通免許をとったのだが・・・
なんと、受験回数12回目でやっと合格。だから少なく見積もっても12回は通ったことになる。

落ちた場合は再試験の申し込みをするのだが、その費用が足らず駅ちかくの質屋で時計を入れたこともあった
もちろん、その質屋も今はない・・・

皮肉にも中央高速道路の事故渋滞のお陰で、なつかしい思い出を味わうことができた

兄の俗名が入った墓誌はなんとも切ない・・・

お参りをすませ、霊園内のベンチで昼食。天気もいいので以前より行きたかった浅間山に行くことにした
浅間山は霊園に接して存在する小高い山である

霊園から通じる道を歩き、吊り橋を渡る・・・


渡りおえて左に折れると浅間神社の鳥居がある


登り切ると山頂に出る。浅間山79.6mだ!


山頂の浅間神社。木立に囲まれてうす暗い・・・


すすきは秋たけなわを感じさせてくれる


遊歩道にて・・・日の当たる場所と木立の影のコンスタストが強すぎる


紅葉はすすんでいた・・・


以前から登りたかった浅間山。
去年、お袋の法事の際に「こんど、みんなで登ろう!」って、兄が言っていた山である

こどものころ、毎年のお彼岸にはお袋に連れられて家族で墓参りをした。
偶然にもお袋の実家の墓もここ多磨霊園にある。まず西山家の墓を掃除し花を手向けお線香をあげ
その後、実家の墓に行ってお参りするのが、恒例になっていた。

多磨霊園はとにかく広い。子どもの脚では一時間ほど歩るかなければならなかった・・・

両家のお参りが済むと、待ちに待った昼食となる。墓石に腰を下ろしおいなりさんを食べる
毎回、お弁当はおいなりさんときまっていた。
それが墓参りの唯一の楽しみだった気がする・・・

そして帰るのだが・・・もどる道すがら、こんもりとした丘が見える。浅間山である
毎回のように、兄が「あの、山に登りたい!」と母に言う。
母は「遅くなるからダメ!」と言ったかどうか?記憶にはないが、いつも兄の希望は叶わなかった

けっきょく、兄は子どものころからの願いを果たせぬまま、この3月に亡くなった・・・

そんなこともあって、いつか兄のかわりに登ろう!と思っていた
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市川回顧 そのⅡ

2016年09月25日 18時28分07秒 | メモリアル
先週、豪雨で撮り損ねた思い出の写真を撮ってきた・・・

実は、ブログを見た娘からなつかしの「保育園や住んでいた家の写真も見たかった!」と言われたのだ!

それでは、ということで今日(25日)も市川にウォルトを連れて行ってきた
今回は思い出の場所を歩いて廻った

↓これ、そのなつかしの家。表札はあったが住んでいるのだろうか?(現在)

六畳二間と台所の2Kの一戸建て。
44年前に移り住んだときすでに中古だったので、もう築50年以上かれこれ経っていると思われる

↓次女が2~3歳のころの写真。だから40年ほども前になる(家の玄関先で・・・)

中央の一番後ろにいるのが次女。保育園の散歩の途中で先生が撮ってくれたそうだ!

↓ドアだけは替わっているが、ほかは当時のまま・・・(現在)

門扉も取り替えているかも?

↓そのドアの前で・・・昭和52~3年ごろ


通っていた保育園へ・・・


建物も、プールも当時のまま


↓そのプールの前で・・・昭和50年ごろ

右から二人目が長女

保育園全景


↓長女の七五三をやった「子之神社」。住民は(ねのかみじんじゃ)と呼んでいた


急な階段を登ると社殿がある


散歩でよく来た神社だ!


街が一望できるが木が大きくなって見づらくなった


近くのコンビニでお弁当を買って「子の神東公園」へ

ここもよく遊んだ公園

いまは雑草だらけ


当時はこんなにきれいだった・・・同じブランコで次女


中山競馬場開催で道路が混んでいた
でも、もう来ることはないでろう?

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市川回顧

2016年09月19日 09時01分14秒 | メモリアル
所帯をもって移り住んだのは市川市の本北方というところだった...
中山競馬場近くのわりとゴミゴミとした街で、民間の借家を社宅としていた。

そこで二人の娘も生まれ、7年ほど暮らした。

先日、Googleマップのストリートビューでその街を散策していたら、
なつかしいその借家を見つけた。
「まだ、あったんだ!」・・・

市議会の議長をしていた大家も当時のままあったし、近くの駄菓子屋もあった。

そうだ、休みの日にでも見に行くかな?
車で近くを通ったことはあったが、ゆっくりと歩いて訪ねてみたい...

18日、日曜日の朝、天気予報はあまり良くなかったがウォルトと出かけることにした。

しかし到着早々に豪雨となり、その後も降ったり止んだりがつづく
しかたなく歩くことはあきらめ車でまわることにした

娘の通った保育園、よく買い物をした雑貨屋、近くの公園。などなど・・・
そして、ちょっと足をのばして法華経寺へ...
ここは休みの日に子どもたちとよく遊びに来たお寺。

ハトがいっぱいいた。枯れ木に千体仏を彫る若者もいた。
でも今は・・・ハトはいない。そして千体仏の枯れ木もなくなっていた。

↓法華経寺の五重塔


いまはすたれてしまった若宮銀座通りでパンを買い、近くの公園で昼食。

食べ終わっても時刻はまだ12時。そうだ!江戸川の土手に行こう!
ここもよく来たところ・・・土手の斜面でダンボール滑りなどして一日中あそんだ。

河川敷のゴルフ場を抜けると矢切の渡しがある。ここだけは昔と変わっていなかった

↓矢切の渡し


↓その渡し船に乗ったウォルト

実は乗り場で写真を撮っていたら、船頭さんに「乗ってもいいよ!」って・・・
犬はハナからダメだと思っていたし乗る気もなかったけど・・・
ほかの乗客からも「よかったね!乗せてくれるって!」って言われて
何か、みんなに賛同されたようでその気になった

船賃、大人200円。ウォルトはタダ


「空いているから、乗せてあげる」。と言ってくれた割には満員だった・・・


せっかく渡ったのだからトラさんで有名な帝釈天に・・・


渥美清の名があった。


帝釈天の境内は大混雑


これまた混雑の参道


↓映画「男はつらいよ」のモデルとなったダンコ屋さん


帰りも、渡しに乗せてもらう・・・


帰りは空いていてよかった・・・


天気は悪かったけど、こころは晴々とした。市川はなつかしい場所ばかり・・・
40年ほども前のことが、昨日のことようによみがえってきたのである

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メモリアル

2016年07月27日 08時18分32秒 | メモリアル
ラブを失って3回目の夏が来ました。
あの日は、暑い一日でした。
夕方には雷雨となり、そんな中たくさんの仲間がお別れに来てくれました

あれから3年。いまはもう仏壇の前に立つことも、お線香を上げることもなくなりました。
でも、今朝は出がけにお線香をあげ、そして手を合わせました・・・

悲しいこともつらいことも、時が癒してくれる。
ウォルトが来たことでどれだけ救われたか?

でも、心の奥にはいつもラブが存在していることにはちがいありません・・

2001年7月29日。生後44日目のラブ。この日からわが家の家族に・・・


2004年5月1日。勝手にドッグランであそび疲れて帰宅したラブ・・・


2005年2月20日。このころは日中はデッキで繋がれていた。「中に入りたいよう・・・」


2012年4月30日。仲間とよく遊んだ公園の花ビジュにて・・・


2012年6月13日。ラブ11歳の誕生会。三人娘がコメントをかいてくれました


2013年1月14日。大雪の日に・・・。この17日後に、下あごの除去手術を行う


そして最後の日・・・2013年7月27日。


ラブ、永遠に・・・

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