Lab通信

「勝手にドッグラン」のブログです。

市川回顧 そのⅡ

2016年09月25日 18時28分07秒 | メモリアル
先週、豪雨で撮り損ねた思い出の写真を撮ってきた・・・

実は、ブログを見た娘からなつかしの「保育園や住んでいた家の写真も見たかった!」と言われたのだ!

それでは、ということで今日(25日)も市川にウォルトを連れて行ってきた
今回は思い出の場所を歩いて廻った

↓これ、そのなつかしの家。表札はあったが住んでいるのだろうか?(現在)

六畳二間と台所の2Kの一戸建て。
44年前に移り住んだときすでに中古だったので、もう築50年以上かれこれ経っていると思われる

↓次女が2~3歳のころの写真。だから40年ほども前になる(家の玄関先で・・・)

中央の一番後ろにいるのが次女。保育園の散歩の途中で先生が撮ってくれたそうだ!

↓ドアだけは替わっているが、ほかは当時のまま・・・(現在)

門扉も取り替えているかも?

↓そのドアの前で・・・昭和52~3年ごろ


通っていた保育園へ・・・


建物も、プールも当時のまま


↓そのプールの前で・・・昭和50年ごろ

右から二人目が長女

保育園全景


↓長女の七五三をやった「子之神社」。住民は(ねのかみじんじゃ)と呼んでいた


急な階段を登ると社殿がある


散歩でよく来た神社だ!


街が一望できるが木が大きくなって見づらくなった


近くのコンビニでお弁当を買って「子の神東公園」へ

ここもよく遊んだ公園

いまは雑草だらけ


当時はこんなにきれいだった・・・同じブランコで次女


中山競馬場開催で道路が混んでいた
でも、もう来ることはないでろう?

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市川回顧

2016年09月19日 09時01分14秒 | メモリアル
所帯をもって移り住んだのは市川市の本北方というところだった...
中山競馬場近くのわりとゴミゴミとした街で、民間の借家を社宅としていた。

そこで二人の娘も生まれ、7年ほど暮らした。

先日、Googleマップのストリートビューでその街を散策していたら、
なつかしいその借家を見つけた。
「まだ、あったんだ!」・・・

市議会の議長をしていた大家も当時のままあったし、近くの駄菓子屋もあった。

そうだ、休みの日にでも見に行くかな?
車で近くを通ったことはあったが、ゆっくりと歩いて訪ねてみたい...

18日、日曜日の朝、天気予報はあまり良くなかったがウォルトと出かけることにした。

しかし到着早々に豪雨となり、その後も降ったり止んだりがつづく
しかたなく歩くことはあきらめ車でまわることにした

娘の通った保育園、よく買い物をした雑貨屋、近くの公園。などなど・・・
そして、ちょっと足をのばして法華経寺へ...
ここは休みの日に子どもたちとよく遊びに来たお寺。

ハトがいっぱいいた。枯れ木に千体仏を彫る若者もいた。
でも今は・・・ハトはいない。そして千体仏の枯れ木もなくなっていた。

↓法華経寺の五重塔


いまはすたれてしまった若宮銀座通りでパンを買い、近くの公園で昼食。

食べ終わっても時刻はまだ12時。そうだ!江戸川の土手に行こう!
ここもよく来たところ・・・土手の斜面でダンボール滑りなどして一日中あそんだ。

河川敷のゴルフ場を抜けると矢切の渡しがある。ここだけは昔と変わっていなかった

↓矢切の渡し


↓その渡し船に乗ったウォルト

実は乗り場で写真を撮っていたら、船頭さんに「乗ってもいいよ!」って・・・
犬はハナからダメだと思っていたし乗る気もなかったけど・・・
ほかの乗客からも「よかったね!乗せてくれるって!」って言われて
何か、みんなに賛同されたようでその気になった

船賃、大人200円。ウォルトはタダ


「空いているから、乗せてあげる」。と言ってくれた割には満員だった・・・


せっかく渡ったのだからトラさんで有名な帝釈天に・・・


渥美清の名があった。


帝釈天の境内は大混雑


これまた混雑の参道


↓映画「男はつらいよ」のモデルとなったダンコ屋さん


帰りも、渡しに乗せてもらう・・・


帰りは空いていてよかった・・・


天気は悪かったけど、こころは晴々とした。市川はなつかしい場所ばかり・・・
40年ほども前のことが、昨日のことようによみがえってきたのである

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アクションカムⅡ

2016年09月13日 21時24分07秒 | ビデオ
10日の土曜日、ソニーのアクションカムHDR-AS300Rが届いた。
ネットで購入したのである

2年前に初めてのアクションカム、HDR-AS100VRを購入した。
ハイキングや山登りに最適だろう?と、補助機として使っていたが、操作がしづらく手振れ補正も映像の歪も
満足のいくものではなかった。

ところが、先日YouTubeで、このAS300と従来機(AS200)の映像比較テストの投稿動画を観た。
驚くことに手振れ補正が比較にならないほど良くなっている。
また映像も広角の特徴である周辺部の歪は大きく改善されていた
(AS200はAS100の後継機)

それもそのはず、電子方式の手振れ補正から、空間光学方式にかわっている。
いまや、ソニーのビデオカメラはほとんどがこの空間光学手振れ補正になっている。
やはり、評価が高いのだろう

詳しいメカニズムはわからないが、電子方式は電気的に補正しているが空間光学方式は
レンズ自体が物理的に動いて振れを吸収している

映像の歪はドイツZEISS製レンズの採用で大きく改善され
また、メニューでの設定方法やライブビューリモコンでの操作もやりやすくなった。

毎年、いっしょに山登りをしていた兄がいなくなり、これからは一人で行くことになる。
となると、自撮棒を使ったアクションカムによる撮影が最善かな?と、思うようになった

そんなことから、進化の著しいこのAS300Rを購入したのである
(末尾のRはライブビューリモコン付)

いや、そればかりではない・・・かな?
自分の部屋でビデオカメラを並べて眺めているだけでも楽しい・・・
いやはや、いまや完璧なカメラオタクになってしまったようである

            今回、購入した↓SONY HDR-AS300

         ↓同じく防水ケースを付けたAS300とライブビューリモコン(防水ケースは標準装備)


            これは2年前に購入した↓HDR-AS100V

         ↓同じく防水ケースを付けたAS100Vとライブビューリモコン


AS300、大きさ的にはちょっとだけ大きくなっているが、中身は大きく進化した・・・

コメント (2)
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鋸山

2016年09月04日 14時24分19秒 | 山登り
9月3日。残暑のきびしい一日だった
鋸山へは三回目だろうか?

初めて来たのは20代のころ、ロープウエイを使って百尺観音から地獄のぞき、千五百羅漢そして、
大仏様を見た記憶がある

二回目は20年ほど前かな?会社のハイキング仲間と来た。
観月台から登り、やはり百尺観音、地獄のぞき、千五百羅漢、大仏そして日本寺境内へ・・・
帰路は保田駅に下りるルートを使った

そして三回目の今回は、10月に予定しているワンコ遠足の下見である

朝6時50分、出発。途中10分ほどトイレ休憩しただけで走りつづけ、到着が8時30分。
無料駐車場にはすでに3台ほどが駐車していた

今日のコースは、まだ歩いたことのない車力道。この道は切り出した房州石をネコ車で麓まで運んだ道。
それはおもに車力と呼ばれた女性たちの仕事だった。

江戸時代の後期に始まったその石切りの歴史は、昭和60年を最後に幕を閉じることになる・・・

車力道の分岐点から石切場跡を歩き百尺観音へ、そして地獄のぞきの山頂展望台で昼食。
帰路は観月台ルートで下山。午後2時には駐車場に帰着した


百尺観音にて。四尺のウォルトと百尺の観音様


コース
車力道~東京湾を望む展望台~石切場跡~観音台ルート(関東ふれあいの道)~百尺観音~地獄のぞき(昼食)。
(画面をクリックすると拡大地図が出ます)


帰路は「観月台ルート」でもどる

↓浜金谷の無料駐車場に車を止め。10分ほど歩くと登山口がある。右の階段が観月台ルート、左が車力道ルート

左の車力道へ・・・

鬱蒼とした樹林帯よりときおり館山道が見える


高度を上げるにつれ展望がひらけてくる


↓車力道分岐点から急な階段をのぼりつめると「東京湾を望む展望台」に出る。

ウォルトとウォル母は分岐点で待機

天気が良く、素晴らしい展望だった。↓保田海岸方面


↓金谷港と浜金谷の街。フェリーが向かってくる

対岸(久里浜)がきれいに見えた。

浦賀水道をとおる貨物船。最大ズームで・・・


↓南方向の山並み。中央に双耳峰の「富山」が・・・


金谷港に入港するフェリー。これも最大ズーム15倍で・・・

しばし展望を楽しみ分岐点までもどる。

分岐点からは石切場跡を歩き「観月台ルート(関東ふれあいの道)」に合流。


これまた、急な階段を登り切ると「百尺観音」に出る。観音様とスリーショット?

ここは日本寺北入口で拝観料一人600円を支払うことになる。ただし、ウォルトはタダ

見上げると、「地獄のぞき」が・・・

百尺観音から稜線を登りきると休憩所と地獄のぞきの「山頂展望台」である

その展望台からのぞむ「地獄のぞき」

大仏様まで足を延ばしたかったのだが、同行者(ウォル母とウォルト)の賛同を得られず。ここで断念。
休憩所で昼食を食べ下山することに・・・。

帰路、「観月台」の東屋で休憩。

20ほど前に来た時にあった建物(東屋)は今はなく、その基礎しか残っていなかった。
中には新しい木製のベンチが置かれていた

↓「観月台」から望むのこぎり状の稜線


JR内房線(左)のガードをくぐると、終着の駐車場はもうすぐ・・


暑いこともあったが、最後の急登はきつかった。なにしろ階段状の急傾斜がつづくのである・・・
だがその距離は比較的短く、そこさえ乗り越えれば百尺観音と絶景の展望が待っている

難易度は?そう・・・ちょうど「富山」ぐらいかな?

追伸
勝手にドッグランの皆さまには、日程が決定し次第、案内状をメールでお送りします
コメント (2)
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