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Lab通信

「勝手にドッグラン」のブログです。

過ぎゆく日々

2021年04月05日 14時12分49秒 | 思い出
ウォルトに異変を感じたのは3月29日でした。
この日、茨城の実家の墓参りにリョウを連れて行きました。孫のリョウはこの春高校に進学します。
去年亡くなった伯父にその報告を兼ねた墓参りです。
ついでに筑波山に寄ってから帰ることにしました。
有料駐車場に車を止め、百数十メーター先の筑波山神社まで歩きます。しかし車から降りたウォルトは
ガンとして歩かない。
すぐ車に戻ろうとします。

せっかく来たのだから・・・と
ハーネスを装着して無理やり歩かせましたが、下りの階段の途中で一歩も動かなくなりました。
「これはムリだ!」いつもとは違う・・・
しかたなくここでウォルトを待たせることにして、リョウと二人で神社に参拝をすませました。

翌30日の朝です。「ウォルトがフードを食べない!!!」とウォル母の声で飛び起きました。
どうも一口食べてへたり込んでしまったようです。
荒い呼吸が静まってから、小皿にフードを小分けしてスプーンで食べさせました。
食欲はあるようです。いつもの量を完食しました。
この日はカートで海浜公園まで散歩しました。
天気もよいので池の周りの芝生に降ろしましたが横になるだけで一歩も歩きません。
夕方の散歩は近くの公園にいきました。もちろんカートで・・・
芝生で伏せ状態でしたが、いつものおやつおばさんを見つけたら自分から歩いて行ったのです。
「なんだ、結構歩けるじゃん!」
でも、歩いたのはこれが最後になりました・・・

31日、やはり朝食は立って食べられません。支えていてもです。
寝たままでたべました。
ちょっと動かすと呼吸が荒くなります。
トイレは二人で抱えて庭でします。途中で失禁もしばしばです。なぜか便が黒い・・・
もう、立ち上がることも歩くこともできません。
この日はピアノレッスンの日、マリンままが来てくれましたがシッポを振ることもなく、無視状態でした。
「ウォルト!頑張ってね!」と、頭を撫でてくれました。
夜は、ウォル母と寝ました・・・

31日、わが家のデッキにて


4月1日、近くの公園にカートで散歩しました。状態は前日と同じ。
5日の佐久間ダム遠足、不参加の通知をラインでしました

1日、朝の散歩。近くの公園にて


2日、朝いつものカリカリフード食べず。大好きなヨーグルトも食べず。焼き芋を少し食べました。
庭に出る前に失禁。駿太見舞いに来ました
いま、過ぎゆく最後の日々を大切にウォルトと共にいます

2日、わが家のデッキにて昼寝


3日、土曜日です。天気もいいのでカートで海浜公園に行きました。もう仲間のワンコと会うのも最後に
なるかも知れません。
たくさんの仲間と会えました。おやつをもらったり写真を撮ったり楽しい時間をすごしました。
めずらしくいただいたおやつもたくさん食べました。
家に戻っても近所のワンコ仲間が来てくれて、庭の芝生でおやつをもらいました。
家のフードは食べなかったのにビックリ!
少し元気になったのかな?もう少し過ぎゆく日々をウォルトと共に過ごしたい・・・

3日、想い出の海浜公園にて


4日早朝、といっても夜中の0時過ぎ、ウォルトの動く気配で目を覚ましました。必死に立ち上がろうとしています。
急いで手を貸しました。枕もとに置いてある水を飲みに二三歩あるきました。そしてバタっと倒れました。
突然呼吸が荒くなり舌がだらーんと垂れ下がりました。

ウォル母と二人でウォルトの頭を抱え「ウォルト!ウォルト!大丈夫だよ!大丈夫だよ!」と叫んでいました。
その左手はウォルトの胸に当てていました。大きな鼓動がだんだん小さくなり、
そして、気がついたらいつのまにか止まっていました。

わずか5分間の出来事でした・・・

4日、朝・・・


2021年4月4日 0時30分死去。享年13歳・・・





一周年

2019年06月25日 15時13分18秒 | 思い出

あの日から丸一年、なんと早かったことか?
そう、去年の6月25日(月曜日)は退職の日だった。  (その退職のブログは"別れの日"

仕事をリタイヤしたら、あれをしよう?これもやりたい・・・と、胸を弾ませていた。

好きなときにいつでも山に行ける。
スケジュールなどは一切立てず、心の赴くままに登り夕方になったらテントで寝る。
車中泊もいいいな?

遠くに白い富士山を眺めながら冷たい風の通る稜線を歩く。
また、カタクリの花や東国三つ葉ツツジが咲く新緑のなかを登る。
またまた、カラ松の影の長さに晩秋のモノ悲しさを人生に重ねたり・・・
空想するだけでもワクワクした。

そして、写真や動画をたくさん撮ってYou-tubeにアップしよう・・・

サイクリング車を買って花見川サイクリングロードを走ったり、これまた心の向くままに千葉の街を走ろう?
ガスバーナーをもって昼はカップ麺、食後は雑誌などをみながら熱いコーヒーを味わう
二台のアクションカムをハンドルに取り付け、一台は前方を、そしてもう一台は自分撮り・・・
BSテレビでやっている火野正平の「こころ旅」みたいな動画を撮る。

以上、企画と計画だけは完璧だったのに・・・

それが現実はどうなったか?と言うと、
サイクリングは11月と4月の二回だけ・・・花見川サイクリングロードを走った。
一応、動画を撮ってYou-tubeにアップはできた。とくに4月はサクラが満開で天気もよく
ソコソコいい映像が撮れたので勇んでYou-tubeにアップした。
ところがだ!・・・再生回数は一向にのびない・・・まっ!それはいいとして・・・

山は12月の初めと暮に行った、これまた二回だけ・・・
丹沢山系の鍋割山と、奥多摩の御前山だ!。
鍋割山山頂で鍋焼きうどんを喰った。御前山では兄と登った4年半前を偲んだ。
それはそれでどちらも思い出にのこるいい山旅だったが・・・一年で二回とは?なんとも少ない。

また、毎年5月のGWに行ってた奥多摩の石尾根はその気になれず行かずじまい・・・。

思い願っていたすべてが思わくハズレに終わったのだ!!!

いや、一つだけ予想外の楽しみができた。
そう、それは囲碁・・・

囲碁から生まれた言葉はたくさんある。
大局観・一目を置く・岡目八目・白黒をつける・定石・活路・捨て石・駄目・布石・目算・手すじ等々・・・

大げさだけど、囲碁は人生そのもの・・・そこがすごくおもしろい・・・

さてさて、二周年はどうなっているだろうか???








最後のドライブ

2019年03月21日 10時24分27秒 | 思い出
3月18日、習志野市の香澄公園に行きました。天気もよく、風もなく暖かな公園でした。

満開のサクラの下でお弁当を食べました。
レジャーシートに寝転んで本を読みました。
気持ちがよくて、ちょっとウトウトしてしまいました・・・

年配のご夫婦や小さな子ども連れのお母さんもお弁当を広げていました。

でもこれがホンダライフでの最後のドライブになりました・・・

ウォル母が仕事を辞めたのが12年前の3月末でした。自分の車を持ちたい!とのことから
この4月に中古車を購入。それがこのホンダライフでした。

以後、12年間で走行距離16万5千キロ。
購入したときの距離数が8千キロでしたから、16万キロ弱乗ったことになります。

もっとも、使っていたのはほとんど私の通勤でした。
自分用のホンダCRVより燃費の良いライフを通勤で使っていたのです

香澄公園 3月18日


寒くもなく、もちろん暑くもない。いい日和でした


ライフの思い出。2012年1月8日 稲岸公園

浅間神社の帰り道、汽車ポッポ公園に寄りました・・・

2013年7月14日 奥多摩

兄と鷹ノ巣山から水根山そして倉戸山を縦走したっけ・・・

2014年2月9日 大雪の朝

記録的な大雪でした。通勤に何時間もかかったのを記憶しています

2019年2月9日 今年の雪の朝

今年の雪は、この9日と11日に降りました。もう通勤がないので安心です

会社を辞めたら二台は要りません。
廃車しようと考えていましたが、3月末まで車検があります。
それまで乗ることにしました・・・

19日、購入した中古車センターに行って廃車手続きをお願いしてきました。
もちろん、査定価値はないそうです。

車体を撫でてお別れしました・・・

奥多摩追憶 そのⅡ

2018年01月04日 16時04分13秒 | 思い出
何年つづけての晴天だろうか?
2017年の12月30日も風は強かったものの雲ひとつない晴天に恵まれた

さて、今年はどの山に登ろうか?
生前、兄と登った石尾根の山々。七ツ石山・六ツ石山・鷹ノ巣山・日陰名栗峰などなど・・・
鷹ノ巣山へは去年登ったので、ほかの山がいい・・・

とは言え
七ツ石山へは悪路の赤指林道を走らなければならない。車を4WDのSUV車から小型のワンボックス車に代えたことから
「ちょっとあの林道はムリかな?」

では、六ツ石山は?と思ったのだが、二年半前に登ったとき登山道に崩落部分があって苦労した。
その時は道なき道を迂回して登ったが・・・一人では不安である。

いろいろと思案の結果、比較的アプローチのラクな浅間尾根から入ることにした。

去年は、浅間尾根を登り鷹ノ巣山避難小屋から鷹ノ巣山に登ったが、
今回は、同避難小屋から去年と反対側の日陰名栗峰に登ることにした。

この日陰名栗峰はちょうど二年前の同じ日に兄と最後に登った山である

朝、4時半に家を出る。

↓石尾根より望む富士山。


↓日陰名栗峰山頂手前のカヤトの原。ここはいつも絶景である


6時50分。奥多摩湖は夜明けを迎えていた


奥集落に車を止め。浅間尾根を登る。歩きはじめ早々、サルの家族と遭遇


急登の植林帯がつづくがこんな穏やかな緩斜面にも出会う。一息つける場所でもある


浅間尾根から望む富士山


鷹ノ巣山避難小屋到着。9時50分

室内でも氷点下4℃だった

避難小屋からは石尾根を日陰名栗峰へ・・・


カヤトの原からはどこを見ても絶景である


風が強く、冷たかった・・・


日陰名栗峰(1725m)山頂で・・・10時50分。この反対側に山頂の標識がある

山頂は木々に囲まれ展望は良くない

日陰名栗に登った時は、いつもここで昼食。11時

天然のデッキで展望もそこそこ・・・富士山・北岳などを眺めながらカップ麺を食べる

コーヒーをのんで食後の休憩。そして、もと来た道を戻る

鷹ノ巣山避難小屋前のベンチにて・・・後方の山が日陰名栗峰

あとは浅間尾根を下る

途中、一休み・・・去年はここで空を眺めて30分ほど休んだが、今年は風が冷たくそれどころではなかった
そして、出発点の奥集落に14時15分帰着

帰りに月夜見展望台へ・・・眼下に奥多摩湖


石尾根の山々を背景に・・・


そして、温泉「数馬の湯」へ・・・

冷えた体には温泉が最高!!!冬の登山の楽しみのひとつでもある

とろろソバ(780円)を食す

昼に食べ残したおにぎりといっしょに食べた

食後は仮眠室で1時間ほど横になる・・・

こんな時間って最高です

帰路、中央道の渋滞もなく、8時すぎには帰宅。

風が冷たくつらかったけどとても楽しい一日でした・・・


奥多摩追憶

2018年01月01日 17時32分44秒 | 思い出
12月30日、奥多摩の日陰名栗峰(1725m)に登りました。
2年前と同じ晴天に恵まれました。

強風が冷たくつらかったけど、山頂であったかいカップ麺を食べコーヒー飲んで温まりました。

帰りには数馬の湯で温泉に入りとろろソバを喰い、そして仮眠室で一時間ほど横になり
ゆっくり帰宅しました・・・

奥多摩追憶

思い出の公園

2017年11月27日 15時45分39秒 | 思い出
26日の日曜日、お弁当を持って香澄公園に行った

コンビニで買い込んだサラダやおにぎり、そしてお湯を沸かしてカップ麺の昼食だ!
天気はそこそこだったが、風が強くバーナーの火が消えそうになる。
ザックなどで防風対策をして沸かした・・・

この公園は国道357号線に沿って位置する騒音などの緩衝帯を兼ねた細長い公園である
もう、紅葉は盛りを過ぎたころだろうか?落ち葉が風で舞い上がっていた・・・

30代のころ、一時期、自転車で行徳の会社まで通ったことがある。その帰りにこの公園内を走った。
行きは時間短縮のため車道を走った。スピードを上げて追い越していく車の騒音と風圧に耐えながら・・・
超、怖かった・・・

ところが、時間を気にしなくてすむ帰り道は心身ともにリラックスする。
この公園内をゆっくりと季節を感じながら走った。
たまにベンチで休憩。さわやかな風をうけて汗を拭いた。

なぜか、このころは仕事がつらかった。これと言った目標もなかったし希望もなかったような気がする。
そんな厭世的な気分を一瞬でも忘れさせてくれるひとときだった・・・

香澄公園は、そんな若き日の思い出深い公園なのだ!

適当な昼食場所を探しながら写真を撮って歩いた


↓これはなんという木でしょうか?


すごい迫力だった!!!


そして歩く


また、歩く・・・


黄葉だらけ


紅葉には逆光がお似合いだけど・・・


ほとんどが落ち葉となった木



なるべく風の当たらない、そして人の少ない場所を求めて公園内を歩いた。

ボーイスカウトが落ち葉の掃除をしていた。
気が付いたら秋津球場をすぎサッカー場も過ぎていた。

もう、適当なところで妥協しよう・・・

日当たりのよい生け垣に、隠れるようにして弁当をひろげた。


鷹ノ巣山今昔

2015年07月06日 22時04分26秒 | 思い出
53年前の鷹ノ巣山頂と今年の山頂です・・・

4日、Facebookにも鷹ノ巣山ビデオのダイジェスト版をアップしたら、ある知人から
下の写真とコメントが寄せられました

「鷹の巣山とは懐かしい。蝶を追いかけて駆け登り駆け下りた記憶が浮かびました。
53年前の5月、15歳でした。当時は日原から登りました。
かなり急峻な登りだった様に記憶しています。」


↓53年前の鷹ノ巣山山頂にて

15歳にしてはチト老けていますね?
それはともかく、この稲村岩尾根は奥多摩三大急登と呼ばれている急峻な登りです・・・
さぞ、きつかったでしょう?

↓そして、今年の5月の鷹ノ巣山山頂です


写真を見比べたら道標の文字が同じでした。当たり前ですが・・・
でも駅の名前だけがかわっていました。
そう、あのころは「氷川駅」だったのです。いまは奥多摩駅にかわっています・・・
われわれ世代には、慣れ親しんだ「氷川駅」のほうがシックリします

↓後ろからの写真なので方向が逆になります


左方向「石尾根縦走路 七ツ石山 雲取山」
そして右方向へは「石尾根縦走路 六ツ石山 氷川駅(奥多摩駅)」

感慨深いです・・・

人生の宝物

2013年12月03日 12時21分17秒 | 思い出
ラブを失った大きな悲しみのあとに、思いもよらぬ大きな感激と感動が訪れました。
ビックリしたし、うれしかったし、仲間ってホントにありがたいな?と思いました。

それは、なんと?なんと?ラブとの思い出を綴ったオレンジ色の分厚いアルバム・・・
29日、マフままが届けてくれました。
題して「思い出のアルバム」・・・そのまんっま!!!だけど・・・

2006年に仲間と行った「養老渓谷」に始まり、最後になった今春の「花なし近足」まで
ほかにも、誕生会や公園でのお茶会のスナップなどなど・・・それは勝手にドッグランの歴史そのものでした。
その中身はラブとの思い出の一場面ばかり、初めて見る写真もたくさんありました・・・

そしてなによりも感激したのは、仲間のみなさんの寄せ書き(コメント)でした。
考えてもいなかったことだった。うれしかった。ビックリした。感動しちゃった!
60年以上も生きてきて、こんなに心が温かくなったことはなかったかもしれない・・・

これだけの写真を集めるのもたいへんだけど、コメントを集める作業はもっともっと
たいへんだったと思います。

毎週末、公園に集まったのは今はむかし。会うことさえもままならなくなった昨今です。
本当にご苦労なさったと思います。

マフままが中心となり、仲間のみんなが頑張って制作してくれている様子が目に浮かびます。

制作秘話を知りたくなりました。
どんなふうに写真を集め、またどんなふうにコメントを集めたのか?その舞台裏をちょっと覗いてみたかった。

三人娘までコメント寄せてくれたんですね?

なんとラブは幸せな犬なんだろう?そしてもっともっと幸せなこの人間(自分)・・・

ラブが繋いでくれたこの縁に「感謝!感謝!」でいっぱいです

オレンジ色のアルバム、一ページ目。


中はこんな感じ・・・


↓最後になった遠足(近足かな?)と、ラフィあみ家のプール開きにて・・・

三人娘もたくさんのコメントを書いてくれました(右ページ)

↓一回目の泉自然公園遠足(左)とジョイぱぱ幹事の芋煮会(右)誕生会も入っています。

アレンママの姿も見えますね?(左ページ)

↓バディ家主催の七里川バーベキュー(左)とマフ家主催の館山足型遠足?(右)ここでカメラを失くしました



どのページもラブとの思い出でいっぱいです。

仲間のみなさん!感動をありがとう!!!
このアルバムとそしてこの仲間たち、私の人生の宝物です・・・



散歩道

2013年10月21日 12時42分23秒 | 思い出
ラブと歩いた散歩道をたどっています。
なんの目的ももたず、ただ気の向くままに歩くのです

14日、快晴でした。あさ8時、散歩に出ました。
きょうはラブが若いころよく歩いた検見川の浜へ・・・
まずヨットハーバーからその先の防波堤へ行きました。

防波堤は早くからたくさんの釣り人でにぎわっていました。
先端までを往復し。途中、4歳のラブラドール(♂)に出会いました

防波堤からは、海岸通りにもどり側道の遊歩道から稲毛の浜へ・・・
砂浜を花の美術館までゆっくりと歩きました。

いまは花の美術館ではなく、山陽フラワーミュジアムですね?

コソモスが秋の日差しをいっぱいに受けていました。

先端まで歩きました


対岸に幕張新都心がひろがります


帰りは逆光です。途中4歳のラブ君に会いました


前庭はコスモスが今は盛り


なんという花でしょうか?


名前わかりませ~ん・・・


地元の海岸はどこに行ってもラブの散歩道。ラブと歩いた風景ばかりです・・・



別れの曲

2013年10月15日 21時53分29秒 | 思い出
会社より帰宅し車から降りると、いつも聴こえてくる曲がありました。
それはショパンのピアノ曲「別れの曲」・・・

去る10月5日、らぶ母のピアノ発表会がありました。
そこで発表する二曲のうちの一曲がこの「別れの曲」でした。

晴れの舞台に備え、毎夕練習をかさねていたのです・・・
この「別れの曲」を決めたのは、ラブの手術をしたこの一月でした

いつも練習をはじめるとラブはピアノのそばに来て聴いていました
あるときは居眠りしながら、またあるときは「早く終れ!」と吠えながら・・・

そうして月日はながれ、あの7月27日が過ぎました。

いつものように帰宅すると聴こえてきます。いつもの「別れの曲」です。
なにひとつかわっていないのに、そこにはラブだけがいません。

あの日を境に「別れの曲」は忘れられぬ一曲となりました。
なんという切なく哀しい旋律なのでしょうか?



今年もまたピアノ発表会のビデオ撮影をたのまれました。

らぶ母が弾いた「別れの曲」は、ラブとの想い出でいっぱいでした。
それは、たくさん間違えそしてつっかえながらの「別れの曲」でした・・・


ラブの思い出

2013年09月04日 17時54分16秒 | 思い出
勉強会の次の日、6月30日。この朝早くらぶ母は青森に旅立ちました。

ラブと二人きりの午後。ラブがテレビを見ているラブ父の顔を見つめるのです。
何か言いたいの???
何か食べたいの????
何かしてほしいの???
何を聞いても、ラブはただ見つめるばかり・・・

そうだ!!!「ラブ!デッキでいっしょに寝ようか?」と言ったら
ラブはうれしそうにシッポを振りました。

つゆの合い間の晴れ間でした。心地よい風が吹いていました。
ラブと頭を並べてデッキで寝ました。

2時間ほどだったでしょうか?ラブは気持ちよさそうに寝ています。

ラブの寝顔を見ながら「これが幸せということなんだ!」
「これ以上の幸せなんてない!」と、その時おもいました。

でも・・・「これが最後の幸せなんだ!!!」・・・。


らぶ母の青森旅行は、6月30日から7月2日まででした。
ラブ父は、この丸三日間をラブといっしょに過ごしました。

7月1日、2日の平日は、近所に住む妹に午前中だけ見てもらい
昼からは会社を早退してラブと過ごしました。

夜もいっしょに寝ました。

このころは出血こそつづいていたものの、比較的元気で
一か月後に訪れる悪夢は想像できませんでした。
いや、考えないようにしていただけなのかもしれません・・・

しかし、病状の変化は確実に死に向かっていることを
意識しないではいられなかったのです。

「今を、このときを大切にしたい・・・」
「一分一秒たりともムダにしたくない!・・・」

ラブ父の切なる思いでした・・・

「これが最後の幸せなんだ!!!」と・・・。