去年の7月ころだったか?マリピの本屋で「写真アルバム千葉市の昭和」の予約受付をしていた。
この本が出版されることは以前よりもれ聞いていたので、出たらぜひ買いたいとおもっていた。
で、さっそく店頭で予約の手続きをしたが・・・
「ありがとうございます。税込で9990円になります。
出版は9月ごろになりますので入り次第ご連絡します。」と、店員さん。
「えっ?3000円じゃないの?・・・」
たしか案内のポスターに3000という数字が大きく踊っていた。
消費税を入れても3150円にしかならない・・・
しかしよく見るとそれは金額ではなく、発行部数だったのである。
「円」と思い込んでいた単位は「部」だったと言うわけ・・・
いまさら、「じゃあいいです。」という勇気もなく、ズルズルと購入を決めてしまった。
9月の末、待望のその「写真アルバム千葉市の昭和」がきた。
しかし内容は期待したほどではなく、ちょっと・・・いや、すごくガッカリした。
なにしろ写真がきれいじゃない。写真集で写真がよくなければ致命的である。
10月をすぎてもマリピの本屋の店頭には予約販売のはずだった「千葉市の昭和」が何冊も並んでいた。
そう、売れ残ったのである。
とりあえず、その写真集から、われらの住む稲毛地方の写真をひろってみた。
↓人口海浜、稲毛の浜オープン。1975年・・・
まだ松林はない。
↓稲毛海岸と海の家。
よく見ると「見晴亭」がある。つい最近まで食堂として店をひらいていた。
↓浅間神社の一の鳥居。現在はソバ屋「せんげん」の駐車場に現存する。1955年
↓7月の大祭でその鳥居でお祓いを受ける人々。この祭礼のときだけ鳥居まで舟の橋ができた・・・1955年
↓鳥居の前で(都賀小学校の遠足)1951年 ↓幕張海岸にて 1970年
↓稲毛海岸での潮干狩り風景・・・1955年
↓黒砂側より稲毛海岸と国道14号を望む。1955年
↓旧国道14号。検見川付近。1957年
↓埋め立ての初期。1967年、航空写真。
練習船の「こじま」が見える。場所はいまの「こじま公園」である。船はつい最近まであったが解体されて今はない・・・
↓国鉄「幕張駅」1972年
↓京葉線工事「検見川浜駅」付近。1976年
数ある中から比較的いい写真を選んで載せた。
すこしでもなつかしさを感じていただければ幸いである。
この本が出版されることは以前よりもれ聞いていたので、出たらぜひ買いたいとおもっていた。
で、さっそく店頭で予約の手続きをしたが・・・
「ありがとうございます。税込で9990円になります。
出版は9月ごろになりますので入り次第ご連絡します。」と、店員さん。
「えっ?3000円じゃないの?・・・」
たしか案内のポスターに3000という数字が大きく踊っていた。
消費税を入れても3150円にしかならない・・・
しかしよく見るとそれは金額ではなく、発行部数だったのである。
「円」と思い込んでいた単位は「部」だったと言うわけ・・・
いまさら、「じゃあいいです。」という勇気もなく、ズルズルと購入を決めてしまった。
9月の末、待望のその「写真アルバム千葉市の昭和」がきた。
しかし内容は期待したほどではなく、ちょっと・・・いや、すごくガッカリした。
なにしろ写真がきれいじゃない。写真集で写真がよくなければ致命的である。
10月をすぎてもマリピの本屋の店頭には予約販売のはずだった「千葉市の昭和」が何冊も並んでいた。
そう、売れ残ったのである。
とりあえず、その写真集から、われらの住む稲毛地方の写真をひろってみた。
↓人口海浜、稲毛の浜オープン。1975年・・・
まだ松林はない。
↓稲毛海岸と海の家。
よく見ると「見晴亭」がある。つい最近まで食堂として店をひらいていた。
↓浅間神社の一の鳥居。現在はソバ屋「せんげん」の駐車場に現存する。1955年
↓7月の大祭でその鳥居でお祓いを受ける人々。この祭礼のときだけ鳥居まで舟の橋ができた・・・1955年
↓鳥居の前で(都賀小学校の遠足)1951年 ↓幕張海岸にて 1970年
↓稲毛海岸での潮干狩り風景・・・1955年
↓黒砂側より稲毛海岸と国道14号を望む。1955年
↓旧国道14号。検見川付近。1957年
↓埋め立ての初期。1967年、航空写真。
練習船の「こじま」が見える。場所はいまの「こじま公園」である。船はつい最近まであったが解体されて今はない・・・
↓国鉄「幕張駅」1972年
↓京葉線工事「検見川浜駅」付近。1976年
数ある中から比較的いい写真を選んで載せた。
すこしでもなつかしさを感じていただければ幸いである。